MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

東亜学纂学級文庫

『息恒循』を学ぶ

一息89 ミワラ<美童>の後裔記 R3.5.14(金) 夜7時

#### 一息スピア「梅子が明かすヒトの正体。マザメの心の奥に突入」後裔記 ####

 *別れの日*が迫っていた。梅子さんの別れの言葉は、警告であり、現実であり、*深刻*だった。梅子さんは、案内してくれた。マザメ先輩の心の*深層*にある循観院に。マザメ先輩の心の中は、梅子さんの警告より、もっと*深刻*だった!
   少年学年 スピア 齢10

 一つ、息をつく。

 「循観院は、ぼくら各々の心の中にある」……って、誰が書いてたんだったけねッ!
 ぼくらが本当に、オオカミ先輩に置いてけぼりにされちゃったんだとしたら、今後の展開は、史料室に集まって、追ん出しゲームの五人組に案内されて、地底の集落を抜けて、隣りの島の地上に出て、オオカミ先輩と合流する……。

 マザメ先輩の山小屋……元い。森の中の循観院に行くとしたら、今しかない!
 心の中にあるはずの循観院が、森の中にある……と、いうことは、あの森は、マザメ先輩の心、そのもの。あの山小屋は、その心の、最深部! そこには、マザメ先輩の、深層心理がある。

 梅子さん、あの五人組みたく、ぼくも、循観院に案内してくれないかなーァ♪ でも正直、その日の朝は、布団から出たくなかった。
 秘密基地は、もう送別会もやってもらったから、今さら顔を出すのも気が引ける。史料室に行くのは、もうこの島を出る日にしたいし、朗読室に行って、他の人たちの元気な声を聞く気にもなれない。

 カアネエの家は、留守みたいだ。人の{居|い}る気配がない。
 目視で確認は出来ないけど、今朝早く物音がしたときに、{何処|どこ}かに出かけたみたいだ。仕事なんだかなんなんだか、カアネエは、外でのことは、一切口にしない。
 しかも最近、ここ数日の寒波の{所為|せい}もあって、両家(ぼくの六畳の間と、カアネエの六畳の間)の{硝子|ガラス}障子は、すべて閉め切られている。
 特にカアネエの場合は、この島を出てゆく身{支度|じたく}を、コソコソごそごそとやっているみたいだ。そういうのは、あんまり見られたくないんだと思う。

 ……と。
 そんな憶測が、頭の中を一巡し終わったときだった。
 廊下を挟んだ掃き出し窓の外あたりが、何やら騒々しい。あれは、スズメの声じゃない。二階建て長屋の棟の端っこのぼくらの家の前には、大きな{篠懸|スズカケ}の木が一本、{聳|そび}えている。
 この木をスズカケと呼ぶのはシンジイだけで、{山伏|やまぶし}の胸でブランブランしてる玉みたいな果実が、お気に入りみたいだ。
 カアネエは、{楓|カエデ}に似た大きな葉っぱが、お気に入り。しかも、この木のことを、プラタナスと呼んでいる。
 まァ、どうでもいい話をしてしまったけど、要は、その木のほうから、その鳥の声は、聞こえてくる。
 ({燕|ツバメ}だな。梅子さんかーァ?!)と、何気に思う。
 すると、その鳴き声が、ひとまとまりの{言乃葉|ことのは}を編成して、ぼくの枕元まで、やって来た!

 「あんたさッ!
 大丈夫なのォ?
 タケラに成らずして、もう{五衰|ごすい}かい?」と、梅子さん。たぶん。{何故|なにゆえ}〈たぶん〉かというと、依然、その姿見えぬ{故|ゆえ}!
 「ゴスイ?」と、ぼく。
 布団の中から、頭と足だけ出して。
 「ゴメン。
 間違えた。
 五衰は天人の高次の老化だ。
 あんたは、地上の自然人。
 単なる、自然の一部。
 まァ、美女と野獣みたいなもんさッ♪」と、梅子さん。もう、間違いない。
 「どう違うの?」と、ぼく。
 「紙{一重|ひとえさ}♪」と、梅子さん。
 「髪が、一重{瞼|まぶた}なのーォ!?」と、ぼく。
 「面倒っちい子どもだねぇ、あんた!
 似たり寄ったり……{即|すなわ}ち、ちょっとしたところが違うだけで、{殆|ほとん}ど一緒ってことさァ♪」と、梅子さん。
 「そっか。納得。だからカアネエは、天女野獣なんだねッ? で、マザメ先輩は、魔性の{鮫|サメ}{乙女子|おとめご}って訳だァ♪」と、ぼく。
 「まァ、そんなもんかな。
 ヒト種はみんな、珍獣だからね」と、梅子さん。
 「珍獣? なんでーぇ?!」と、ぼく。
 すると、梅子さん。
 吐いて捨てるように、本音を{囀|さえず}りはじめた。

 「あんたたちはさァ。
 {一皮|ひとかわ}ひっ{剥|ぱ}がせば、霊長目の{獣|けもの}さ。それが皮を被って化けてる。だからあんたたちヒト種は、化け物って呼ばれるのさ。
 突如、異常な行動を起こす。自分の耳を切り落としたり、引き出しからピストルを出して他人を撃ったり。特に、銃は好きよね? 他の動物たちを撃ったり、誰かに死んで欲しいときにも、便利よね?
 浴槽に酒と氷と{檸檬|レモン}を満たして、裸で飛び込む。風呂から上がると、角砂糖を{一|ひと}箱ペロリと食べる。真猿亜目すべてのメスに発情する。他人の物を好んで盗み、森と海をゴミ{溜|だ}めにして腐敗臭を好む。
 {挙句|あげく}、己の腐敗も好む。肌の{艶|えん}は{失|う}せ、{華鬘|けまん}{萎|な}え{窶|やつ}れ、両の{腋|えき}には悪臭耐え{難|がた}い汗を{滴|したた}らせ、満身{臭穢|しゅうえ}、{居住|いず}まいは{肥溜|こえだ}め。
 これが、自然から離れて行ったあんたたちと紙一重の亜種どもの正体さ。
 あんたたち自然人は、まだ自然の一部には見えるけれど、実は、紙一重。似たり寄ったりで自然と一緒には見えるけど、もう{既|すで}に、別物なのさ。同じじゃない。もう、一部じゃない。
 {即|すなわ}ち、自然から離れて行った亜種どもとも、紙一重。自然とも、珍獣とも、紙一重ってことさ。
 精々、励むんだね♪
 今後、自然の一部に戻る大努力の人生を歩むか、それとも、隠れ珍獣として、{狡賢|ずるがしこ}く生きるか。
 今が、それを決めるときさ。
 そろそろ、気づきなよッ!
 あんたたちヒト種は、他の動物たちから、下等動物だと思われてるんだ。{蔑|さげす}まれてる、差別されてるってことさ。あんたたちはもう、{種|しゅ}や亜種を名乗れるような代物じゃあないのさ。あんたたちの正式な呼び名は、〈下等動物の珍獣〉さ。
 応援はしないけど、頑張ってみなよ。望みは、あたいらの高性能の目でも見えないくらい、小さいけどねーぇ♪
 で、行くの? 行かないの? マザメって女の循観院に。行くんなら、今日しかないけど。
 あたいは、今日であんたとは、お別れだ。森の土着の連中は、明日、あんたたちとお別れする予定にしてるみたいだけどさ。鹿の{乙女子|おとめご}ちゃんが、教えてくれたのさ。
 『明日、峠の林道の陰で、お見送りするんだーァ♪』ってね。
 飛び出さずに、ちゃんと隠れたまま、辛抱できるといいんだけどねッ! あんた、どう思う?」

 朝から、そんなこんなの{経緯|いきさつ}があって、ぼくは、森の入り口に立っていた。{麗|うら}らかな烈冬の朝だった。ぼくは、森の奥のほうに、目を{遣|や}った。森の中は、雨が降りそぼっているようだった。緑を濃くした{樹々|きぎ}が、{雫|しずく}を絶え間なく落としている。
 空は麗らかで、春の訪れさえ感じさせるっていうのに、森の中は、まさに今の時令を、{頑|かたく}なに{護|まも}っている。梅子さんに{促|うなが}されて、森の中に踏み入った。
 コナラの幹の{鱗|ウロコ}が、雨水を呑み込んで、黒く輝いている。濡れそぼったシダ植物の葉が、うなだれて、身を{凭|もた}せ合っている。見るものどれもこれもが、その{瑞々|みずみず}しさが、重苦しい。
 すべての物体が、{苔|コケ}をもっこりと{纏|まと}い、まるで生きものに化けているように、{佇|たたず}んでいる。
 {遂|つい}にぼくは、山小屋の入り口の前に立った。マザメ先輩の心の中を歩き、{終|つい}にその深層……循観院に、辿り着いたのだ。
 一歩、二歩……三歩にして、{三舎|さんしゃ}を{裂|さ}く。循観院に足を踏み入れると、魔性の{鮫|サメ}{乙女子|おとめご}の実像が、壁際に映し出されていた。
 一点だけ赤く濡れそぼったその少女の唇から、{言乃葉|ことのは}が、力尽きたかのように、千切れ落ちた。

 「男たちってさァ。あたいの顔の中に、子どもしか見てないんだよね。いつまでも子どもであって欲しいって、願うような顔をしてね。事実、あたいは、子どもさ。周りのすべてを掃き出して遠ざけるような子ども……。
 でも、快活。困ったことに、聡明。耳がよく聞こえて、目がよく見えるってことね。だから男どもも、大人たちも、あたいを遠ざける。わざとらしく見えるからよ。快活も、聡明も。
 だって、仕方ないじゃない。暗い湿った空気を吸いながら、誰からも愛されなくっても、めげずに育たなきゃなんなかったんだからさ。あたいの誕生は、誰からも歓迎されなかった。いつも、ひとりぼっち。
 時折、工場のおばちゃんが、あたいに餌をやりにくる。
 生きたカエルを{茹|ゆ}でようとすると、鍋から飛び出してしまうでしょ? だから、逃げ出さないように、水から徐々に、徐々に、加熱する。快活は{陰鬱|いんうつ}となり、聡明は{愚昧|ぐまい}となる。{終|しま}いには、茹で上げられ、まな板の上に載せられる。
 あたいの天命は、まな板の上の茹のガエルなのさ。神話を教えないっていう目に見えない百年殺しの{虐|いじ}めで{歪|ゆが}められたこの国の子どもたちも、みんな茹でガエルだったのさ。
 知ってる?
 子どものうちに神話を学ばなかった民族は、例外なく、{亡|ほろ}んでるんだ。
 で、あたいのばやい……。
 どうしたと思う?
 戦争さ。毎日が、戦争。その恐怖と面白さで、自分の孤独や悲劇なんてもんを、深刻に考えられなくなっちまったのさ。それであたいは、誰からも愛されず、誰も愛さず。そうすれば、恐怖と面白さが詰まった楽しい一日を、一人っきりで、満喫することができる。
 何があっても、くよくよと考えず、底抜けに明るくて、始末のいい幼稚な少女になってあげたのさ。大人や、男どものためにね。
 ところがさ。工場のおばちゃんたちは、あたいの救世主……聖なる乳母だったのさ。あたいから、幼い少女が読むような本を、遠ざけた。
 {幻想的・空想的|ロマネスク}な感情を持った少女は、たとえ現実が幸福であれ、あらゆる境遇に対して、満足という言葉を忘れてしまう。享楽に{耽|ふけ}った悪女になっちまうってことさ。それを、工場の聖なる乳母たちは、身をもって知っていた……たぶんね」

 循観院を出ると、森の樹々の{狭間|はざま}に、太陽神の{紅|べに}が、{滲|にじ}んでいた。不思議な……まさに、ロマネスクな光景だった。背後から、少女の声が聞こえた。
 「夏には、蝉が鳴くのかなァ。この森でも……」
 言葉どおりの〈この森〉のことを言っているのか。それとも、〈自分の心の中〉のことを言っているのか……{何|いず}れにしても、ぼくは、この先、悲しみに出逢ったとき、きっと、この森のことを、思い出すことだろう。
 そして、歩き出したころにはもう、少女は、いつもの魔性の{鮫|サメ}{乙女子|おとめご}に戻っていた。
 一筋の木漏れ日……無味無臭の少女の声が、背後で{弾|はじ}けた。
 「死臭も、五衰も、{退没|たいもつ}も、情熱のアロマさッ♪」
 ぼくは、振り向きもせず、そのまま歩きながら、独り{言|ご}ちた。

 (生きることが、天命……とは、限らないんだな。
 でも……それは、死ぬことじゃない。
 生きる以外の方法で、生きるってこと。
 ぼくも、そうなのかな。
 違う。
 「そうなのかな」の前に、「どうなのかな」だ。
 どうなんだろう……)
 
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