MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

東亜学纂学級文庫

『息恒循』を学ぶ

一学92 ミワラ<美童>の然修録 R3.6.5(土) 朝7時

#### 一学マザメ「習わしの危機。福祉とは。ロボット化を免れる力!」然修録 ####

 後裔記を書かない先輩たちへの苦言。後裔記を書こうとして然修録が乱れたツボネエに対する{補助|フォロー}と{励ましの言葉|エール}。和の{民族|エスノ}の人たちと触れ合って考えさせられた〈福祉〉という難題!
   学徒学年 マザメ 少循令{悪狼|あくろう}

 一つ、学ぶ。

   《 余談、何を書くかの動機、その{主題|テーマ} 》

 ワタテツ先輩の然修録。
 「確か、ワタテツも書いていたと思うが……」って、なんか、不自然。
 「前にも書いたんだが……」って、素直に自分の語録の再掲として書かなかったところに、なんか妙に、違和感を感じる。

 ムロー先輩が、以前、書いていた。
 「然修録が、乱れている。後裔記、{然|しか}り」
 ムロー先輩が、そう書いたとき、その時点でのその原因は、離島疎開。
 今は、もっと乱れている。
 その原因も、明らかだ。
 あたいら4人は、間もなく実体験するに違いない〈絶望航海〉に対する不満と怒り、そして、死の覚悟という非日常的な現実を受け容れるための心の準備。

 次、他の島に疎開した残りの4人は、後裔記のひとつも書かないという{怠惰|たいだ}と自堕落が証明してくれているように、それは{最早|もはや}習わしを放棄したことであり、{美童|ミワラ}の資格を失いつつもある。
 ところが、{故|ゆえ}に、その4人のなかの一人、最年少のツボネエちゃんが、救いを求めている。然修録(学習帳)の中で、後裔記(日記)を書いた。
 確かに、然修録の乱れだ。しかも、当然ながら長文となる。だけど、その長文嫌いの幼いツボネエちゃんが、{敢|あ}えて自ら長文を書いた。
 それは、後裔記を書こうとしない一部の先輩たち……そのなかでも特に、同じ島に疎開した最年長の大先輩に対する抗議なのではなかったかッ!
 でも、それはそれ。
 抗議であれ訴えであれ、よほど文体に確固たる〈型〉を持っていない限り、長文は、ただ緩慢なだけになってしまう。

 余談の最後に、ツボネエちゃんに、{励ましの言葉|エール}を一つ贈る。
 「あたいら{乙女子|おとめご}が*しっかり*しなきゃ、自然{民族|エスノ}……そして、あたいら{美童|ミワラ}は、{亡|ほろ}びる!」
 ……と、確信。
 余談、以上。

 では、何を書くかの動機。
 ヒノーモロー島からザペングール島まで、海底の地底を歩いて渡り、隣りの島の地上住みの和の{民族|エスノ}の人たちと触れ合った。
 そこで感じたことに関する書を探し、読書した。
 で、その主題……。

   《 そもそも、福祉とは何か 》

 人間の徳性や心情から、福祉の思いや考えが浮かび、そこから、行動が起こる。
 でも実際、現実は、功利的見地……高いところから見下ろして、その思い考えから、行動が起こってしまう。
 幼児の教育を、親から取り上げることが、果たして善意か。果たしてそれが、福祉なのか。国は、そのために補助金を出し、{子等|こら}は、社会の施設で教育される。
 親は、金も手間もかからない。{病|やまい}も失業も老いも、すべて国の金と、様々な社会収容施設で片付けてしまう。税金を払ってるんだから、楽ができて当然?

 国民、特に親が苦労するのは、国の政策が悪いからだ……と、確かにそれは、困っている人に手を差し伸べる〈福祉〉なんでしょうけれども、それを*当然*として{享受|きょうじゅ}していると、次第に{非人間|ロボット}化してゆき、それを免れる力を{削|そ}がれてしまうのではないか。

 その、いい例がある。
 福祉先進国家のスウェーデンやイギリスでは、そんな現代型福祉に対する大きな疑念の渦が巻き起こり、物議と方向転換が始まている。
 ところが、舵を切って方向転換しようとしても、子どもたちの乱れた風紀も、犯罪の多さやその悪質さも、一向に減る景色(傾向)が、見られない。直ぐに舵は利かず、自殺者の数も減らず、民族も国家も、依然として*だらしなく*見えてしまう。

 文明が発明した車や船を方向転換させることは、技術の進歩に{順|したが}って、日々、その{容易|たやす}さは向上している。では、生きものであり霊的とも言える性質を持った人間の場合は、どうなのか。
 比較にならないほど難しく、もっと真剣慎重に取り組み、もっと大努力しなければ、非人間化を免れる力を発揮することは、できないのではないか。

 病気、貧しさ、失業、老い……その実害や弊害に手や金を差し伸べることは、確かに大切なことであり、それを福祉と呼ぶことに異論を唱える人は、{居|い}ないと思う。
 でも、その金や手が、聖職として真の奉仕でなければ、人間そのものを改善したり、生気を取り戻させたりといった根本的な福祉とは、縁遠くなってしまうのではないか。
 特に幼い{子等|こら}にとって、家庭や社会収容施設で植え付けられている消極性、利己的{或|ある}いは享受的な気性、{放縦|ほうじゅう}な日常的習慣ほど、心を{蝕|むしば}む怖ろしいものは、他にない……と、言えるのではないか。

 以前、先輩の誰か(どっちか!)が、然修録に書いていた橋本左内の『啓発論』……振気、気を{振|ふる}う!
 安易な援助ではなく、心を鬼にしてでも**振気**を体得させるような完全奉仕の聖職としての仕事が、本当の〈福祉〉というものなのではないだろうか。

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Ver.,1 Rev.,6
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