MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

東亜学纂学級文庫

『息恒循』を学ぶ

一学96 ミワラ<美童>の然修録 R3.6.20(日) 朝7時

#### 一学ツボネエ「貧乏ヲ、考エタ。病弱ヲ{棄|ス}テ去リ、貧乏ヲ修メル」然修録 ####

 『{如何|いか}にして貧乏を{糧|かて}にするか』
 《貧乏は病弱より始末がよく、{功徳|くどく}をも授かる》
 《貧乏の功徳……梅園先生》
 《貧乏の功徳……海舟先生》
 《貧乏の功徳……{泥舟|でいしゅう}先生》
 《貧乏の功徳……タヌキ先生》
   少女学年 ツボネエ 少循令{飛龍|ひりゅう}

 一つ、学ぶ。

      **{主題と題材と動機|モチーフ}**

   《 {主題|テーマ} 》

 如何にして貧乏を糧かてにするか。
 
   《 その{題材|サブジェクト} 》

 貧乏は病弱より始末がよく、功徳をも授かる。 
 貧乏の功徳……梅園先生。
 貧乏の功徳……海舟先生。
 貧乏の功徳……泥舟先生。
 貧乏の功徳……タヌキ先生。

   《 この主題と題材を選んだ{動機|モーティブ} 》

 言わずもがな、サギッチ先輩の然修録より。
 先輩の頭ん中に封印された〈お題〉……。
 いっただっきまーす♪

      **題材の{講釈|レクチャー}**

   《 貧乏は病弱より始末がよく、功徳をも授かる 》

 功徳……神仏の果報。
 そして、それを授かるに値するような、世のため人のための善行。
 江戸期、幕末維新、そして明治の頃、この功徳を持った男たちが、なんと多かったことかッ!
 そして……今、正にその言葉は、死語。
 「クドク」と読めない子どもまでもが、出現しているらしい。

   《 貧乏の功徳……梅園先生 》

 江戸中期。
 大分の哲人、三浦{梅園|ばいえん}先生。
 {所謂|いわゆる}{碩学|せきがく}の人……{即|すなわ}ち、広く深く学問をする人ってこと。
 その梅園先生の碩学は、儒学、医学、天文学、物理学、博物の学、政治学、経済学、条理学にまで及んだ。
 特に最後の〈条理学〉……これは、アタイら自然{民族|エスノ}との関わりが、深い。
 {何故|なぜ}なら、自然現象を観察するなかで、自然界の生い立ちや成り立ちの法則性を、{見出|みいだ}そうとする……と、そんな学問だからだ。

 その梅園先生。
 {歳|よわい}60超えにして、儒学の高名な先生の門下に入る。そのときのこと……。
 梅園先生は、村から城下へ通学する少年を見て、驚いた。先生の{逸話|いつわ}集に、当時の様子が、こんなふうに記されているそうだ。

 「山{越|ごえ}四里{許|ばかり}なるを、十六歳の一少年は日々{経|けい}を抱きて往復するに、常に{洗足|はだし}なりき」

 16キロを裸足で歩いて、学校に通う?
 有り得ん!
 {況|いわん}や、歩くことじゃない。
 その当時の学校で教える学問が、そこまでして通いたくなるような魅力放っていたということに、{驚愕|きょうがく}を覚えてしまう。
 これには、梅園先生が門下に入ったところの師匠、綾部{絅斎|けいさい}も、ビックリ!
 梅園先生の逸話集に、続けて{斯|こ}うあるそうだ。

 「師絅斎、見て{之|これ}を{憐|あわれ}み、家人に命じて{草履|ぞうり}を与えしむ。少年謝して之を受け、{穿|は}きて{出|い}づと{雖|いえど}も、門を出づるや{直|すぐ}に脱ぎ、砂を払ひ、之を{懐|ふところ}にして帰る。
 翌日来るや{跣足|はだし}平日の{如|ごと}し。{而|しか}して
師の門に至るや、{復|ま}た草履を懐より取出し、穿きて入る。
 {其|そ}の用意{此|こ}の如きものありき」

 今、その少年の姿が、目の前に、ハッキリと映って観える。
 何故なら、アタイが、この世に産れ{出|い}でて七年間、病弱と貧乏意外、何も知らなかったから……だと思う。
 アタイは、ただ、自然の生きものだったんだ。
 西郷隆盛も、貧乏{侍|ざむらい}の{倅|せがれ}で、終生破れ草履を穿き、粗服を{纏|まと}い、{然|しか}しながら、行儀の良さは、{日|ひ}の{本|もと}一とまで、言われたそうだ。

   《 貧乏の功徳……海舟先生 》

 貧苦{艱難|かんなん}、よし♪
 貧弱多病、よし♪
 その**よし♪**の中に生まれ、その「よし♪」のなかに{居|お}ったればこそ、{彼|か}の人生が、〈偉人〉と呼ばれるようになったんだと思う。
 その、彼の偉人といえば、なんと言っても、アタイら少年少女貧乏塾の開祖……的な先人偉人、海舟先生♪
 誰かが、然修録に、海舟先生の逸話、書いてたよねぇ?
 高価な分厚いオランダ語の辞書を、高額な借料で借りて、二部写本し、一部を売って借料を返済し、残りの一部で、オランダ語を学んだ。
 今で言えば、{埃|ほこり}を被った分厚い{広辞苑|こうじえん}を二部、すべて手書きで写本するということに等しい。しかもそれは、日本語ではなく、オランダ語という難解な記号の羅列!

 ところで、今書いているのは、アタイら{美童|ミワラ}の学習帳、然修録。そして、もう一つの習わし……というか、義務。それが、後裔記……{所謂|いわゆる}日記。
 アタイらのムロー学級の先輩たちも、当時の海舟先生も、貧乏も年代も同じくする貧乏学徒! その海舟先生の日記が、今{甦|よみがえ}る。

 「弘化四、{丁未|ていび}秋、業に{就|つ}き、翌仲秋二日終業」
 ……この〈業に就き〉というのが、オランダ語の辞書を借りて、写本をはじめたという意味。

 「予此の時、貧・骨に到り、夏夜{蟵|かや}無く、冬夜{衾|ふとん}無く、た{ゞ|だ}日夜机に{倚|よ}って眠る。
 {加之大|しかのみならず}母{病牀|びょうしょう}に{在|あ}り。
 諸妹幼弱{不解事|ことをかいせず}」
 ……お母さんは病に伏し、妹さんは、まだ幼くて何も解らずだったみたい。

 「自ら{椽|タルキ}を破り、柱を{割|さ}いて{炊|かし}ぐ。困難、{到于爰|ここにいたって}又感激を生じ」
 ……ここまで来ると、貧乏というより、遭難サバイバルだねッ!

 「一歳中(一年で)、二部の{謄写|とうしゃ}成る。其の一部は他に{鬻|ひさ}ぎその諸費を弁ず。{嗚呼|ああ}此の後の学業、其の成否の如き{不可知|しるべからず}。不可知也」
 ……そして、いよいよ、その大努力の甲斐あって、大業{成就|じょうじゅ}に到る。普通ならここで、安堵とか自画自賛とかの気分に浸っても{可笑|おか}しくはない。
 ところが、「其の成否の如き不可知」って、大努力の結果など知る{由|よし}もなく{云々|うんぬん}って意味だよねぇ? こんなに苦労したのに、「いやいや、まだまだ知るべからず」ですってーぇ?!

   《 貧乏の功徳……泥舟先生 》

 この維新という時代、この海舟、鉄舟、{泥舟|でいしゅう}の三人は、「三舟」と称せられた。
 鉄舟は、スピア先輩の然修録にあった山岡鉄舟、その人。
 残る泥舟とは、その鉄舟の師匠、高橋泥舟のこと。
 鉄舟を弟子に持つほどの、この泥舟という人物。彼もまた、貧乏一筋で自らを鍛え上げ、{槍|やり}一筋で{伊勢守|いせのかみ}となり、講武所の教授なども務めた貧乏偉人。

 その泥舟の兄がまた、凄い!
 本家の跡継ぎとして家父長となった泥舟のお兄ちゃんは、{槍術|そうじゅつ}の鍛錬を{遣|や}り過ぎて、若くして過労死! 己の死を悟ったお泥舟のお兄ちゃんは、自分の跡継ぎを、小野鉄太郎という男に託した。
 この男、剣道の達人にして、禅の修行にも熱心で、その自らの行動で体得したことを、マメに書にするという大努力家で、しかも元来、器用な男だった。この〈鉄太郎〉が、のちの鉄舟なのだ。

 貧乏を哲学に……即ち学問にまで押し上げたこの三人の狂人……三舟!
 さぞ{厳|いか}めしい顔で、頑固一徹の性格だったに違いない……と、思うよね? ところが、シントピック・リーディングを続けるうちに、ある真実が、浮かび上がってきた。
 {因|ちなみ}に、シントピック・リーディングってのは、寺学舎の座学で習った読書法だけど、要は、一冊の本や一人の意見なんぞを、{鵜|う}呑みにするなッ!ってこと。
 で、例えば泥舟先生の場合……。
 変な名前だと、思わない?
 この名前、『カチカチ山』っていうお{伽|とぎ}ばなしから取ったんだってさッ!

   《 貧乏の功徳……タヌキ先生 》

 『カチカチ山』と言えば、お{狸|タヌキ}先生♪
 当時の武人たちは、そのタヌキさんを、〈領地監視の達人〉として、{崇|あが}めていたらしい。なんで、そこまでぇ? ……って、思うよねぇ?
 では、そのタヌキさんの、題して……。
 **領地を要領よく監視する方法♪**
 タヌキ師匠、{曰|いわ}く。
 「縄張りを監視したければ、縄張りを持つなッ!
 共同便所一つもあれば良し♪
 共同便所にションベンやウンチくんをしにきたタヌキ君{等|ら}は、必ず、己の*臭い*を残す。
 それを、面倒がらずに{嗅|か}いでおけば、『今日は、{余所|よそ}者が何人やってきて、片や森の{同胞|はらから}たちが何人去って行ったか』……なんて情報は、寝ながらにして、容易に判ってしまう。
 {況|いわん}や!
 縄張りは、持つものではなく、嗅ぐものだ」……と。

 学問の一番の美徳は、*貧乏でも出来る*ということだと思う。
 この貧乏がうえにも磨かれた**美徳**の裏打ちがなければ、どんなに大金を注ぎ込んだり、どんなに{莫大|ばくだい}な額の血税を投入しようとも、いくら「研究だの学問だの」って言ったところで、それはまったくの〈無駄、無価値、無意味〉だと思う。
 ただただ、腹立たしいだけだ。

   《 {蛇足|スーパーフルーイティ} 》

 海舟先生の日記が、今に、残っている……。

 その事実を知ったアタイら自然{民族|エスノ}の先人{先達|せんだつ}の{武童|タケラ}や{美童|ミワラ}たちは、どんなに勇気づけられただろう。
 だって、そうでしょ?
 海舟先生の日記が、百六十年内外の時を経て、現在に残っている……。
 つってーぇことはさッ!
 アタイらの日記……後裔記も、学習帳のこの然修録も、数百年の時を超えて、アタイらの子々孫々に読んでもらえる可能性が、**大!**ってことじゃん?

 そういうのって、勇気{凛々|リンリン}!
 もう、「どうにも止まらないーぃ♪」
 ……じゃない?
 
_/_/_/ 要領よく、このメルマガを読んでいただくために……。
Ver.,1 Rev.,7
https://shichimei.hatenablog.com/about

// AeFbp // 東亜学纂学級文庫
The class libraly of AEF Biographical novel Publishing