MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

東亜学纂学級文庫

『息恒循』を学ぶ

一息80 ミワラ〈美童〉の後裔記 R3.4.16(金) 夜7時

#### 後裔記「自室文化♪ カアネエ偏と、シンジイ編」 少年スピア 齢10 ####

 *予感*! カアネエとシンジイとの*最後*の対話の夜が、もう間近まで迫ってきている。カアネエの*自室*と、シンジイの*自室*……まるで遠い過去を回想するかのように、*懐かしんでいるぼく*がいる。

 一つ、息をつく。

 梅子さん……かァ。
 カアネエを、連れに来たのかな。
 「何してんのよッ! ぐずぐずしてないで、さっさと{発|た}ちなさいよーォ!!」……なんて会話、してるのかな。
 じゃない。対話だったね。対話が大事。あァ、失礼しました。これ、マザメ先輩の然修録の話ね♪

 それにしても……が、二つ。
 ひとつ。対話の相手、今のままでいいのかな。これで、いいのかな。何か、学べてるのかな。少しは、進歩できてるのかな。
 ふたつ。この島の女子たち。マザメ先輩。カアネエ。小鹿の{乙女子|おとめご}ちゃん。{燕|ツバメ}の梅子さん……{何|なん}だかなーァ!! どうなんだか、まったく!
 で、その対話だけど。
 カアネエとの対話、そして、シンジイとの対話。
 どちらも、ごくごく日常的のこと。
 でも最近……ただの予感……何故か、的中しそうに思ってしまう……(今夜が、最後かもな)って……{勿論|もちろん}、たぶん♪……でも、きっと……みたいな。
 
 カアネエの家……{所謂|いわゆる}一つの六畳{一間|ひとま}の自室。
 ここ最近、観察するに、お別れを感じさせる{霊的な雰囲気|オーラ}が、充満している模様。廊下を挟んだぼくの家……{況|いわん}やそれは、もう一つの六畳の間。その自室に閉じ{籠|こも}っていても、それを感じることができる……てか、ぼく自身が、それを感じようとしているのかもしれない。

 カアネエは、詩を好んでいた。特に、和の{民族|エスノ}が{著|あらわ}した現代詩。
 今日この頃のぼくも、読書を好んでいる。ぼくの家……その自室には、多種多様な本が、到るところ、{然|しか}るべきでないところに、並べられたり、重なったり、積み上がったりしている。
 その点、カアネエは、{正|まさ}に血を異としていた。カアネエの部屋には、開かずの三面鏡と、小さな書棚が一つ、その二つが、壁際に置かれているのみだ。他には、時折……{或|ある}いは{頻繁|ひんぱん}に、万年床の寝具が、横たわっている。
 その小さな書棚の中以外に、蔵書の居場所は無い。しかもその蔵書は、ぼくが知る限り、増えもせず、減りもせず、入れ替わりもしていない。全部で、十七冊。十六冊が小説で、一冊だけが、カアネエ一番のお気に入りの詩集。
 小説は、外国人作家が七冊。『青空』、『遠い声・遠い部屋』、『熱い恋』、『城』、『変身』、『運命の町』、『密林・生存の掟』。
 日本人作家が、九冊。『海辺のカフカ』の上巻と下巻、『約束の冬』の上巻と下巻、『沈める滝』、『まほろば駅前多田便利軒』、『愛しの座敷わらし』の上巻と下巻、『ウメ子』。
 そして詩集が、『絶章』。
 シンジイが寝酒をやるように、カアネエは、寝読をやる。それも、この十七冊限定の、ローテーション!
 同じ小説を何度も読み返すカアネエの心理を、ぼくの脳ミソは、理解できそうもない。それ以前に、ぼくの血は、そのことに興味すら示さない。ぼくの血も、脳ミソも、シンジイの寝室に居並んでいる大きな書棚のほうに、興味をそそられてしまっているのだ。
 ぼくとカアネエの部屋は、廊下を挟んで、下半分が{擦|す}りガラスの障子で、仕切られている。どちらの部屋のガラス障子も、凍えるような二階にあっても、開けっ放しになっていることが多い……にも{拘|かか}わらず、カアネエの部屋は、どうにも、立ち入り{難|がた}い。

 さて、そこへいくと……。
 シンジイの部屋は、実に、開放的だ。
 では、開けっ{広|ぴろ}げなのかと問われれば、そんなことはない。
 共用部である居間との境界には、全面に{欄間|らんま}と{長押|なげし}と{鴨居|かもい}と{襖|ふすま}と{敷居|しきい}が{施|ほどこ}されている。最近の記憶で言うと、その襖は、いつも閉め切られている。
 飾り付きの通風口である欄間は、言わずもがな開けっ広げな訳なんだけれど、長押はそんなに高くはないとはいえ、その上にある欄間は、さすがにぼくの背丈じゃ、ジャンプしても中の様子を{覗|のぞ}けそうもない。
 なので、普段は、完全に閉め切られているに等しい。
 だけど、大努力してジャンプなんかしなくっても、襖の開閉が、全く気兼ねが{要|い}らないのだ。
 出入りは、自由だーァ♪ ……みたいな。
 仏壇には、{瓶|ビン}ビールと、{カルピコ|CALPICO}と印刷された乳酸菌飲料のボトルが、いつも{供|きょう}されている。
 {床|とこ}の間には、中世の{日|ひ}の{本|もと}の{兜|かぶと}と、北米カナダの海岸に打ち上げられた{米杉|ウエスタンレッドシダー}の流木が置かれ、その背面の壁には、東洋の書と絵の掛け軸がそれぞれ一本づつ、並んで{床掛|とこが}けにされている。
 その床の間と仏間が並んでいる右側は、押し入れがあるだけで、左側は、二階と同じガラス障子で、廊下と仕切られている……が、部屋の中からは、そのガラス障子は見えない。
 ぼくの背丈よりも高い、粗末な木製の箱のような書棚が、七つ、ビッチリ!ギッシリ!と、居並んでいる。
 しかも、{有難|ありがた}いことにというか、ご{丁寧|ていねい}にというか、{几帳面|きちょうめん}にというか、古本屋の書棚よろしく、手書きの{索引札|インデックス}が、差し込まれている。
 「陽明学」、「安岡教学」、「儒学と東亜哲学全般」、「アドラー心理学」、「唯識と原始仏教全般」の五つが幅を{利|き}かせている他は、密に、重なり合うように、索引札が、差し込まれている。
 例えば、直感力、発明発想法、三島文学、史記の列伝と三国志、平家の史伝、ジャズ、インスツルメント・ギター、プログレッシブ・ロック、アルバム・オリエンテッド・ロック……と、まだまだ続く。
 歴史に、文学に、政治学に、植物に、天体に、外洋ヨットに、ロープワークに、建築に、宅地建物取引……と、一冊しかない{分類|ジャンル}にまで、索引札が、差し込まれている。
 なーんじゃ、このオッサン……てか、爺さん!
 そもそもの話……(今どき、自室に本を並べているのは、自然{民族|エスノ}と、一部の本好きの和の{民族|エスノ}くらいなものだろう)と、思うぼくなのであった。

 {何|なん}で、カアネエとシンジイの自室のことを、まるで回想して懐かしむかのように書いていいるのか……考えてみると、無意味というか、目的不明というか、なんだか自分でも、{可笑|おか}しくなってくる。
 でも、何度考えてみても、ぼくは、やっぱり、懐かしんでいる。
 「別れが、近い」
 ぼくの血が、そう言っているからだ。

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「自伝編」夜7時配信……次回へとつづく。
「教学編」は、自伝編の翌朝7時に配信です。

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