MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

一学87 ミワラ<美童>の然修録 R3.5.16(日) 朝7時

#### 一学サギッチ「{危|あや}うい物言いに学ぶ。ほどほどが要領を{掴|つか}む要領」然修録 ####

 鋭い直観に頼って自然に行動し、柔らかい物言いで、やんおらと物事の神髄を突く……これが、スピアの野郎の心の質、性格だ。でも最近、その性格が危うい! 旅立ち記念♪ *ほどほど*の極意を説く!
   少年学年 サギッチ 少循令{猛牛|もうぎゅう}

 一つ、学ぶ。

 最近、スピアが{危|あや}うい。
 あいつにしては、物言いが過激になっている。
 行き過ぎってことだ。
 この半年、スピアの野郎は、この島の峠や森や海辺を歩き回って、すっかり住み慣れてしまった。
 その島を、いよいよ離れることになった。
 {故|ゆえ}に、あいつの性格にそぐわない物言いになってしまっている。
 ……と、*何も*分析したという{訳|わけ}でもないんだけど、ただ正直に感じたまま、そう思っただけ。
 ……なんだけど!
 スピアが危うくなるということは、おれも危うくなる。
 おれら{美童|ミワラ}が危うくなるということは、亜種全体……自然{民族|エスノ}が、危うくなる。
 おれら亜種が危うくなるなるということは、ヒト種全体……和や文明の連中も、危うくなる。
 スピアは……というか、おれも他の学年の奴らもそうなんだけんども、責任重大なのだ。
 なので、ここは一つ、スピアに自反、もひとつ格物まで、猛烈に{促|うなが}す次第だ。
 てなわけで、ヒノーモロー島を離れるに当たり、この島で半年を共にしたスピアの野郎さんに、「贈る言葉」を捧げる。

   《 ほどほどにしとけやァ! 》

 おれら{鷺|さぎ}助屋の血は、過激がお家芸であるかのように思われがちだ。完全に否定しようとは思わないけど、誤解を含むことも確かな事実だ。
 その誤解とは、『{葉隠|はがくれ}』や〈武士道〉や〈陽明学〉や『闘戦経』や〈アドラー心理学〉が誤解され続けてきた歴史と同様に、ただ不勉強……ならまだ可愛げもあるけれど、実際は、その{殆|ほとん}どが、{洗脳のための宣伝戦略|プロパガンダ}のために、利用され続けてきた。
 そこで、『闘戦経』から一つ。

 眼は明を{崇|とうと}ぶと{雖|いえど}も、{豈|あ}に三眼を願はんや。
 指は用を{為|な}すと雖も、豈に六指をもちいんや。
 善の{亦|ま}た善なるものは{却|かえ}って{兵勝|へいしょう}の術に{非|あら}ず。

 まァ、{一言|ひとこと}で言えば、「過ぎたるは{猶|なお}及ばざるが{如|ごと}し」ってところかなッ? 行き過ぎも、足らずと同様に、{碌|ろく}なことにはならないってことだ。
 {因|ちなみ}に、今風の言葉に訳すと......。

 「目が{利|き}けばハッキリと見えるが、だからといって、目は三つも必要かい?
 指は器用に仕事をしてくれるが、だからといって、六本もあったら、使いこなせるのかい?
 一日一善って言うように、善は良いことに決まっちゃあいるが、だからといって、一日十善も二十善も、過剰なほどに善にばかり{拘|こだわ}っていたんでは、戦いに勝つ術も敵わなくなってしまう」

 ……と、まァ、{遣|や}り過ぎると、{有難味|ありがたみ}も半減しちまうって訳だな。だから、スピアの野郎は、スピアの野郎らしく、「ぼくは思う」式の物言いが、**最善の策**ってことさ。
 気持ちが入り過ぎて、ぶん殴られるのも面白くないし、頑張り過ぎて、次の日に寝込んじまうのは「お馬鹿!」だし、張り切り過ぎて、然修録をいっぱい書いたら、疲れ果てて当分書く気がしなくなっちゃったーァ……じゃ、それもまた、困ったお馬鹿さんってもんだ。

 無理をせずに、毎日続けて書ける量を決めて、継続する。これ、「うさぎと亀」の童話の、亀なりやァ♪
 仕事{然|しか}り。
 己の家族の{食|く}い{扶持|ぶち}以上に、稼ぐ要は無し。
 {戦|いくさ}然り。
 国体と国民を護るため以上に、攻める要は無し。

   《 結局また、要領の話! 》

 「無理をせずに、毎日続けて書ける量を決めて、継続する」と、書いてはみたが、これ正に、「言うは易し!」だ。
 実践……具体的には、どのように行動すればよいのかッ!
 ここでまた、追ん出しゲームの〈要領〉の話に{繋|つな}がってしまった感がある。
 具体的に……の段階になると、面倒でも、手順書が必要になるのだ。まァ、時間割を作るってことだな。これ、寺学舎んころに{譬|たと}えると、座学の段階。
 座学で学んだことを、自ら行動し、その行動の中から、また学ぶ。それと同様に、時間割を作ることで学び、それを実践する中で、また学ぶ……みたいな♪

 よく、こんなことを言う{奴|やつ}が{居|い}る。
 「自分でやるんだから、手順書なんか、作るだけ時間の無駄じゃん!」
 まァ、そういう{類|たぐい}の仕事だって、無いとは言い切れない。でも、そう言う奴に限って要領が悪いってことも、{否|いな}めない事実だ。
 逆に、「要領がいいから、手順書なんて要らない♪」なんていう、なんとも{羨|うらや}ましい奴が居るということも、否めない事実なんだけんども……。

 さて。
 ここが、考えどころなのだ。
 この手順書ってやつは、実践・実行と直結しているから、机上の作業ではあっても、立派に、行動の学なのだ。
 行動が増えれば、その行動に{順|したが}って、要領の良し悪しという明暗が、色濃くなる。{即|すなわ}ち、「要領とは、{身体|からだ}で覚えるもの」ということだ。
 であればやはり、その行動の第一歩……行動を習慣化させるための手引書でもあるこの**手順書**は、面倒でも、避けて通ってはならぬということだ。

 以上!

 ところで、おれ……。
 面倒なことは、大の苦手なのである。
 なので、スピア!
 これからも、仲良くしようぜぇ♪

_/_/_/「後裔記」と「然修録」_/_/_/
ミワラ<美童>と呼ばれる学童たち。
寺学舎で学び、自らの行動に学び、
知命を目指す。「後裔記」は、その
日記、「然修録」は、その学習帳。
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_/_/_/『亜種記』_/_/_/
少循令(齢8~14)を共に学ぶ仲間
たちを、寺学舎では「学級」と呼ぶ。
その学級のミワラたちは、知命すると
タケラ<武童>と呼ばれるようになる。
そのタケラが、後輩たち或いは先達
の学級の後裔記と然修録を、概ね
一年分収集する。それを諸書として
伝記に編んだものが、『亜種記』。
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亜種記「世界最強のバーチュー」
Vol.1 『亜種動乱へ(上)』
[ ASIN:B08QGGPYJZ ]
Vol.2 『亜種動乱へ(中)』
[ 想夏8月ごろ発刊予定 ]

_/_/_/『息恒循』を学ぶ _/_/_/
その編纂 東亜学纂
その蔵書 東亜学纂学級文庫
その自修 循観院