MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

東亜学纂学級文庫

『息恒循』を学ぶ

一学93 ミワラ<美童>の然修録 R3.6.6(日) 朝7時

#### 一学オオカミ「何事も要領よく{熟|こな}すための〈行動の学〉十ヵ条」然修録 ####

 何事も要領よく……その十ヵ条。*抜け道*と手抜きの違い。物を言う*直観力*! 要領訓練のゲームに熱中していた、例の{子等|こら}五人組……。そのゲームに{纏|まつ}わるおれとサギッチのキャッチボール。己の生涯をあの世に延ばす残酷な宿命とは。
   学徒学年 オオカミ 少循令{石将|せきしょう}

 一つ、学ぶ。

      《 {主題と題材とその動機|モチーフ} 》

   【 {主題|テーマ} 】

 何事も要領よく熟すための〈行動の学〉十ヵ条。
 ……その後半、実践段階の五ヵ条。

   【 {題材|サブジェクト} 】

 第一に、(うまくいかなかったら、どうするぅ?)という不安。
 第二に、それでも成功させるには、どうするぅ?
 第三に、成功! 祝杯♪ でも実は、満たされぬ本音。
 第四に、挫折、成功、ご褒美。そしてまた、挫折。
 第五に、素直さは、脳エンジンの無二の燃料♪

   【 その{動機|モーティブ} 】

 この島、ザペングール島に一人降り立って間もなく、五人組の子等に遭遇した。{奴|やつ}らは、〈オッサン追出しゲーム〉と称する手作りのゲーム盤で、遊んでいた。そのゲームの目的は、何事も要領よく{熟|こな}すための訓練!
 そのゲームが終わると、奴らは、馬乗り遊びに没頭した。それは、ご褒美でもあり、罰でもある。{何故|なぜ}なら、ゲームを{如何|いか}に要領よく熟せたかの度合いに{順|したが}って、馬乗り遊びの配役を決るからだ。
 柱、その柱に頭を突っ込む馬、その馬に乗る勝者!
 その奴ら流の馬乗り遊びは、〈尾てい骨落とし〉も、馬のスカート{捲|めく}りも、突き出したお尻に突き刺さる〈必殺浣腸突き〉も無い。なんとも、紳士的だった。

 おれは、その五人組の奴らの会話を、必死で記憶した。そして、その要領訓練のあらましを、然修録に書いた。すると、それにサギッチが呼応して、然修録に、こんな事を書いてよこした。

 「大事なのは、それをいつ、どんな手順でやるかだ。
 {云|い}わば、{やるべき事を要領よくやる研究|Operations Research}。
 {所謂|いわゆる}、{作業分析|OR}だッ!」

 それに応えて、おれも、然修録に、こんな事を書いた。

 「{所謂|いわゆる}、{集団発想法|ブレインストーミング}。
 {即|すなわ}ち……。
 思いついたことは、何でも構わん。
 他の人の発言を、批判するなッ!
 自由奔放、よし♪
 みんながドッと笑うような発言なら、なおよし!だ」

 サギッチが、再び応えて、{斯|こ}う書いた。

 「手順書ってやつは、実践・実行と直結しているから、机上の作業ではあっても、立派に、行動の学なのだッ!」

 以上の{遣|や}り取りを、以下のように{纏|まと}めてみた。

 『何事も要領よく{熟|こな}すための〈行動の学〉十ヵ条』
 ……その前半、準備段階の五ヵ条。
 第一に、先ずは、目的や目標をハッキリ決めて自覚する。
 第二に、情報や方法を、{搔|か}き集める。所謂調査だ。
 第三に、集まった方法や情報を並べて、一覧にしてみる。
 第四に、その中から、最良で最適な方法を一つ決める。
 第五に、その{遣|や}り方の具体的な手順書を、作る。

 そして、ついに、その〈実践・実行〉の日が、目前に迫っている。他の島に疎開した先輩たちから、各々の経験から{捻|ひね}り出した助言を、然修録のなかで授かった。
 それはそれとして、素直に感謝の気持ちでいっぱいだ。でも、おれは、あの五人組の子等がやっていた〈要領の訓練〉を、絶望の航海に活かしたいと思う。

 なので、「手順書の次は、如何にあるべきかッ!」に関して読み訊きしたことを、この絶望航海で実践して、自ら試してみたいと思う。

      《 題材の{講釈|レクチャー} 》

   【 (うまくいかなかったら、どうするぅ?)という不安 】

 前掲の〈準備段階の五ヵ条〉を言い換えると、〈計画〉だ。
 「手順書は、立派に行動の学だ」とは言っても、それは、頭の行動……考えることの{範疇|はんちゅう}を出ない。その次の段階からが、いよいよ{身体|からだ}を動かし、計画の一つひとつを具現へと{推|お}し進めてゆく。
 正にそこが、要領の良し{悪|あ}しが、物を言う!

 こんな格言が、あるそうだ。
 「計画は計画でないから計画である」
 なーんじゃ、そりゃ!
 その意味は……。
 計画というのは、実際にやってみると、決して計画どおりにはいかない。そのことを解った上で練った計画でない限り、本当の計画とは呼べない。
 即ち、計画どおりにはいかないことを解った上で計画を実行するからこそ、その計画が成り立つというものであって、計画どおりにいくものと期待して実行してしまっては、直ぐに挫折したり、腹を立てたりして、その計画は、{頓挫|とんざ}してしまうということだ。

 では、どうするかッ!
 要領よくやるためには、その計画も、要領よく作らなければならない。
 即ち、その計画の中に、「計画どおりにいかなかったときには、どうするか」という、イザ!というときのための枝葉の行動も、考えておかなければならないということだ。
 言い換えれば、**逃げ道**。

 例えるなら……進路を定める。
 舵輪を操って、{進路を保つ|オンコース}♪
 ところが、舵が{利|き}かない!
 さァ、どうするーぅ?! ……みたいな。
 舵が利かないというのは、航海という計画の中では、大問題だ。ここで肝要なことは、この大問題に関して*だけ*、逃げ道を考えておくということだ。
 あれもこれもと想定外な事象を頭に浮かべて、それらすべての逃げ道を考え出してしまうと、それこそ正に、**妄想**になってしまう。
 些細な問題は、その時々で、*臨機*応変に対処する。そうしなければ、計画だけで、人生の大半を費やしてしまう!

 さてここで、直観力……創造力のことを、思い出した。
 正にこれが、臨機応変の〈臨機〉なのだ。
 臨機とは、その場に及んで、即座に適当な手段を{施|ほどこ}すことだ。つまり、頭で考えずに、即座に{身体|からだ}が動くということ。この臨機の能力のことを、直観力という。
 人の頭の中は、{過去の経験を画像として記憶したもの|イメージ}で、満たされている。その中から、その局面で最も適したイメージが、自動的に、頭に思い浮かんでくる。
 これが、直観だッ!

 なんと、{摩訶|まか}不思議!
 なんでそんな手立てを、思い浮かべることができたのか……それは、頭で考えたって、理解できるはずもない。何故なら、それは、頭で覚えて記憶したことではなく、身体で覚えて記憶したからだ。 

   【 それでも成功させるには、どうするぅ? 】

 そんな{訳|わけ}で、そんなふうに手順書の出来栄えが良ければ、あとは、そのとおりに実行しさえすればよい。
 ……とは、いかない!
 実際にやってみると、「こっちのほうが簡単で、時間んもかからないじゃん♪」とか、「ちょっと強引だけど、こっちのほうが、確実だよなッ!」とか、湧いて出てくる代案のどれもこれもが、そりゃあもう、魅力的に映し出されてくるのだ。
 でも、それが、失敗へと導く、悪魔の誘い……。
 そんな悪魔の誘いは、次の計画のために、集めるべき方法や情報の一つとして、記憶だけしておけばいい。ただ、それだけのことなのだ。それは、何故か……。

 そんなことは、判りきったことだ。
 計画、そして、その手順書というものは、{夥|おびただ}しい数の人と物を巻き込みながら、それを、{絨毯|じゅうたん}よろしく、巧みに且つ*しなやか*に編み込んで、完成させたものなのだ。
 もし、その{絡|から}み合った計画のなかの一人である自分が、手順書に{背|そむ}いて、好き勝手なことをしたら、どうなるだろうか。本人が気づかない、{或|ある}いは気づけないところで、重大な問題を、引き起こしてしまう。

 ここで、ノーベル{言乃葉|ことのは}賞♪
 計画やその手順書どおりに実行しないことを、**手抜き**という。この〈手抜き〉の狂信者たちは、その言い訳を、こう{説|と}く。
 「結果が同じならば、手段は選ばず!」
 確かに、{尤|もっと}もらしい。
 でも、問題が、一つある。
 手順書どおりに進めなければ、計画どおりの当初切望した目的や目標を{射|い}ることはできない……と、いうことだ。

 ムロー先輩だったか、ワタテツ先輩だったか忘れちゃったけど、旅の思い出話のなかで、こんなことを言っていた。

 「文明の奴らの目的は、正直に手順書どおりに仕事を{為|な}し{遂|と}げることじゃない。
 『ただ、完成検査に合格しさえすればよい』と、いうことだ」……と。

 これ正に、反面教師!
 こんな事が起きてしまうから、要領十ヵ条のその第一義、『先ずは、目的や目標をハッキリ決めて自覚する』ということが、最も、極めて重要になってくるという訳だ。
 更には、こんな事が起こらないようにするためには、計画の段階で、チェック機構が必要となる。実践行動の過程のどこで、何をチェックするか……と、それも、手順書に盛り込んでおく必要があるということだ。 

   【 成功! 祝杯♪ でも実は、満たされぬ本音 】
   【 挫折、成功、ご褒美。そしてまた、挫折 】
   【 素直さは、脳エンジンの無二の燃料♪ 】

 さてさて……。
 この、十ヵ条の最後の三つは、その「ムロー先輩だったか、ワタテツ先輩だったか」に、{委|ゆだ}ねたいと思う。
 本当は、{適宜|てきぎ}終始呼応してくれたサギッチに、それを委ねたかった。有終の美を{以|もっ}て、この蛇のように長くなってしまった論考を、アヤツに締め{括|くく}ってもらいたかったのだ。
 だけんども……{如何|いかん}せん!
 そのサギッチも、絶望の航海を、おれと共にするのだ。
 「{暫|しば}し、終始海難!」という計画……手順書に{順|したが}い、その暫しの間、然修録どころではないだろう!

      《 {蛇足|スーパーフルーイティ} 》

 「今日を{怠|おこた}るは、己の生涯を、あの世に延ばすが同じ!」

 {諫言|かんげん}というほどの、大それたことではない。
 些細な……されど大事な苦言が、一つ。
 然修録に、意義がある。
 然修録は、己の学問の覚え書き。
 後裔記は、その己の日常の日記。
 それは、みなが理解している。
 知命に{喘|あえ}ぐ先輩が、然修録に、斯う書いていた。言い回しは勝手に変えているが、趣旨は、{違|たが}えていない。

 「然修録が、乱れている。後裔記を読まなければ、なんのことか解らないようなことを書く者が、増えている。更には、然修録と題して、その内容の{殆|ほとん}どを後裔記にしてしまう{児戯|じぎ}すら、横行して{居|お}る。
 これは、自反を{怠|おこた}っている証拠だ。
 必要なのは、格物。
 己も、然修録も、正さねばならない」

 でも、ツボネエちゃんの然修録を読んで、確信した。
 確かに、あのツボネエちゃんの然修録の内容は、後裔記であり、その日記という性質が{故|ゆえ}に、長ったらしく、取り留めもない。
 更に、追い打ちをかけるようなことを言わせてもらえば、長ったらしく、取り留めもないのは、日記という性質が故ではない。それこそ、自反と格物の欠如というものだ。
 日記であれ、哀愁に包まれた回想記であれ、だからといって、長ったらしく、取り留めもなくていいという理屈は、成り立たない。先ずは、その〈長ったらしく、取り留めもない〉ことを書いてしまうことを許した己の頭の構造を、正さねばならない。

 そこまで理解した上で、{敢|あ}えて、苦言を{呈|てい}する。

 悔しいとか、腹が立つとか、死にたいとか、殺してやりたいとか、そんな生きた日常と切り離して書かれた学習帳……然修録は、果たして、本当に己の血肉と成り得るような学問を記したものと言えるのだろうか。
 日常があるから、学問を成せる。
 学問をしたいから、日常を大事にする。
 だから、ツボネエちゃんは、己の幼少期の暗黒につつまれた記憶を、然修録に書き殴ったのではないかだろうか。

 おれは、文明{民族|エスノ}と、直接触れ合ったことはない。でも、スピアが{居候|いそうろう}をしている二階建て長屋で、スピアの養祖父と養母を自称する二人……シンジイとカアネエの話を聴いているうちに、{已|や}むに已まれぬ感情に、襲われた。
 (文明エスノと呼ばれる亜種の人間たちは、なんと{憐|あわ}れで、なんと可哀想な人たちなのだろう)……と。
 そう、つくづく、思ってしまったのだ。
 何故なら、彼ら彼女たちは、過去を想い、{嘆|なげ}き、悩み、{病|や}んでゆくからだ。
 なんとも……有り得ん!

 おれら亜種、自然{民族|エスノ}の子ども期である{美童|ミワラ}たちは、未来に大宇宙のような希望を抱き、その大宇宙に乗り出すための計画に、余念がない。
 過去のことを考えるだなんて、そんな時間なんて無いのは言わずもがなであって、過去のことを考えたり、{況|ま}してや悩んだりなど、有り得ないのだ。
 しかも、正直、過去を懐かしんで哀愁に浸るという**漬物人間**など、目{障|ざわ}りにして耳障りも加わって、まったくもって、迷惑千万なのである。

 実際問題、文明{民族|エスノ}の子どもたちに、罪は無い。
 罪は無いのに、大人たちから、毎日毎日、重い重い、致命的な**罰**を、{蒙|こうむ}り続けている。人生で一番大事な幼少期にしかできない脳ミソの鍛錬を、やらせてもらえないのだ。
 無念……明日に、延ばすしかない。
 その明日……また、明日に延ばすしかない。
 そんな毎日毎日を経て、大人になる。
 晴れて、自由な時間を、手に入れる。
 じゃあ、やっと、晴れて、今日やるべきことを、脳ミソの鍛錬を、思い存分にやることが、果たして、出来るのだろうか……。

 その答えは、二つの理由で、{否|いな}だッ!
 一つ目の理由。
 その{遣|や}り方、方法を、知らないのだ。今日やるべきことを今日やるには、どうすればいいか。その方法を、知らないということだ。だから、また、やっぱり、今日やるべきことは、明日に延ばすしかない。
 二つ目の理由。
 もし、それが出来たとしても、それは{既|すで}に、手遅れなのだ。しかもそれは、とうの昔に……。

 今、{何気|なにげ}に、呼吸をした。
 そのひと{吐息|といき}が、人生の実体だ。
 {即|すなわ}ち、それが、〈命〉そのもの……。

 そのひと呼吸を集めて、今日が成る。
 その〈今日〉にやるべきことを、明日に延ばすということは、一度しかない己の人生でやるべきことを、*あの世に延ばす*ということと、まったく同じことなのだ。

 絶望の船出を目前に控えて、独り夜な夜な、そんなことを妄想しながら、眠れぬ夜を、過ごしている。

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Ver.,1 Rev.,6
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