MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

東亜学纂学級文庫

『息恒循』を学ぶ

一息97 ミワラ<美童>の後裔記 R3.6.11(金) 夜7時

#### 一息オオカミ「壮行はジジサマ、見送りは包帯先生と生徒たち」後裔記 ####
 息恒循の{伝霊|でんれい}に{順|したが}って目覚めた深夜、思わぬ夜会! *ジジサマ*の、〈贈る言葉〉らしき講釈。見送りに来てくれた*包帯マスクのおねえさん先生*と、*その生徒たち*。故郷の{船住居|ふなずまい}に想いを{馳|は}せる先生。ホトトギスの{子等|こら}よろしく唱歌で見送ってくれた、幼い生徒たち……。
   学徒学年 オオカミ 齢13

 一つ、息をつく。

   《 眠れぬ船出の前夜、壮行の夜会 》

 {烈徒|れっと}の刻の{最中|さなか}……。
 ジジサマに{倣|なら}って、昼食のあと、昼寝♪
 ほっと、{気養|きよう}の刻……。
 ジジサマに{倣|なら}って、夕食のあと、夕寝♪
 暗闇の、{頭映|ずえい}の刻……。
 まだ深夜……当然、目が覚める!

 これ、ジジサマ自慢の、健康法。
 だが、この話は、置く。
 {何故|なぜ}なら、脱線して、話が長引くから。
 船出早々、マザメの小言は、御免{蒙|こうむ}る{故|ゆえ}。

 ジジサマが、言った。
 「なんだ、おまえらッ!
 自然エスノのくせをしおって、頭映の刻に{眠気眼|ねむけまなこ}とは、何ごとだッ!
 わしら和のエスノの早起きは、おまえら自然エスノの息恒循を真似た{訳|わけ}じゃない。真似たのは、おまえら自然エスノのほうじゃ!
 せっかく目覚めたのなら、書でも{捲|めく}ればよかろうにぃ。
 大陸の書なら、春秋戦国から前漢の史記列伝、後漢から戦国の三国志、明の時代なら、陽明先生の史伝と伝習録。
 我ら列島の書なら、{神代|かみよ}から飛鳥の古事記よし。平安の{枕草子|まくらのそうし}よし。おまえらの{所縁|ゆかり}でもある、鎌倉の平家物語もよしだ。
 人生とは、選択の連続だ。
 さてもおまえらなら、どの書を選ぶかッ!」

 (もうちーと、{静静|しずしず}と言えんもんかねッ!)と、思うおれ。
 そして……。
 マザメ、「枕草子」と、答える。
 スピア、「史記の列伝」と、答える。
 サギッチ、「三国志」と、答える。
 そしておれ、「古事記」と、答える。

 ジジサマ、おれのほうを向いて、静静と小言を漏らす。
 「そっちの三人は……まァ、ええじゃろう。じゃが、おまえは、どうかな。古事記が悪いとは言わん。{寧|むし}ろ、最たる大事じゃ。じゃが、船長として船出しようかというその前夜、読みたい書がそれとは、{如何|いかが}なもんかッ!
 せめて*おまえ*くらいは、波瀾苦境で終始した陽明先生の史伝と、答えて欲しかったが……なんと、古事記となッ!」

 ここで、助け船を出してくれたのは、スピアだった。

 「マザメ先輩さァ、後裔記に、書いてたよねッ? オオカミ先輩が、夢の中に出てきて、{斯|こ}う言ったんだったよねぇ?

 『おれの祖先は、{意富加牟豆美命|おおかむずのみこと}だッ!』って。

 で、古事記に興味が湧いて、読んでみたんだったよねぇ? それで、{斯|こ}う書いてたよねぇ?

 亡き妻との夫婦{喧嘩|ゲンカ}も{酣|たけなわ}、その{最中|さなか}、桃の実に命を助けられた{伊邪那岐神|いざなきのかみ}が、桃の木に{仰|おお}せられた。
 『私を助けてくれたように、{葦原中国|あしはらのなかつくに}に住む美しき{青人草|あおひとくさ}が苦しみ悩むとき、同じように助けなさい』……って、だよね?

 神話用語の解説も、書いてくれてたじゃん♪
 『葦原中国っていうのは、{葦|あし}の茂る地上の世界。特に、ぼくらが住んでる海洋の中の島々……一国一文明を指す。
 青人草っていうのは、{現世|うつしよ}の人……ぼくらみたいな、普通の人間のこと。これが、神が〈人間〉に言及した初出だッ!』……みたいな。

 だからぼくも、神話に興味を持って、古事記を読んでみたんだ。それでぼくも、後裔記に書いた。
 『地球の人口密度は、東京と鳥取の、どっちに近いんだろう。東京に近いとしたら、世界人口を減らさなきゃ!
 少子化は、人類の退化でもなく、絶滅危惧の警告でもない。神々が、葦原中国の青人草を産み過ぎたのを反省して、暫く、人産みを自粛しているだけなんじゃないのかッ!』……ってね。

 百年ごとの戦争は、イザナミが、夫婦喧嘩の売り文句を、律儀に実践し続けてるから。
 なんで律儀にそんなことをやってるかっていうと、イザナキの買い文句で、約束が交わされた事になっちゃったからさ。
 ここ最近の少子化は、イザナキが、その買い文句の約束を、{怠|なま}けちゃってるから。
 だから、オオカミ先輩は、{古事記|こじき}なんだよッ♪」

 嬉しかったが、「だから……{乞食|こじき}なんだよ」という文言が、脳裏にポッカリと、映し出された。{未|いま}だにおれは、貧しきを{糧|かて}にできていない。「オオカミよ。おまえはまだ、学問が足りん!」と、おれの脳ミソが、吠えている。
 おれは、正にオオカミ……{否|いな}、コヨーテだな♪
 てか、これぞ正に、妄想……(ポリポリ)。
 と、少しの間を置いて、{俄|にわ}かにジジサマが、語り出した。

 「〈{群|む}れる〉という字がある。
 中国で生まれた漢字だ。偏の〈君〉は、君主を表す。{旁|つくり}の羊は、{貢|みつ}ぎものを表すと言われておる。
 日本人は、この漢字を使って、『島国の群れの民族』と、言われてきた。自己主張をしない。本音を言わない。{即|すなわ}ち、自我を隠す民族という{訳|わけ}だ。
 でもな。本当に、そうなのだろうか。我ら日本民族は、そんな単純な、ただ群れているだけの、弱虫集団なのだろうか。

 人間には、〈五感〉というものがある。
 視覚、聴覚、{嗅|きゅう}覚、味覚、触覚の五つだ。その一つでも、感覚が{鈍|にぶ}ってしまうと、反応が悪くなってしまう。
 逆に、その感覚が、極めて研ぎ澄まされ、瞬間的な様々な気配を、感じ分けることも出来る。それを、我らのご祖先様は、『霊感』と呼んだ。
 言い換えれば、『直感による{閃|ひらめ}き』だ。〈インスピレーション〉という舶来語も。似たようなもんじゃろう。
 霊性とか精神性を意味する〈スピリチュアリティ〉という舶来語もあるが、これは少々、{趣|おもむき}を{異|い}とする。人間が、本来備え持っっている、物理的な機能という枠を超えて、宗教的な意識とか精神とかいったものを、指しておるんだと思う。

 〈間合い〉という言葉がある。
 人は、常に相手との{間|ま}を計り、気を合わせて、相手の出方を{量|はか}ろうとする。剣道の{鍔|つば}{迫|ぜ}り合いが、正にそれだ。五感を、研ぎ澄ます。
 茶道や柔道も含めて、〈道〉というものは、この間合い……{即|すなわ}ち、〈構え〉をつくるというところから、その道がはじまる。この道を究めようとする人は、己の内面の{怠慢|たいまん}な本性を見出し、自反し、その道を歩むための態度を、正してゆく。

 茶の道では、〈おもてなし〉の心を、大事とする。
 客人に喜んで{戴|いただ}けるように、いろいろと工夫をし、それに、趣向を添える。床の間には、掛け軸。花瓶には、野に咲く自然の花が、{生|い}けてある。主人も客人も共に、自然を共有し、自然の一部となって、共に、その自然を{愉|たの}しむのだ。

 日本人は、ただ群れているのではない。個々が、このような独自な道……即ち、〈構え〉というものを、持っておる。
 **構えて、{集|つど}う**。
 これが、群れているように見える日本人の真相……{神髄|しんずい}なのだ。
 我らの祖先は、構えて、豊かなる様々な創造性を発揮してきた。これが、古来{悠久|ゆうきゅう}、我が国が、『神の国』であるとか、『霊薬{生|む}す国』と呼ばれてきた{所以|ゆえん}なのだ」

 和の{民族|エスノ}という呼び方は、最近生まれたもので、おれが幼いころは、この人たちのことを、ただ単に、「旧態人間」と、呼んでいた。
 ジジサマが、構えて語り終わったあと、(旧態というより、「元祖自然人」だなッ!)などと、独り納得したような事をいくつか思ったけれども、一番は、やっぱり……。
 (で、その話ってさ。
 なんで、今なのよーォ!?)だった。

   《 見送りは、おねえさん先生と、その生徒たち 》

 包帯マスクのおねえさん先生と、その生徒たちは、ジジサマの前に呆然と突っ立って話を聴かされているおれら4人を見{遣|や}りながら、終始ニコニコと、{愉|たの}しそうな笑みを浮かべていた。
 そして、ジジサマの回り{諄|くど}い講釈の弁明を引き受けでもしたかのように、おねえさん先生が、優しい笑顔のまま、{斯|こ}う言った。

 「ユダヤ人の有名な哲学者は、斯う言っています。
 『人は{創|はじ}めることを忘れなければ、いつまでも若くある』と。
 おジジサマが、いつまでもお若いのは、その言葉を実践しておられるからなのかもしれませんねッ♪
 人間の脳というものは、本当に、不思議なものです。使えば使うほど、活性化する。逆に、{心苦しい緊張|ストレス}を感じてしまうと、その脳に、悪影響を与えてしまいます。
 せっかくの講釈も、よい刺激として聴き入れるのはいいのですけれども、聞かされてストレスを感じてしまうのは、よくないですね。
 そのストレスの研究で有名な学者さんは、斯う言っています。
 『よい刺激はその人の潜在能力を引き出す』と。

 島と島の連なり……。
 あなたたちには、そう見えると思います。
 でも、同じ自然エスノとは呼ばれていても、{私|わたくし}たち漂海民には、静と静の連なりにしか、見えないのです。
 海に住まい、時令に{順|したご}うて、次の海へ、次の海へと、移り住む。
 静は、見えて見えないもの。
 海に、友は{居|い}ない。

 嬉しく思っています。
 私の家が、{主|あるじ}を{換|か}えて、また、海を渡ることを……。

 最後に、『希望の島』という歌を、あなたたち4人に、贈りたいと思います。
 みんなで、歌いますねッ♪」

 おねえさん先生は、「最近、覚えたばかりなのよねッ♪」と、おれらと生徒たちを交互に見遣りながらそう言うと、幼い生徒たち一人ひとりの頭を、優しく{撫|な}でて回った。

 それから、ザペングール島が、{遥|はる}か後方の小さな点になるまで、おれの耳には、その子どもたちの歌声だけが、いつまでも聴こえていたのだった。
 それは、{宛|さなが}ら、ホトトギスの{子等|こら}の鳴き声レッスンに、少々、似たところはあっただけんどもーォ♪

 遥か隔つ 海の彼方
 波風静かに
 四時花咲き 香りは満つ
 哀れこの島よ
 希望の島、希望の島
 物みな足り満ち
 日は落ちず 花散らぬ
 歓びの常世辺

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Ver.,1 Rev.,7
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