MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

東亜学纂学級文庫

『息恒循』を学ぶ

一学77 ミワラ〈美童〉の然修録 R3.4.17(土) 朝7時

#### 然修録「立腰は宿題。仕事は天職、本気、強み」 学徒オオカミ 少循令{石将|せきしょう} ####

 仕事選びは知命に同じ、天命に{到|いた}る*運命の道筋*なりや! 思い悩みいくら考えても道筋は見えぬ。追い込まれて*必死*になったとき初めて見えてくるもの。本当の仕事を知り{窮地|きゅうち}で*自立*した者たちが、組織を未来{永劫|えいごう}へと{護|まも}り抜く。

 一つ、学ぶ。

 マザメーぇ!!

 {立腰|りつよう}は、力んでも{勇|いさ}んでも、直ぐには言葉が出て来んぞッ! ケツを突き出し、腰を前に出す……一言で説くならば、和流の「禅」。{即|すなわ}ち、{匠|たくみ}だ。
 またの機会に♪ と、いうことで……(アセアセ)。

   《 一、仕事は天職 》

東洋の思想家たちが、己の在り方と生き方に重きを置いたのに対し、西洋の思想家たちは、職業の意義を重視してきた。
 日本人は、東洋の思想、特に儒学を大事として学んできたが、ここ職分を考えるに到っては、西洋の卓越した思想家たちを、素直に敬する気持ちを持たなければならない。
 {何故|なぜ}なら、西洋で職業というのは、{ブゲッション|Vocation}であり、その意味が、{召命|しょうめい}であるからだ。
 召命とは、神から、特定の職業に{召|め}された者が、使命感を持ってその仕事に従事することであり、{是|これ}正に〈天職〉であり、{所謂|いわゆる}〈天命〉であり、即ち〈使命〉なのだ。
 {故|ゆえ}に、日常の仕事は、神に通じている。
 故に、個性を発揮できる。
 故に仕事とは、永遠の真理なのだ。

   《 二、仕事は本気 》

 考えてばかりいる人がいる。
 壁にぶつかると、直ぐにその壁の超え方の答えを、先輩や同輩から教えてもらおうと考え、質問して回る{輩|やから}たちが数多く{居|い}る。
 自信満々で、社会に出る。
 人前で、{上手|うま}く{喋|しゃべ}れない。
 事務処理が、遅い。
 営業では、アプローチアウトで{凹|へこ}む。
 まるで、海辺で育って泳ぎにだけは自身がある〈わんぱく坊主〉が、プールでどんなにもがいてもドンジリで、{挙句|あげく}、赤坊を{被|かぶ}らされて、居残りでバタ足から特訓を受けさせられてしまう……みたいなッ!
 {自尊心|プライド}が、ズタボロのボロ雑巾!
 そっとしておいて欲しい。
 誰にも気づかれずに、{独|ひと}り家に帰りたい。
 ……が、そこで、無情の赤坊!
 正に、泣きっ{面|つら}に蜂だ。
 でも、そこでやっと、自分の無能さに気づく。
 悔しさのあまり、ただ悔しいというそれだけのために、一念発起する。そこに、くどくどと考えたり、周りのみんなに{訊|き}き回ったりという選択肢は、無い。
 一所懸命に努力して頑張ったのに、自尊心をズタボロにされ、追い込まれ、そこで目の前に立ちはだかっているもの……それが、現実だ。
 追い詰められて、現実を知って、必死になる。それが、本気だ。そこからが、本当の本気なのだ。
 寺学舎の座学で学んだ日本最古の兵書『闘戦経』に、{斯|こ}うある。

 先づ仁に学ばんか。
 先づ智を学ばんか。
 先づ勇を学ばんか。
 壮年にして道を問ふ者は南北を失ふ。
 先づ水を{呑|の}まんか。
 先づ食を求めんか。
 先づ枕を取らんか。
 百里にして疲るる者は、
 {彼|か}れ{是|こ}れをいかんせんとする。

 いい{歳|とし}をして、迷ってばかりいると、本当に大事な人生の方向性を、見失ってしまう。
 百里の道を歩いて疲れた人は、{下|くだ}らぬことで悩んだり考えたりなどしない。
 「下らぬこと」と言われたくらいで激怒する余力があるということは、まだまだ歩みが足りぬ、疲れが足りぬということだ。

   《 三、仕事は強み 》

 タテ社会の{根源|ルーツ}は、武士の社会だと言われる。
 その武士の社会とは、君主の命令が絶対で、家臣家来が一糸乱れず一丸となって、その命令が示すただ一点の目的に向かって、行動する。即ち、一つの目標に向かって、{邁進|まいしん}するということ。
 「その家臣、その{御家|おいえ}の姿こそが、武士の社会なのだ」と、{何|なん}と{夥|おびただ}しい数の後裔……子々孫々たちが、そう信じさせられてきたことかッ!
 しかも、ただの一つも、ただの一度も、疑うことすらしてこなかった。
 無論、それは、疑うまでもなく、回答を待つまでもなく、明らかに、誤りである。
 そんな、よく言えば絶対忠誠的な組織、現実的に言えば独裁主義的な組織は、{遠目|とおめ}から見れば強固そうだけれども、その実態は{脆|もろ}く、{放|ほ}おっておけば、勝手に{亡|ほろ}んでくれる。
 では、脆くなく、何があっても亡ばない、永続的な組織とは、{如何|いか}なるものなのだろうか。
 それは、己の信念に忠義を感じ、主君の命令に{随順|ずいじゅん}することなく、堂々とした態度で意見を申し立て、決して悪意に満ちた激流に押し流されることのない、{揺|ゆ}るぎなき自立性を心に{湛|たた}えた人物……所謂{曲者|くせもの}を、数多く抱えた組織……で、ある。

 この武士道における自立性に関する観点のあれこれは、徳川八大将軍吉宗の{侍講|じこう}を務めた{室鳩巣|むろきゅうそう}の『明君家訓』に詳しいそうだ。
 侍講というのは、殿さまに徳を講釈する家庭教師といったところなので、ここでは、若輩の不届きな解説の{類|たぐい}は、控えさせて{戴|いただ}きとう存ずる。

 ……が、大概! 次のようなことを言っている。

 〈ある明君が、臣下に訓諭する〉という講釈語録のような形式で書かれている。

 先ず、君臣が共に善へと進むため、悪を改める手段として、臣下に異見と{諫言|かんげん}を求めている。

 「君たる道にはずれ、{各々|おのおの}の心にそむくようなことを朝夕おそれている。私の身の行いや領国の政治について、諸事大小によらず少しでも良くないこと、又は各々の存じ寄ることがあれば、遠慮なくそのまま私に直言してほしいと思う」

 次に、臣下に節義を求める。

 「節義の{嗜|たしな}みとは、口に{偽|いつわ}りを言わず、利己的な態度を構えず、心は素直にして外に飾りなく、作法を乱さず、礼儀正しく、上にへつらわず、下を{慢|あなど}らず、己が{約諾|やくだく}を{違|たが}えず、人の{患難|かんなん}を見捨てず……。
 さて恥を知って、首をはねられるとも己がすまじき事はせず、死すべき場をば一足も引かず、常に正義と道理を重んじ、その心は鉄石のごとく堅固であり、また温和慈愛にして物のあはれを知り、人に情けあるを節義の士と申すのである」

 次に、己の判断が主君の命令と背反する場合にはどうするかを、家臣に説く。

 「総じて私の真理は、各自が堅持している信条を曲げてまで、私一人に忠節を尽くすべきであるとは少しも思ってはいない。
 たとえ私の命令に{背|そむ}くようなことになろうとも、各自が自己の信念を踏み外すことがないのであれば、それは私にとっても誠に珍重なことであると思うのである」

 思うに……。
 現世、今どきに{於|お}いても、仕事の神様、仕事の師などと呼ばれる組織の{長|おさ}たちが居る。
 偉人と呼ばれる彼らの心には、{正|まさ}にこの『明君家訓』の教えが、宿されている。
 それが血となり、肉となり、自ら己の心身を行動へと突き動かしているのだ。

 {嗚呼|ああ}……{何|なん}とも。
 宇宙の{彼方|かなた}の、{サイエンス・ファンタジー|SF}のような話だ。
 明君、偉人と言うより、まるで、宇宙人だーァ!!

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「教学編」朝7時配信……次回へとつづく。
「自伝編」は、教学編の前夜7時に配信です。

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