#### 一息サギッチ「{處女篤考|ショニョトッコウ}……この世の最期に、思うこと。{鰯|イワシ}のウイリー!!」後裔記 ####
《 矢庭の荒天 》《 一瞬、一瞬の連続…… 》《 運命の時…… 》《 後悔……慈愛 》
少年学年 サギッチ 齢9
一つ、息をつく。
……と、いうことは、生きている。
少なくとも、おれは。
しかも、おそらくここは、この世。
ここにいるから、この世。
果たして*ここ*とは、どこなのか……。
《 矢庭の荒天 》
月明かり……。
それは、矢庭の出来事。
正に、闇夜。
予告無き、引き波のような不測の大波。
ドォーン!!
船底を{叩|たた}く、大きな音。
船倉の壁も、床も、ビリビリと{震|ふる}える。
《 一瞬、一瞬の連続…… 》
胴の間の{木の蓋|ハッチ}は、開けたままだった。
{甲板|デッキ}の上に、頭だけ出す。
直ぐ横、闇夜の中に、白い顔{一|ひと}……スピア。
舵輪のあたりで、白いクレモナロープが、蛇が斜面を登って逃げて行くように、くねっている。
不器用……。
オオカミ先輩が、舵輪の支柱に、自分の{身体|からだ}を、{括|くく}りつけているところだった。
壊れた……。
オオカミ先輩が、吠えた。
「右{200|ふたひゃく}、荒天!
左200、荒天!
我が心、{荒涼|こうりょう}なりて、退路無し!」
スピアが、一言。
「就寝許可のおにいさんが、見える」
「どこによッ! なんでよッ!」と、おれ。
「迎えに来たんじゃない?」と、スピア。
「あの世からかい! やなこったァ!」と、おれ。
スピア、大声で叫ぶ。
「ねーぇ!!
ヒヤ{間|ま}に、降りとけばーァ?!
危ないよッ!」
オオカミ先輩、直ぐに応えて、大声で言い返す。
「バカこけッ!
波に船首を立てないと、ズングリ丸、ズングリ返るんだぞッ!」
意味は判ったけど、後から考えると、意味不明。
オオカミ先輩、矢庭に吠える。
「今だッ!
救命胴衣着て、トモの間に、移れ!
マザメと三人で、生きる準備、なんかやっとけッ!」
救命胴衣を着て、再びデッキの上に、顔を出す。
スピアも、ほぼ同時。
そのスピアが、言った。
「ぼくたちの命って、首の皮、一枚だね」
「皮一枚でぶら下がってんのかよッ!
痛いだろッ!」と、おれ。
たぶん、そう言ったと思う。
これも、後から考えると、意味不明。
ロープで舵輪の支柱に固定されたオオカミ先輩の足を、*手摺り代わり*にして、どうにか生きたまま、トモの間に降りる。
オオカミ先輩の左足を{掴|つか}んだとき、スピアは、もう一本の右足のほうに、しがみついていた。
マザメ先輩……。
魔性の{鮫|サメ}{乙女子|おとめご}と呼ばれる割には、海は、苦手なご様子!
そのマザメ先輩が、言った。
「舟のこととか、天気とか、これからどうなるとか、そんなこと話したら、{打|ぶ}っ飛ばすからねぇ!」
スピア、無言。
おれも、思い当たる適当な{話題|トピック}、無し。
暫し……{間|ま}。
マザメ先輩が、口火を切った。
「そうだッ!
おねえさん先生の名前、知ってるーぅ?!
ゲンコなんだってーぇ!!
奥深くて暗い意味の〈玄〉に、十二{支|し}の寅。
それで、玄寅!」
「暗闇の海底に沈む{虎|トラ}ってことォ?」と、スピア。
「かもね。
そうだッ!
人望の意味って、知ってるぅ?
みんなに{奢|おご}ってもらうことだよ。
将来性があるから、見込みがあるから、未来があるから、奢ってくれるのさ。
それが、人望さッ!」と、マザメ先輩。
「じゃあ、ぼくら四人とも、人望無しだね。
だって、未来なんか、無さそうだし……」と、スピア。
「それ!
未来の話も、禁止!
話題、変えてーぇ!!」と、マザメ先輩。
《 運命の時…… 》
ドォ、ドォーン!!
再び、まるで、太鼓を叩くような音。
それは、ズングリ丸の、どてっ{腹|ぱら}……機関室の底の方から、響いてきた。
静寂。
ピューピューと、風は、{煩|うるさ}く吹き荒れているのに、それでも何故か、耳の中は、静寂だった。
スピアが、言った。
「エンジン、切ったのかなァ」と、独り{言|ご}ちるように。
「燃料切れかもなッ!」と、おれ。
「じゃあ、走り切ったってことでしょ? あとは、ただ流されるだけで、目的地に着ける。だったわよねぇ?」と、マザメ先輩。
その時だった。
「おい!
誰か、燃料計、見てくれ。
照明切るから、早くしろ!
ヒヤ間の隔壁、穴、開いてんだろッ!
そこから、覗け。
温度計みたいなの。
早くしろ!」
意外なことに、マザメ先輩が、動いた。
そして、何やらブツクサ言いながら、その温度計みたいなのを見つけると、もったいぶったように、言った。
「あーァ、いッ!
うーゥ、えーェ?
おッ!
三分の一……じゃなくってーぇ!!
四分の一と、ちょい! ってとこかなッ♪」
静寂の次に、沈黙が、訪れた。
その次に訪れたのは、スピアの声。
「切ったんじゃなくて、止まったんだね。
エンジン……。
さっきの、ドォーンでぇ!」
そして、沈黙とスピアの声の次に訪れた音は……。
カスッ、ルルルルル......
カスゥ、ルルルルル……
と、{哀|かな}し{気|げ}な、エンジンの絶望音♪
真っ黒い雲
暗黒の海流
{牙|きば}のような白波
水墨画が描く
地獄絵巻
向かってくる暗黒の海流と牙のような白波に船首を立てなければ、船は波の肩叩きリレーに押されて{横倒|よこだお}しか、最悪は、船尾を{煽|あお}られて……オカマを掘られてぇ! ほんでもって*つんのめって*、その反動で、ズングリ丸は{顎|あご}を上げて、真っ黒い雲を{仰|あお}ぎながら、ブクブクと、ブクブクと、海底に在るのだろう〈あの世〉へと、サヨナラしてしまう。
《 後悔……慈愛 》
マザメ先輩が、変なことを、言いだした。
そのとき、何故だか、何気に、こんなことを思った。
(生きているうちに、優しい言葉の一つも、掛けてあげればよかったかなァ……)と。
マジで、本当に、そんなことを思った、おれ。
マザメ先輩が言った、変なこと……例えば。
「人道ってのは、二つあるんだ。
ペデストリアンと、バーチュー。
{歩|ある}く道と、{歩|あゆ}むべき道。
歩く道……ペデストリアンは、もう無い。
海、海、海……。
こん{畜生|ちきしょう}!
歩けやしない!
{最早|もはや}、歩むべき道に、進むしかない。
美徳の道……バーチュー。
あの世の、ペデストリアンさ。
{解|わか}るだろーォ??」
スピアが、言った。
「親と{同|おんな}じだね。
女の子って......。
孝したいときには、もう、死んでる」
その時だった。
オオカミ先輩が、吠えた。
無論、言っておくけど、スピアの言葉が、届いたはずもない。
依然、荒れ狂う風雨が、耳ん中を、支配していた。
で、オオカミ先輩……。
「ショニョトッコウだッ!
こっちは、おれに任せろッ!
マザメに、ショニョトッコウしてやってくれ。
頼む!」
その時は、その言葉に関しては、まったく、意味不明だった。でも、不思議と、オオカミ先輩が、おれらにして欲しいことが、判るような気がした。
後で調べてみると、その言葉は、〈處女篤考〉と書くことが、判った。
その意味は……。
「女性に接するときは、真心を込めて、愛情のこもった孝行をする」
(そんなことが出来たら、歴史に、名を{刻|きざ}めるぜぇ!)と、あとになって思った、おれ。
でも、スピアは、もっと{上手|うわて}だった。
そのスピアが、壊れた白い顔をして、独り{言|ご}ちた。
「{處人藹然|しょじんあいぜん}。
息恒循。
恒令六日目、{六然|りくぜん}。
人に接して相手を楽しませ、心地よくさせる。
この世で最後に、ぼくがやるべきこと……。
その相手が、マザメ先輩。
光栄……されど、無念!
さらば……有事{斬然|ざんぜん}」
また、オオカミ先輩が、吠えた!
「重い物は、ぜんぶ、海に捨てろッ!
船ん中のバケツとロープ、ぜんぶ集めろッ!
やるだけやって、ダメなら、死ぬだけだ。
海に落ちてもいい。
誰が先に死んだって、恨みっこ無しだァ!
動けーぇ!!」
動いた結果、おれとスピアは、まだ生きていた。
集めた鉄バケツにロープを{括|くく}りつけ、オオカミ船長に指示されるがまま、それらすべてを、船尾の右舷側に、投げ入れた。そのロープの末端は、オオカミ先輩の{身体|からだ}に、括りつけられている。
そして、オオカミ先輩が、言った。
「おまえらッ! もう、船倉に入れ。
伏せて、神に祈れ!」
ズングリ丸は、ピッチング、ローリング、ヨーイングを、繰り返した。つまり、前後、左右、上下に、それぞれ好き勝手に、大いに揺れ続けたということだ。
その果て……。
トモの間の出入口に、木製の上げ{蓋|ぶた}……{所謂|いわゆる}カーゴハッチが、被さった。
言わずもがな、オオカミ先輩の{仕業|しわざ}……即ち、「おまえらだけでも、どうにでもして、何がなんでも、生き残れッ!」っていう、所謂余計な、大きな*お節介*だった。
ぼくとスピアは、重ね着しているズタボロのポロシャツやラガーシャツのすべてを脱ぎ捨て、それらすべてを、マザメ先輩の身体に巻き付けたり、被せたりした。
スピアが、おれの目を見た。
おれも、スピアの目を見た。
そして、オオカミが、吠えた!
「{鰯|イワシ}のウイリーじゃーァ!!!!!!」
【註釈】
ウイリー……後輪走行。
それを、鰯の立ち泳ぎに{譬|たと}えたもの。
{敢|あ}えて漢字で書けば……〈船尾走行〉。
この世で最後に妄想する光景が、イワシのウイリーとは……。
いやはや、なんとも。
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Ver.,1 Rev.,7
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