MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

EF ^^/ 然修緑 第2集 第11回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第11回

 一、想夏 (10)

 門人学年 エセラ ({美童|ミワラ}・{齢|よわい}十三)
 「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将

   世界で一番異質なガイジン

 外国人のガイジン論が、面白い。
 外国人から見たガイジンとは、我ら日本人のことだ。
 亜種に分化する以前から、日本人は異質だったのだ。
 敗戦で国が亡ぶまで、悠久と続いた海洋の中の一国一文明一民族。
 かつて{日|ひ}の{本|もと}の国は、現存する古代国家と言われ、奇跡の国家として注目を集めていた。
 そんな特異なガイジンを、外国人たちは、鋭く観察していた。

 欧米の会社は、二つのタイプに分かれている。
 右脳優先型の会社と、左脳優先型の会社。
 右脳優先企業の昇級は能力主義で、社員たちの頭は柔軟、社内では友好的な雰囲気が保たれる。
 対して左脳優先企業は、年功序列制で、社員たちは、型に{嵌|は}められた規則通りの仕事を好む。

 日本人は、江戸幕府の組織運営方式を引き継いで、後者の左脳優先一辺倒でやってきた。
 それも、{聖奢廃砕|せいきょうたいさい}でアメリカに大敗して、国が亡んでしまった要因の一つなんだと思う。
 有色人種の独立を支援するという聖戦として始めたはずだった戦争は、左脳優先の組織であったがために、指導者たちの{奢|おご}りを疑問視する声が踏み{躙|にじ}られ、次第に指導者たちの心が頽廃し、{挙句|あげく}は{玉砕|ぎょくさい}、仕舞いには国中が焼け野原となり、{終|つい}には亡んでしまったのだ。

 ところが、アメリカの被保護国の国民となった日本人に、不思議な習慣が残った。
 履歴書だ。
 個人の価値を評価するこの書類、世界中を見渡しても、極めて異質だ。
 世界の国々では、仕事のやり方を詳しく示した{職務明細書|Job description}が、必ずと言っていいほど存在する。
 日本人の被保護国だけ、全くの逆だ。
 従業員の価値は評価したがるが、仕事の詳しいやり方は、評価されたくない。
 だから、何も示さない。
 職務明細書も履歴書も、同じ左脳が担う仕事だ。
 同じ左脳の仕事なのに、日本人だけ、異質なのだ。
 左脳優先の書類で人の価値を評価して採用しておきながら、いざ入社してみると、仕事のやり方が右脳優先なのだ。
 職務明細書は存在せず、自分で考え、やり方や方法は、先輩から盗めだ!
 左脳が異質化したために、本来の左脳と右脳の役割分担のバランスが、崩れてしまったのかもしれない。
 これも、ぼくたちが亜種に分化してしまった要因、退化の始まりに違いない。

 ぼくが嫌いな外国語の一つに、こんなのがある。
 ニッポンジンカンコーキャク。
 ちなみに好きな外国語は、スケベーと、アマテラスだ。
 ニッポンジンカンコーキャクというのは、左脳しか使えない日本人が、集団で外国旅行をすることだ。
 何時何分にどこで何を食べて、何時何分から何時何分までどこで何を観るかまで決まっていて、{汝|なんじ}勝手な行動をするべからずなのだ。
 有り得ん!
 せっかく外国に行ったのに、周りは顔見知りの日本人で固められている。
 近場の温泉に日帰り旅行でもしたほうが、日本人の恥を{晒|さら}さずに済むというものだ。
 なぜ、そんなことになってしまっていたのか。
 旅先で左脳優先なのは、日本人だけじゃない。
 外国人も、旅先では、左脳をフル回転させる。
 見知らぬ人の身分や言葉遣いを気にかけながら、初対面の人間たちと交わっていかなければならない。
 左脳が相当に疲れてしまう、大仕事なのだ。
 でも日本人は、それが出来ない。
 最初から出来ないことなんて、絶対に無い。
 面倒臭いから、やらなくなったのだ。
 だから、自分が住んでいる地域の環境をそのまま切り取って、その環境が、ただ外国を廻って来るだけのことが、好まれ当たり前になってしまったのだ。
 それならば、確かに左脳は疲れない。
 {狡賢|ずるがしこ}いと言えば聞こえはいいけど、実際は、愚かこの上なしだ。
 それで日本人は、自分の{所為|せい}で無能になってしまった左脳を、{呆|あき}れたことに{放|ほ}ったくってしまい、終には腐らせてしまったのだ。

 これが、「腐れ左脳のニッポンジン」と{揶揄|やゆ}されるようになった{所以|ゆえん}というわけだ。

 そんな{経緯|いきさつ}で退化した自分の脳を、見捨ててしまった者たち。
 そんな脳の退化に気づき、それを防ごうとしている者たち。
 そうではなくて、人間本来の自然の一部に立ち返ろうとする者たち。

 ……と、この三つの亜種に分化してしまったのが、被保護国ジャポンの今のニッポンジンなのだ。
 
2024.3.24 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第15回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第15回

   一、想夏 …… 立命期、最後の一年 (5)

 その夜、妹たちとトモキは、早々にガースカ就寝。
 母のゆか里は{胡坐|あぐら}、エセラはその前で静座である。
 母、俄かに語りだす。

 「何度も言わないから、辛抱してお聴き。
 ほのみやえみみは未だしも、めろんやトモキを外に置き去りにするのはダメです。
 おまえは、トモキとめろんの父親代わりなんだからね。
 思い出してごらんよ。
 おまえが七歳や八歳だったころのこと。
 そのころってさ。
 風邪やインフルエンザなんかより、もっと感染し易いものがあるんだ。
 恐れや怒り、憎しみや{怨|うら}み、冷酷さや残忍さ。
 自分が好かれてるか嫌われてるか、それを知るたんめに必死なんだよ。
 その時分の{子等|こら}は、まさに{対心一処|たいしんいっしょ}の芽生え、{不事不通|ぶじふつう}を可能にする、恐るべき能力者なのさ。
 なんにでも、惜しみも{躊躇|ためら}いもなく、魂を入れてくる。
 そこで、いろんなことに気づく。
 気づけば、「なぜ?」「どうして?」がはじまる。
 その答えを得るためなら、どんな行動にでも出る。
 子どもたちってさァ。
 小さな毛織の帽子の端から毛糸を引っ張り出してスルスルっと解いていくみたいに、疑問も不思議も不可思議も、なんだって、その真相を簡単に見抜いてしまうんだよ。
 しかも、ご飯を食べるかのように、無意識にさ。
 それを、飽くでもなく疲れるでもなく、繰り返し繰り返し、やってのける。
 その度ごとに、家族や社会の中での自分の立ち位置を確認しては、しっかりと記憶の中に収めてゆく。
 そんな中で、自分が好きな人の精神状態には、特に敏感なのさ。
 だから、傷つき易く、過剰にも反応してしまう。
 でもさ。
 子どもたちの本当の恐さ、知ってるかい?
 あの子たちってさァ。
 疑問に思ったことや不思議に感じたことは、しきりに訊いてくるだろッ?
 でも、誰から何を見抜いたかは、何も言わない。
 訊いてみたところで、何も教えちゃあくれない。
 特に男の子は、自分の父親から、自分の将来を見抜くんだ。
 だから、男の子の父親は、気が抜けない。
 良心、霊性、魂を揺さぶって、本音や正体を、えぐり出そうとするんだからねぇ。
 本当はさァ。
 あの子たちに言葉で何を言っても無駄、無意味、ただ{虚|むな}しいだけなのさ。
 ただ、見られてるだけ。
 だから、おまえも、見られるのさ。
 トモキからねぇ」

 母の話は、そこで終わった。
 エセラの父親が突然居なくなったように、エセラも、間もなく{仕来|しきた}りの旅に出ることだろう。
 一の喜家から、また父親が消えるのだ。
 自然の一部、人間も動物なんだから、親と早くに別れることなんて、珍しくもなんともないことじゃないかと、エセラはそんなことを思いながら、夏のものとも秋のものとも判らぬ虫の声が、次第に意識から遠退いていくのだった。

 次の日、エセラは、カズキチを浜辺で待たせ、めろんとトモキを家まで送り届けてから、カズキチと二人で、寺学舎までの田舎道を歩いた。

 砂浜、港の広場の{砂利|ジャリ}道、不陸な古いアスファルトの道路。
 雨の日には、広場にも道路にも、無数に水たまりができる。
 「ニュース、あるぅ?」と、エセラ。
 「臨時ニュースを、お伝えします。
 今、世界中のどこかで、誰かが死にました」と、カズキチ。
 「おまえってさァ。
 なんのために生きてるんだァ?」と、エセラ。
 「痛いを回避するため。
 おまえ、痛いの、好きなのかァ?」と、カズキチ。
 「好きなら、とっくの昔に死んでるよ」と、エセラ。
 「そっかァ。
 死ぬのも、痛いんだもんな。
 こりゃ当分、死ねそうもないなッ!」と、カズキチ。
 「痛くない死に方を求めるために、おまえは生きてるのかァ?」と、エセラ。
 「宇宙人や幽霊を探す人生より、よっぽどマシだろォ?」と、カズキチ。
 「どういうことォ?」と、エセラ。
 「あるかないかも判らないようなもんを探す人生なんて、おれは御免だね」と、カズキチ。
 「人間は、何かを隠すために生きてるんだと思う」と、エセラ。
 「だったら、生まれてこなきゃいいじゃん。
 生まれてこなきゃ隠すもんもないから、手間が省けるじゃん!」と、カズキチ。
 「一理あるけど」と、エセラ。
 「理は、一つだ。
 一理あるんなら、それで終わりだ」と、カズキチ。
 「幽霊って、{居|い}ると思う?」と、エセラ。

 太陽が頭上から背後へ回り、背後の港は、姿を隠した。
 狭い道路の脇には、古い民家が軒を連ねている。
 カズキチが、言った。
 「おまえは、Aを殺した。
 おれは、Bを殺した。
 でも、おれもおまえも、刑務所には入らなかった。
 なんでか、判るかァ?」
 二人は、狭い車道のど真ん中を歩いている。
 古びた平屋の間から、時おり、老いた人間の背中が見える。
 カズキチが、続けた。
 「Aはおまえで、Bはおれだ。
 おまえもおれも、自分を殺したんだ。
 自分を殺しただけなんだから、刑務所にぶち込まれる心配はない。
 大事に思えないってことは、殺したも同然さ」

 二人は、地獄の{館|やかた}の前に差し掛かった。
 子どもたちはみんな、その平屋のことを、そう呼んでいる。
 この平屋より古そうな家は、エセラもカズキチも、思い当たるところがなかった。
 カズキチが、立ち止まって行った。
 「男はみんな、地獄行きさ。
 後悔、{懺悔|ざんげ}、仕舞いには、己を殺して地獄へ{堕|お}ちる」
 「知命もまだなのに、もう地獄におちるんかァ?」と、エセラ。
 二人は、地獄の館の前に立ちすくんだ。
 「イザナミの母神様が居るのかなァ、あの中」と、カズキチ。
 「母が地獄で、娘は空の上で、息子は海の上で遊び{惚|ほう}けてる。
 変な家族だよな、神様んちって」と、エセラ。
 「神様の家族も、父さんは行方知れずかァ?」と、カズキチ。
 「知らないよ。
 訊いてみようよ、母神に」と、エセラ。
 「はーァ?
 おれ、パス。
 どうしても行くって言うんなら、おれ、見張りやっといてやるよ」と、カズキチ。
 「好きにすればいいよ」と、エセラは言って、するりとカズキチに背を向けた。
 
2024.3.23 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 然修緑 第2集 第10回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第10回

 一、想夏 (9)

 門人学年 エセラ (美童 齢十三)
 「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将

       歴史を読まないから未来が亡びる

 調査によると、亜種に係わらず、父兄や教師や子等にも係わらず、日本人は、本を読まなくなった。

 特に、肝心な子等が、{甚|はなは}だしく読まなくなった。
 その傾向は、学年が上がるほど、徐々に読まなくなってゆく。
 学校に通うだけで精一杯で、疲れ果て、教養のための読書や人間力を養うための読書をしようという気力が、残っていないのだ。
 だから、親や先生が薦めてくれた本にも、興味が起こらない。
 本に対してがそんなだから、なんに対しても、無関心になってゆく。
 一ヶ月の読書時間が数時間という、怖ろしい調査結果もある。
 こんなに大きな問題にも係わらず、{日|ひ}の{本|もと}の行く末のあまりの怖ろしさに、マスコミもメディアも、この問題に触れようとはしない。

 ヨーロッパの人たちの現状と比較してみても、その恐ろしさは明白だ。
 ヨーロッパ諸国の大人たちは、何かと暇を作っては、ギリシャやローマの古典、フランスやイギリスの著名なモラリストの本を、読み{漁|あさ}っている。
 言わずもがな、対して我が国の大人たちは、歴史や人間の生き方に関する本どころか、読むことすらしない。
 マンガやアニメから、知らず知らず歴史やモラリズムを学んでいる大人たちは、まだマシ、辛うじてまだ救える崖っぷちの人間たちと、言えるのかもしれない。

 {聖驕頽砕|せいきょうたいさい}でアメリカの保護国となり、日の本の国が亡んだまさにその前後、英国が反面教師として、素晴らしい教材を、日本人に授けてくれていた。

 英国のG・オーエル、彼{曰|いわ}く。

 「最近十数年に於けるイギリス生活の支配的な事実の一つは、支配階級の能力の低下ということである。
 特に一九二〇年から四〇年にかけては、それが化学反応のような速さで起こりつつあった。
 何故か支配階級は墜落した。
 能力を、勇敢さを、遂には強情さまで失って、外見だけで根性の無い人物が立派な才幹を持った人物として立てるようになった。
 ――けれども一九三〇年代から起こった帝国主義の一般的{衰頽|すいたい}、又ある程度までイギリス人の志気そのものも衰頽したことは、帝国の沈滞が生んだ副産物の左翼インテリ層の{所為|せい}であった。
 現在忘れてならないのは、何らかの意味で左翼でないインテリはいないということである。
 彼等の精神構造は各種の週刊月刊の雑誌を見ればよくわかる。
 それらのすぐ目につく特徴は一貫して否定的な、文句ばかり並べて、建設的な示唆が全く無いことである。
 料理はパリから、思想はモスクワからの輸入である。
 彼等は考え方を異にする一種の島をなしている。
 インテリが自分の国を恥じているという国は大国の中ではイギリスだけかもしれない。
 国旗を冷笑し、勇敢を野蛮視する、こんな滑稽な習慣が永続できないことは言うまでもない」

 彼は、このようなことを各方面で公平{辛辣|しんらつ}に観察しながら、{斯|こ}うも論じている。
 「最後はイギリスがそれとわからぬくらいに変わっても、やはりイギリスはイギリスとして残るであろう」

 「イギリス」という言葉を、「日の本」に変えても、当て{嵌|はま}まらなくなる部分は、一句も一字もない。
 我が国は、せっかくの反面教師から一切名何も学ぶことをせず、全く同じ道を辿ったのだ。
 せめて、わが国を反面教師として、墜落や滅亡を免れる国があり、国民が居ることを、切に願う。

 我ら日本人は、これから互いに殺し合い、真の滅亡を阻止するのみ。
 
2024.3.17 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第14回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第14回

   一、想夏 …… 立命期、最後の一年 (4)

 良く晴れた昼下がり、この自然{民族|エスノ}の集落の{子等|こら}は、太陽神への恐れを知らない。
 浦の砂浜に集い、思い思いに転がって過ごす。

 仰向けになって目を細めて太陽神を見遣っていメロンが、唐突に言った。
 「なんで男の子たちって、太陽に向かって吠えるのォ?」
 首を右へ振ると、磯女が住むと伝えられる崖が見える。
 この辺りの砂浜は、ダキの浜と呼ばれている。
 エセラが困った顔をしていると、横からカズキチが口を出した。
 「めろんちゃんは、花子ばァばに似たんだな」
 「わたしはァ?」と、ほのみ。
 「おまえは、ゆか里おばちゃん、そのまんまだろッ!」と、カズキチ。
 ほのみは、「わたしがァ? 似てるぅ?」と独り{言|ご}ちながら、砂の上に放り出していた教学書を片手で拾い上げ、立ち上がった。
 そして、ビシッと言った。
 「えみみもめろんも、いつまでもアマテラス様を見てるんじゃないよ。
 {眩|まぶ}しいでしょ?」
 「母さん、あんな風に見えてるのかァ。
 わからん!」と、エセラがぽつり言った。
 「ゆか里おばちゃんが優しいのは、おまえとトモキにだけだ」と、カズキチ。
 「父さんが厳しかったから、そう見えるだけさ」と、エセラ。
 えみみとめろんが、立ち上がった。
 トモキが、言った。
 「ぼくも、もう見ちゃダメ?」
 「吠えたくなるまで、見てろッ!」と、エセラ。
 カズキチが、顔をエセラの方に振って言った。
 「そこは、丁寧に教えてやれよ」
 「無理。
 こいつ、生まれたその瞬間から、ずっと反抗期だから」と、エセラ。
 「まァ、どこの兄弟も、そんなもんだろう。
 確かに、他人の言葉のほうが、真剣に耳を傾けるかもな」と、カズキチ。
 「それは、あるな。
 じゃあ、よろしくぅ♪」
 そう言うとエセラは、また太陽神の方に向き直って、目を閉じた。
 カズキチが上体を起こすと、トモキもそれに{倣|なら}った。
 カズキチが、言った。

 「太陽の光に浴さねば、生きものは育たん。
 ヒトも、生きもんだ。
 特に男は、太陽に浴さねば、心が育たん。
 理想と精神のことだ。
 情念を燃やして、理想に向かう。
 それは、太陽に全身を向けて、太陽神を仰ぎ見ることに等しい。
 それを怠ると、徳が育たん。
 徳が育たんかったら、才能も芸能も、発揮できん。
 おれたち男がやることは、女には理解できんことが多い。
 当然だ。
 おれたちも、女のやることのほとんどが、理解できん。
 でも、それでいい。
 女の言うことが理解できるようになっちまったら、おれたちは、両生類化したことになる。
 それを退化と見るのが男で、進化と見るのが、女だ。
 おれたちの仕事は、戦うことだ。
 それは、事実だ。
 どんなに否定したところで、事実は動かん。
 事実は事実で、正しいも間違いもない。
 そう考えるのが男で、そうは考えれんのが女だ。
 これは、差別ではなく、区別だ。
 この区別が、事実の{証|あか}しだ。
 どうだァ。
 {解|わか}ったかァ?」

 そう訊かれて、「わからん!」とは、さすがのトモキも言えなかった。
 「解らなかったら、男じゃない」みたいなことを言われて、「解ったかァ?」と訊かれれば、「解った」と答えるしかないではないかァ!
 トモキが、言った。
 「わけわかんねーぇ!!」
 「だから、言っただろッ!
 教えるって、お前が考えてるほど簡単じゃないんだ」と、エセラ。
 「おれは、学師には向いてないってことかァ」と、カズキチ。
 「おれもおまえも、学師にはならず、{仕来|しきた}りの旅を続けたほうがよさそうだな」と、エセラ。
 「ウメキ先輩、苦労が多いんだろうな」と、カズキチ。

 ウメキは、寺学舎の最高学年で、学師を任されていた。
 寺学舎の大半の講釈は、この学師が行う。
 「ウメキ」の名前を聞きつけたえみみが、叫んだ。
 「あたい、ウメキ先輩、好きだよ。
 だって、優しいじゃん」
 えみみは、砂浜の脇に転がっている消波ブロックの上に腰掛けていた。
 「女と植物には優しいからな、ウメキ先輩は……」と、独り言ちるエセラ。

 川向うの平野の町では、時おりミサイル攻撃があるので、子どもたちは、学校には通っていない。
 でも、この半島の突先の港町と浦町あたりは、まだその心配はなく、今でも{美童|ミワラ}たちは、寺学舎に通っている。
 寺学舎では、今も昔も、主に人間学を教えている。
 思いを鍛え、考えを深くし、行動を重んじる。
 各地に寺学舎は存在するが、その何れも、臨済宗か、曹洞宗か、日蓮宗の寺だった。
 自然{民族|エスノ}の集落では、神社も、重要な役割を担っている。
 先の何れの宗派の寺も存在しない集落では、神社を学舎に使っているところもある。

 この暑い盛りの季節、寺学舎に通うのは、朝と夕方だ。
 カズキチが、顔をエセラのほうに向けて、合図を送ってきた。
 {俄|にわ}かに立ち上がった二人は、海岸沿いを歩き出した。
 エセラは、何気に思った。
 母のゆか里が、エセラとトモキにだけ優しいというのは、カズキチの誤解だ。
 エセラから見れば、母は、すこぶる{外面|そとづら}が良い。
 その外面が良いところを見て、「怖いオバハン」に見えているのだ。
 家の中で見せるその素顔は、そのまんまの怖いオバハンにプラスして、ねちっこい{面倒|めんど}っちい母親である。
 特に厄介なのが、ほのみの報告だ。
 その日の周りの言動の委細を、母ゆか里に報告するのだ。
 母にしてもほのみにしても、性を{違|たが}えているとは{云|い}え、えーかげん王子のような{大雑把|おおざっぱ}なエセラと同じ血が通っているとは、どうにも考え{難|にく}い。

 エセラとカズキチとほのみとえみみは、海岸沿いに歩いて寺学舎へと向かい、トモキとめろんは、谷川沿いの峠を歩いて、家路につくのだった。
 
2024.3.16 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 然修緑 第2集 第9回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第9回

 一、想夏 (8)

 門人学年 エセラ (美童 齢十三)
 「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将

       闘いから、戦いへ

 一、心を鍛える イコール 闘い
 二、敵を亡ぼす イコール 戦い

 亜種記にあったムロー学級の先輩たちは、闘った。
 それで、よかった。
 でも、ぼくらは、戦わなければならない。
 時間は、止まってはくれないからだ。

 {日|ひ}の{本|もと}最古の兵書、『闘戦経』を読んだ。

 兵者は{稜|りょう}を用ふ。

 兵を使う者は、鋭気や威厳といった気力がなくてはならない。

 動機付けの質に{因|よ}ると思う。
 その目的が、世のため人のためで崇高であり、強い使命感が{漲|みなぎ}らない限り、真の気力を備えることなどできないと思う。

 兵を使う者とは、兵隊の上に立つ者のことだ。

 稜は、山の稜線の「稜」の文字。
 物の{角|かど}の意味だ。
 そこから、鋭い鋭気、動じない心、威厳、士気などが連想される。

 上に立つ者は、気力に溢れている。
 何も言わずとも、部下たちは、上の者の背中を見てついて来る。

 ある神話がある。
 日本人は、本当に不思議なもので、お人好しで、しかも、さぼることをあまり考えない。
 だから、上に立つ者が気力に溢れていると、激怒、{叱咤|しった}、激励などしなくても、部下たちは、一所懸命に働いてくれる。
 神話は崩れ、我らは亜種に分化し、退化が止まらない。

 ニーチェの語録に、こんなのがあるそうだ。
 「情熱の矢となって飛べ」
 確かに、飛び出した矢は気力に溢れ、鋭い稜線を引きながら、飛んで行く。
 まさに、「兵者は矢を用ふ」だ。

 でも、鋭いだけではダメだ。
 速く飛ばなければ、意味がない。
 速ければ速いほど、{同胞|はらから}たちは、気力のままについて来る。
 遅いと、道草をしたり、挙句は離脱、最悪は、離反する。

 ヒト種のため、すなわち人類のためなんだから、世のため人のためのであることは、疑いようもない。
 これ以上、崇高な目的はないと言っていい。
 それでも、使命感が漲らないとしたら、退化の進行に負けたということだ。
 だから、速さが大事なのだ。

 ぼくらの退化は、すでに仕上げの工程に入っている。
 完成させてはならない。
 万が一完成を見て、それが世に出荷されたら、人類は、今度こそ亡びる。

 ぼくらの代から、変わったのだ。
 闘いは、戦いへと。
 
2024.3.9 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第13回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第13回

   一、想夏 立命期、最後の一年 (3)

 夏も盛り、ある夜のことだった。
 エセラは、{仕来|しきた}りの旅への焦りで、寝つけない夜を過ごしていた。
 そこへ、ほのみたちを寝かしつけたばかりの母が、エセラの枕元に座った。
 そして、意味ありげに、小声で語りはじめた。

 「おまえの知らないことが、いっぱいあるんだよ。
 不思議なこと、そして、神秘も。
 そのほとんどが、おまえが生まれる前に起きたことさ。
 母さんも生まれていない、もっと昔のことさ。
 だからなんだかどうなんだか知らないけど、その神秘さのなかに、真実があるように思えるのさ。
 その昔ってころは、どんなだったんだろうねぇ。
 きっと、今と同じなんだと思う。
 生きものがこの世に産まれて、そして、どんどん死んでいく。
 きっと、この先も、昔のままさ。
 でも、人間は、変わってしまった。
 三つの亜種に、分化した。
 それだけなら、退化しようが自然に絶滅しようが、大した問題じゃない。
 でも、文明の亜種の連中は、変わらないものを良しとしなくなってしまった。
 海、山、空……そうさ。
 自然さ。
 自然の一部だってのに、その自然の存在が気に入らないのさ。

 ねぇ、エセラ。
 だから、戦わなきゃならないのさ。
 和の亜種の人たちって、昔ね、文明の亜種のやつらに、旧態人間って呼ばれてたんだ。
 ヒトの原型って意味だろうけど、悪意がこもってる。

 あのね、エセラ。
 死を、よく理解しなさい。
 何年かかってもいい。
 知命が遅れて、無知運命期って呼ばれたっていい。
 ヒトは、神秘なんだよ。
 自然の一部なんだから、当然のことさ。
 それをちゃんと理解して死ねば、また母さんに逢えるよ、きっと。
 母さんは、先に{逝|い}くからねぇ。
 父さんは、もっと早いかもね。
 あたいら自然{民族|エスノ}は、七の倍数で生きてる。
 人生は、七年が七回。
 この一年で、二回目の七年、少循令が、終わる。
 同時に、立命期も終わる。
 来年の夏から、おまえも、運命期の{武童|タケラ}だ。
 仕来りの旅のことで、踏ん切りがつかないんだろッ?
 いっそ、寺学舎のみんなを連れて、集団で旅をしてみたらどうだい。
 亜種記に、書いてたじゃないか。
 ムロー学級がみんな離島疎開して、それが仕来りの旅になったんだって。
 今は、ウイルスは飛んでこないけどねぇ。
 その代わりに、ミサイルが飛んでくる。
 狭いこの{日|ひ}の{本|もと}の島国の中で、ミサイルを撃ち込んでくる。
 正気の沙汰じゃない。
 早くやつらを亡ぼさないと、あたいらの国は{疎|おろ}か、ヒト種が絶滅しちまうよ。

 そうだ!
 どうせ、まだ眠れないんだろッ?
 お風呂、入ろうよ。
 薪、くべるけん、先に入りんさい!
 母さんは、{熱燗|あつかん}もお風呂も、{温|ぬる}めが好きだからさ。
 やれこらのォ。
 よっこらしょっとーォ♪」

 湯舟の底で揺らめく底板をぼんやり見ながら、エセラは、大先祖様のまぐわいの話を思い浮かべた。
 ふと顔を上げると、開け放たれた木枠の窓から、ほっぺをほんのりと赤らめた母さんの顔が、覗いていた。
 薪をくべて、顔がほてったのだろうか。
 エセラは、{手淫|しゅいん}を見られた恥ずかしさよりも、母に無言で見つめられていたことに、穏やかでない理性を感じずにはいられなかった。 
 
2024.3.9 配信
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EF ^^/ 然修緑 第2集 第8回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第8回

 一、想夏 (7)

 門人学年 エセラ (美童 齢十三)
 「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将

   海賊って、なに?

 ぼくらのご先祖さまは、{能登守教経|のとのかみのりつね}の軍勢の{傭兵|ようへい}だった野島水軍の海賊……だったと、堅苦しい本をいっぱい出している出版社の新書に、書いてあった。

 なので、その反動を言い訳にして、少し柔らかい本を、たくさん読み{漁|あさ}っている。
 そんなとき、ふと……(海賊って、なんだろう?)と、思った。

 「海で生き延びるには、好奇心と創造力が必要だ」と、父さんが言っていた。
 当時はまだ、好奇心の意味も、創造力の意味も、知らなかった。
 どうして、そんなことを、ぼくに言ったんだろう。

 ぼくらは、文明{民族|エスノ}と闘うために、心を鍛えている。
 でも、実際の戦いとは、たぶん、ミサイルが飛び交うことだと思う。
 もし、水爆のミサイルを打ち合ったら、人類全体が、亡んでしまう。
 でも、それより破壊力の小さい原爆なら、首都だけを効率よく効果的に亡ぼすことができる。
 首都が、もし国境から離れていれば、隣国への放射能の影響も、少ない。
 だから、島国の首都は、絶好の標的となる。

 だったら、自国の首都に核ミサイルを撃ち込まれる前に、その核ミサイルが保管されているところを、先に攻撃すればいい。
 そうすれば、自国の首都を護ることができる。
 でも、人間という動物は、戦うことにかけては、頭がよく回る。
 核ミサイルは、海の中にある。
 原子力潜水艦の中。
 なかなか見つからないばかりか、好きな時に、好きなところに行って、どこからでも、核ミサイルを発射できる。
 だから、深い海底に隠れることができる領海を持っているアメリカとロシアが、最強なのだ。
 この強大な二国が、北海道のすぐ北西と北東の深い海の底で、互いに核ミサイルを搭載した原子力潜水艦を潜航させながら、{睨|にら}み合っている。

 狙われ易く、利用し易い国……それが、ぼくらの国、{日|ひ}の{本|もと}なのだ。

 それで、納得できた。
 いまの中国は、浅い海の領海しか持っていない。
 だから、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦を隠すために、広くて深い領海が、欲しいのだ。

 どこ?
 そうかァ。
 だから、南シナ海なんだ!

 南シナ海さえ自分たちのものにしてしまえば、ごちゃごちゃと内政に干渉してくるアメリカに対して、対等で言い返すことができる。
 強い国から無理矢理に制度を変えさせられたり、力ずくで領土を取られたりする心配も、なくなる。
 しかも、アメリカと対等になれば、太平洋の西半分を、中国の縄張りだと、アメリカに認めさせることだって、できるかもしれない。
 南シナ海を領海にすることは、中国にとって死活問題だし、中国三千年の悲願なのだ。

 ロシアにしたって、北海道の北のオホーツク海の深海に隠れて、アメリカを狙ているのだ。
 北方四島を領土にすることは、ロシアの長年んぼ悲願だったに違いない。
 (死んでも返すもんかッ!)って、きっと思ってる。
 それなのに、「返してください」ってお願いしてるぼくらの国って、どこまでナイーブ(お人好しの世間知らず)なんだろう。

 それよりも、ぼくらヒト種の分化と退化を止めることのほうが、誰が考えたって先だろう!
 このまま{放|ほお}っておけばいいって、最初は思ってたけど、そんなことをしたら、ぼくらの亜種が亡ぶのは時間の問題だし、行く末は、ヒト種全体が、亡んでしまう。

 だから、ぼくらは、戦わなければならない。
 亜種記には、ヒノーモロー島やザペングール島に、ぼくら自然{民族|エスノ}も巨大な工場を持っていると、書いていた。
 隠密で、新型の電脳チップを開発しているようなことも、書いていた。
 でも、基本は、今も昔も、ぼくらは悠久、心を鍛えることを、第一の修行としてきている。
 心を、どうやって武器に変えるんだろう。
 それができなければ、ぼくらの亜種は、一番に亡びる。

2024.3.3 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第12回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第12回

   一、想夏 立命期、最後の一年 (2)

 武家屋敷になぞらえるならば、そこに、おはぎが登場しても、不自然ではない。
 でも、ここで武家屋敷に譬えたのは、精神面でのことだ。
 生活面でなぞらえるなら、オンボロ長屋で暮らしている貧乏一家である。
 そこに、高級和菓子のおはぎは、似つかわしくない。
 おはぎは、エセラの父の大好物だった。
 でも、この一家に、うるち米も粒あんも、買えるはずもない。
 おはぎとは名ばかりで、麦飯を俵形に握って、ひじき煮をまぶしただけの、云わばひじきのおにぎりだった。
 この家に初めて本当のおはぎが登場したのは、エセラの父が出て行って暫く経ってからのことだった。
 父からの仕送りが、始まったのだ。
 大した金額だったことは一度もなかったが、封筒の中のお札を包んでいる便箋に、彼ら自然{民族|エスノ}にとって最も価値があることが、書かれてあった。

 その夜も、エセラの家族恒例の夜会が、始まった。
 {美童|ミワラ}たちは、他人の前では無口である。
 でも、{同胞|はらから}の親族だけの集まりになると、みな{饒舌|じょうぜつ}になった。
 ほのみが、言った。
 「ヒトだけ、変だよね。
 鹿さんも、ウリ坊くんも、たぬきさんも、みんな普通なのに、ヒトだけ、変だよね。
 ぼさぼさの茶色い髪の毛の男の子、灰色でぺちゃんこの髪の毛のオッサン、真っ白い毛の塊を、滑り落ちそうな頭の地肌の上に載せているお爺さん。
 ヒトだけ、変なことばっかやるよね。
 亀さんなんか、何も変わらずに長生きするんだから、すごいよね。
 ヒトだけ、なんでいつも、変わろうとするのォ?」
 「亀さんだて、変わるのよ」と、ゆか里。
 「どこがァ?」と、えみみ。
 「亀に訊けばァ?」と、トモキ。
 「亀になってみれば、自分が、その答えを教えてくれるよ」と、エセラ。
 「亀になれるのォ?」と、めろん。
 「亀の気持ちになってみればって意味さ」と、エセラ。
 「相手の心の中に入って、そこから自分を観るんだよ。
 武の心、{戈|ほこ}を{止|とど}めさせる技さ。
 {美童|ミワラ}のうちに身に着けとかなきゃ、{武童|タケラ}になってから苦労するんだからね」と、ゆか里。
 「鷺助屋の連中みたいにぃ?」と、ほのみ。
 「あいつらは、そんな修行なんてしないよ。
 そもそもあいつらは、戦いたいんだから」と、エセラ。
 「今、あんたたちが思ってることが正しいだなんて、思わないことだね。
 自分が正しいって思った時点で、ヒトの成長は、終わるんだ。
 一所懸命、一生懸命に生きてみて、やっと判る場合もあるし、そこまで頑張っても、やっぱり判らないことだってあるんだよ」と、ゆか里。
 「いっぱい考えて頑張っても、何も解らないまま死んじゃうこともあるってことォ?
 だったら、何も考えないで死んだほうが、幸せなんじゃない?」と、えみみ。
 「そうだよ。
 ぼく、嫌いな人の心の中になんか、入りたくないもん!」と、トモキ。
 「ヒトっていう生きものはねぇ。
 謎にぶつかると、それをどうしても解きたいって思ってしまう生きものなのさ。
 今、おまえたち、なんでそんなふうに思ってしまうのかって、疑問に思っただろォ?
 だから、なんで疑問に思ったかってことを疑問に思ってしまうと、堂々巡りになって、それもまた、成長を止めてしまうんだよ。
 だから、何を考えれば己の心が成長できるのか、それを考えなきゃダメってことさ」と、ゆか里。
 ……今宵の夜会、終了。

 ほのみたち女子を寝かしつけるのは、ゆか里の役目だった。
 母は、女神の話が好きだった。
 武装したアテナ、霊的なマリア……えみみとめろんは、ほどなく{微睡|まどろ}み、眠りについた。
 ゆか里は、女性的なアマテラスの話が一番好きだったが、そこは、ほのみも母譲りなのか、母の話にアマテラスや{巫女|みこ}たちが出てくると、微睡むどころか、目を閉じたまま耳に神経を集中させて、その話が途切れると、抗議するかのように薄目を開けて、母に訴えるのが常だった。
 
 エセラは、{衝立|ついたて}の向こうから洩れ聞こえる母の話に耳を傾けるうちに、時おり母の話に出てくる男神スサノヲのことを思った。
 アマテラスを慕いながらも、已むに已まれぬ反抗と乱暴が、スサノヲに対する新たな誤解を生み続けていった。
 エセラは、スサノヲのことを思うたび、自分の境遇とその生涯を、スサノヲのそれと重ね合わせた。
 姉、アマテラスとの決別。
 父との決別、母ゆか里との決別、花子ばァばとの決別、そして、妹や弟たちとの決別……。
 (ただの一人だって、ぼくの味方はいないんだ)
 それが、動物として産まれたがゆえの宿命だった。
 それを、否定したいわけではない。
 ただ、それを受け容れるには、エセラは、まだ幼過ぎた。

 裏部屋の腰窓は、{鎖|とざ}されたままだった。
 まだ父がこの家に居たころ、その腰窓は、いつも開け放たれていた。
 窓の外を覗くと、父の姿が見えた。
 雑木林のコナラの木を伐採した切り株をスツール代わりにして、腰を掛けて本を呼んでいることが多かった。
 そして、エセラの視線に気づくと、ニコリともせずに、手招きをする。
 平屋の家を廻り込んで父のところまで行ってみると、いつも、五右衛門風呂用の巻割りを手伝わされた。
 父は、季節を問わず、その雑木林の中に住まっていた。
 粗末な山小屋をこさえていたのだが、それが、さながら秘密基地のように目に映り、エセラが好きな場所の一つになっていた。

 その山小屋の床には、東西の神話の本が、山崩れを起こしていた。
 本の山を崩すのは、いつもエセラの仕業だった。
 父に、本を借りたいと申し出たことは、一度もなかった。
 いつも、盗み読み。
 なぜいつも、父に隠れて本を読んでいたのか、エセラ本人にも解らなかった。
 しかも、盗み読みを自認していながら、崩れた本を元のように整えようとはしなかった。
 (ぼく、ちゃんと一人で生きていくから、今だけは、一人にしないで……)
 そんな思いが、込み上げてきた。
 本の文字が、潤んでぼやけた。
 そして、父がこの家を去ったその夜から、それらの本は、一冊残らず、五右衛門風呂の助燃材となった。

 毛足が摩耗して消滅してしまった毛布を頭から被って、今夜もまた、エセラは眠りに落ちた。
 
2024.3.2 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第11回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第11回

   一、想夏 立命期、最後の一年 (1)

 毎年、そして毎日も、律儀に何かが消えてゆく。
 海水浴場の看板、鳥や魚や貝たち、漁船に桟橋に港の市場、カントダキ屋、イルモン屋……。
 カントダキ屋で「関東炊き」と呼ばれていたおでんは、実に美味しかったし、イルモン屋も、駄菓子とか乾電池とか、絶妙に{要|い}るもんがそれなりに置いてあって、それはそれで便利だった。

 そんななかで、まだある存在たち……。
 墓場の数だけあるお寺、日焼けした子どもたちが少々、灰色に{渇|かわ}いた平屋、すべての存在を迷惑そうに射ているような有害な{眩|まぶ}しさ、益々{廃|すた}れゆく{獣道|けものみち}、荒れた小さな庭と乾いた{薔薇|バラ}の花と雑草に埋もれた鉄平石、{朽|く}ちたゴムタイヤのアスレチック遊具、その古タイヤをベンチ代わりにして動かない老人たちが少々、昼間でも暗闇の森、廃棄物集積所と化した生{温|ぬる}い海、ゲリラ豪雨と豪雪を繰り返す未慈悲な空。

 寺学舎のある港町と、その西隣りで依然ひっそりと{佇|たたず}まっている浦町は、今も昔も、大きく変わったところはない。
 相変わらず、狭いメイン通りの両側にある民家や町工場が、港町のほうは並んでいて、浦町のほうは点在している。
 少女が、港の広場に昆布を敷いて、その両側にジャガイモとショウガを並べて遊んでいた。
 浦町こっこと呼ぶままごとだそうだ。

 港町も、浦町も、{余所|よそ}者を受け{容|い}れる空き家には困らなかったが、働き口がない。
 ただ、この町で産まれた者が、この町の墓石の下に戻ってゆくだけのことだ。

 エセラの父が姿を消してから、もう八年が経つ。
 最後に産まれた次男のトモキは、父親を知らない。
 長女のほのみが{微|かす}かに覚えているくらいで、次女のえみみも、三女のめろんも、父親の記憶はほとんどない。
 そんなわけで、一の{喜|き}家は、母ゆか里と五人の子どもたちの六人家族だ。
 父親は婿入りなので、一の喜の姓は、母方の名字だ。
 そこに、祖母の花子ばァばが、時おり顔を覗かせる。
 花子ばァばは、ゆか里の実母だ。

 相変わらず、花子ばァばの差し入れは、おはぎが多かった。
 エセラは、この想夏で、十三歳になった。
 {美童|ミワラ}たちの誕生日は、みな同じ。
 想夏の初日、八月一日だ。
 エセラは、十三歳になると同時に、学徒学年から門人学年に進級した。
 これから一年以内に、{仕来|しきた}りの旅を終わらせなければならない。
 それは、自由を与えられたことに他ならないのだが、それゆえにエセラは、背後から追い駆けて来る自由と、{腸|はらわた}に重く{伸|の}しかかる自由に、正直、疲弊する思いで日々を過ごしていた。

 ある日、エセラは、己の勇気に問いかけてみた。
 「ぼくのこと、嫌いなの?」
 勇気は、何も応えてはくれなかった。

 ある日、台所で母を見つけた。
 そこで、母に訊いた。
 「ぼくって、馬鹿だと思う?」

 キョトンとした目でエセラの顔を見返した母ゆか里は、そう言った本人のエセラもキョトンとした目をしていることに気づいて、思わず失笑した。
 すると、エセラが続けて言った。
 「あのね、勇気は、ぼくのことが嫌いなんだ。
 かあさんも、ぼくのこと、嫌い?」
 母ゆか里が、応えて言った。
 「かあさんが嫌いなのは、ダイエットを邪魔するやつだけさ」
 「ダイエットって、ぼくら、{肥|ふと}るようなもん、食べてないじゃん」と、エセラ。
 「ばァばが、いつも持ってくるだろッ?
 ……おはぎ」と、ゆか里。
 「禁おはぎだったの?
 おかあさん。
 知らなかった。
 いつも美味しそうに食べてるから……」と、エセラ。
 「あんたたちがお腹の中に居るときはさァ、肥満は胎児に遺伝するからって、頼んでも持ってきてくれなかったんだよ。
 お互い、その反動っていうかさァ。
 おまえたちが産まれると、待ってましたーァ!!って言わんばかりに、繁々と持ってきてくれるんだわァ。
 で、さァ。
 かあさんもさ、嫌いじゃないからさァ、おはぎ。
 しかも、ばァばのおはぎって、ハンパないじゃん。
 あの美味しさったら……。
 だからさァ、ついつい食べ過ぎちゃうのさ。
 悪いのは、ばァばだよ」と、ゆか里。
 「ふーん。
 だから、ダイエット?
 かあさんが肥ってるところ、見たことないけど。
 ダイエットしてるから?
 てか、なんでダイエットしよう思うたん?」と、エセラ。
 「嗚呼、やっぱり……」と、ゆか里。
 「何がァ?」と、エセラ。
 「油断しとったら、またやられてしもうたじゃないねぇ!
 あんたの{面倒|めんど}っちい質問攻めに巻き込まれることよねぇ!」と、ゆか里。
 母の唇は{歪|ゆが}んでへの字を描いていたが、目は笑っていた。

 ゆか里のダイエットの{経緯|いきさつ}……。
 浦町から東も東、大きな川を渡ったところに平野が拡がり、文明の町がある。
 文明{民族|エスノ}が住まっている。
 そこに、エセラの叔母の家族が住んでいる。
 はな美……ゆか里の妹だ。
 家父長の山田{青竜|しょうたつ}、一人息子の{陽洋|ようよう}の三人家族だ。
 はな美は自然{民族|エスノ}の{武童|タケラ}、青竜は和の{民族|エスノ}、その二人の間に産まれ陽洋は、事情あって和の{民族|エスノ}となる。
 
 元来心配性の花子ばァば、何かにつけて、いそいそせっせと、はな美の住まいまで足を運んでいた。
 おはぎが、その*何かに*に一役買ってたことは、言うまでもない。
 昨今、大人でも、おいそれと文明の町に足を踏み入れれば、命取りとなる。
 それが、数年前までは、失命に迫られるほどの危険はなかったのだ。
 ある日、ゆか里は、花子ばァばに誘われて、かばん持ちならぬ、おはぎ持ちの役を担って、妹はな美の住まいを訪ねた。
 その時に見た妹はな美の姿が、衝撃的だった。

 「何をぶくぶく{肥|ふと}っとんねぇ!
 あんた、任務忘れたんねぇ!
 ぼーれぇ、肥っとるじゃないねぇ!
 えーかげんにせんとォ、なんぼ妹じゃいうても、ブチくらわすでぇ!
 かあさんもかあさんよねぇ。
 おはぎばァ持ってくるけぇ、ぶくぶくぶくぶく、ぶくぶくぶくぶく肥るんよねぇ。
 ちーたァ考えんさいやァ、あんたらァ!」
 ……と、ゆか里。
 「まァ……まァまァ」と、恐る恐るなだめる花子ばァば。
 無言……落ち込む妹、はな美。

 まあ、そんなこんなの経緯で、妹を反面教師にしたゆか里が、自主的にダイエットを始めたというわけだ。

 台所でゆか里とエセラが立ち話をしていると、防空壕跡に沿った通路を除いてはこの家に一間しかない部屋……八畳の間から、ぞろぞろと子どもたちが這い出て来た。
 腹が{空|す}くと、動き出すのだ。
 一番、長女ほのみ、十一歳。
 二番、次女えみみ、十歳。
 三番、三女めろん、八歳。
 四番、次男トモキ、七歳。
 以上、まるで整列登校。

 班長のほのみが言った。
 「今日は、おはぎ{来|こ}んのん?」
 「おはぎじゃないでしょ?
 花子ばァばでしょ?」とゆか里。
 「そうとも言う」と、トモキ。

 この時代、言うなれば、乱世の武家屋敷のひとコマ……であることは、紛れもない事実なのではあったが……。 

2024.2.25 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 然修緑 第2集 第7回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第7回

 K2694年 想夏
 エセラ
 立命期 少循令 鐡将

   警醒から学ばねば、自覚は邪知に堕ちる

 知命に残された猶予は、あと一年。
 十四の年から運命期に入り、晴れて{武童|タケラ}となる。
 この一年で{仕来|しきた}りの旅を終えて知命しなければ、{美童|ミワラ}のままで、運命期ではなく、無知運命期となる。

 先人の教え……古教は、現世の危機を救う{警醒|けいせい}である。
 それを自覚するが、学問。

 {聖驕頽砕|せいきょうたいさい}の戦いで国が亡んで以降、日本人は、学問をしなくなった。
 {日|ひ}の{本|もと}の国を被保護国として合法的に占領したアメリカも、敗戦の混乱に乗じて北方の領土を不法占拠したロシアも、日本人に国土を荒らされて軍国主義という邪知にに目覚めてしまった中国も、密かに{強|したた}かに学問に努めて、独立国家を堅持している。

 亡んでしまったものを、今更どうこう言っても仕方がない。
 聖驕頽砕とは、よく言ったものだと思う。
 聖戦と称して、有色人種の独立運動を助ける。
 確かに、戦い始めた当初は、亜細亜の東や南東の民族から、「独立の兄」などと呼ばれて、その胸には正義があったんだと思う。
 ところが、単純な日本人は、周りの民族から祭り上げられて、{驕|おご}り高ぶり、その胸の中の心の根が腐り、{頽廃|たいはい}してしまった。
 {挙句|あげく}、{玉砕|ぎょくさい}。
 {終|しま}いに、亡んだ。
 一部の{為政者|いせいしゃ}たちの、{自業自得|じごうじとく}。
 国民は、大きな迷惑だ。

 日の本の国は、軍国主義に走って滅び、中国も、同じ道を辿ると言われている。
 ここで、不思議なことがある。
 東洋哲学は、なぜ崇高なのか。
 言わずもがな、中国の古教だ。
 日本にも、兵書の闘戦教、吉田松陰の詩、教育勅語と、中国の古教にも引けを取らない警醒の哲学がある。
 なぜ、荒廃して亡んだ日の本や、亡びゆく中国の{古|いにしえ}の時代に、{斯|か}くも崇高な哲学が生まれたのだろうか。

 優れた為政者たちが{鎬|しのぎ}を削っていた維新・明治の時代……どんな時代だったんだろう。
 彼らは、こぞって、王陽明の教えを学んでいた。

 王陽明が生きたのは、中国の明代後半。
 明朝を開いた太祖の{朱元璋|しゅげんしょう}は、まったく一介の野人から身を起こして天下人となった。
 {志那|しな}二十四史だか二十五史だかの中でも、極めて珍しいケースだ。
 まさに、希代の始まり。
 朱元璋は、貧農の生まれで、皇覚寺という貧乏寺の修行に出されて、小僧となった。
 早い話が、山寺の乞食坊主だ。
 この頃、宗教の{匪賊|ひぞく}、教徒を中心に貧しい者たちが決起して、大動乱を起こす。
 いわゆる、{紅巾|こうきん}の賊だ。
 朱元璋は、この動乱に身を投じ、たたき上げのさなか師につき、{孜々|しし}として書を読み、猛烈に学んで道を修め、教学や文化に大きく貢献するに{止|とど}まらず、終には皇帝の座に着くのである。

 でもまァ、人も世も、いずれは{緩|ゆる}む。
 驕り高ぶって亡んだ日本人も、例に漏れない。
 自分の座を守ることに気を持って行かれると、周りの誰もが信じられなくなる。
 疑心暗鬼が度を増すと、戦友や親友をも暗殺する。
 そうなると、己の周りの取り巻きは、性根の腐ったイエスマンばかりとなる。

 斯くして希代明朝は、次第に衰退してゆく。
 王陽明は、その中期、衰退への混乱がやや小康している頃に現れた。
 時代は、{俄|にわ}かに物情騒然、乱世へと転がり落ちてゆく。

 そんな中、王陽明は、匪賊の{叛乱|はんらん}の鎮定に派遣され、宮廷に戻されると、{奸臣|かんしん}たちの迫害を受けながら、毅然として哲学の重要性を主張した。
 その学問や弟子たちへの教示は、叛乱鎮定で派遣された戦地や、宮廷の{帷幕|いばく}を縫って行っていた。
 まさに、活学だ。

 この時代も、現代と変わらず、学問だの教育だのといったものは、{官吏登庸|かんりとうよう}試験の科挙に合格するための功利的にして暗記型の勉強に過ぎなかった。
 そんな時代背景にあって、王陽明は、失われた道徳を回復すること、人格を磨くこと、身心ともに学ぶことを、講じ続けた。
 これが、世にいう聖賢の学だ。

 しかも、これを健常な身体でおこなったのではない。
 若いころから肺病を患い、{病躯|びょうく}を押して血を吐き吐き、戦で負傷して包帯を巻き巻きしながら、終に足腰が立たなくなってからも、講じることを止めなかった。

 王陽明は、優れた為政者であり、優れた将軍であり、優れた哲学者であり、優れた詩人であり、優れた書家であり、親孝行で心優しい家父長でもあったのだ。
 
2024.2.23 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂