#### オオカミの実学紀行「ジジッチョ流、和式の教学に明け{暮|く}れる」{後裔記|112} ####
《爆睡から目覚めると、{蒸|む}した声が共鳴していた》《どうでもいい事がどうでもいいか{否|いな}かに{拘|こだわ}るジジッチョ》《上等な{妄想|もうそう}を聴講する上等なアマガエル様親子》
学徒学年 オオカミ 齢13
体得、その言行に恥ずるなかりしか。
《 爆睡から目覚めると、蒸した声が共鳴していた 》
{俄|にわ}かに、ここがどこかを、思い出した。
銭湯の脱衣場……。
板の間で、寝心地は良いはずもなかった割には、爆睡してしまった。ムロー学級の他の五人は、まだ爆睡中のようだった。長屋の連中は{皆|みな}、慣れているのか、横になったり座したりしながら、何やら{瞑想|めいそう}の様相を呈している。
はて、問題の二人は……?
蒸した空気を掻き混ぜるように、爺さんと子どもの声が、共鳴している。(こいつら、ずっと喋ってたのかッ!)と、思ったおれ。言わずもがな、ジジッチョと孫のガキッチョのことだ。
おれの顕在意識は、どうにか目覚めたみたいだが、どうやら肉体のほうは、まだ起きてはいないらしい。*どうやら*、相当に疲れていたようだ。
(『子どもは、疲れない』というのが本当なら、おれはもう、子どもじゃないのかもしれない……)などという{妄想|もうそう}が、{始|はじ}まろうとしていた。だがそれを、二人の蒸した会話が、無遠慮に妨げる。
ジジッチョが、言った。
「なァ。おまえ、自然人のこと、どこまで知っとるか」
「自然エスノのことォ? 自然人なんでしょ? そこまでだよ」と、ガキッチョ。即答!
「なーんじゃ、そりゃ。まァ、いい。
じゃあ、聴け!
天地創造から次の天地創造までの間の世の中のことを、〈{此|こ}の世〉という。次の天地創造が到れば、それまでの此の世は、〈あの世〉と呼ばれるようになる。
この世のことなら、この世で生きるわしらの遺伝子にその歴史が刻まれておるが、あの世の情報は、まったくの皆無だ。
その、わしらの此の世は、{既|すで}に、{優|ゆう}に三千年を超えておる。人間に{譬|たと}えれば、天寿を迎えるころ……そう、その通り、爺さんじゃ!
此の世の始まり……それは、初代の天皇、神武天皇が即位されるもっと前、我らが太祖の神々が、天地を創造され、現在のこのような〈此の世〉となっておる{訳|わけ}だ。
その天地創造で、神々が国産みをしたその直ぐ{後|あと}に、わしら{青人草|あおひとくさ}……今で言う〈人間〉が、誕生したのだ。その誕生の直後、その青人草は、進化を、二分した。二系統に分かれたということだ。
その一つが、自然民族。そして、残る一つが、わしら和の民族だ」と、長々と……長々と、ジジッチョ!
「……ってことはさァ。ぼくらのご先祖様がやった天地創造って、ぼくらの国を造っただけってことーォ?? なんか、意外と、ジョボイんだねぇ!」と、ガキッチョ。
「まァ、そう言うな。わしら民族の神話じゃ。民族ごとに、神話はある。そして此の世も、民族ごとに存在するということじゃ」と、ジジッチョ。なんかちょっと、苦し{紛|まぎ}れ!
ガキッチョの感想は、{尤|もっと}もだ。
だが、おれら自然{民族|エスノ}にとっては、別の意味で、聞き捨てならないところがある。おれらは、{斯|こ}う教えられてきたからだ。
「源平合戦終わりし頃、平家の{傭兵|ようへい}であった野島の海賊衆が、谷底に忍び、森に{潜|ひそ}み、地底を掘り、海に{漂|ただよ}いしながら、一つの民族を形成していった。それが、我ら自然エスノのルーツなのだ」……と。
ジジッチョが言うとおり、民族ごとに〈此の世〉があると言うのなら、語り伝えの一つや二つ{違|たが}えていたとて、なんら不思議もなければ、なんの問題もない。
「そうだ」と言うのなら、「そうか」と思えばいいだけのことなのだ。どうやら、ガキッチョも、同じことを考えたらしい。
ガキッチョが、言った。
「よくわかんないけど……まァ、いいや。心気を養うよ、ぼく。で、さァ。あいつら、これから、どうするのォ?」
「どうもしないさァ。今、おまえが言ったじゃないか。今、あいつらに必要なのは、心気の回復だ。気遣ってあげなさい」と、ジジッチョ。
そのあと、声は聞こえて来なかったが、{圧|お}された空気が、おれの肌を{撫|な}でた。ガキッチョが、{頷|うなず}いたのだ。
何やら、気恥ずかしいというか、照れくさい感じがした。
《 どうでもいい事がどうでもいいか否かに拘るジジッチョ 》
あくる朝……長屋の角部屋。
心気の養いが過分と思われる女が、言った。
「ねぇ。なんで焼かないのォ? パン!」
ガキッチョ、振り返ってマザメの顔を見返したが、無言。どうやら、言語を省いて{以|もっ}て神気を養い中の模様。
ジジッチョ、失意{泰然|たいぜん}の構え。正に、技師長の風格。そこで{喋|しゃべ}らなきゃいいのに……ジジッチョが、言った。
「焼いて仕上がったものを、また焼くというのは、焼いて仕上げた人間に対して、義理が立たん!」
出たッ! わけわかんねーぇ♪
「どうでもいいことに{拘|こだわ}るんだね、和の人たち……って」と、ツボネエ。
まァ、そうだな。おれも、そう思う。
矢庭にジジッチョ、有事斬(ざん)然とばかりに、ツボネエに言い返してきた。(大人気ない民族だな、和って!)と、思うおれ。
「どうでもいいことかァ。
確かに、そうだな。
{然|しか}しだ。
この世の中、どうでもいいことに{拘|こだわ}ることで、{脆弱|ぜいじゃく}な心や虚弱な肉体を{癒|いや}している{輩|やから}が、なんと多いことか。
わしも、その一人に過ぎん……という、どうでもいいことに口を挟む*ご辺*も、脆弱虚弱な{御身|おんみ}を癒したいだけの後輩の一人に過ぎんのではないのかなァ?
もし、『違う!』と言い張るなら、それこそが、どうでもいいことだ」
……と、ジジッチョは、そこまでを言い切ると、自{處|しょ}超然と言わんばかりに、天(……天井)を、仰いだ。
《 上等な妄想を聴講する上等なアマガエル様親子 》
{正|まさ}に、どうでもいいような手抜きの朝食が、「あッ!」と言う間に、終わった。
{何故|なぜ}か、長屋の前を流れる小川の{縁|へり}に並ぶ、十七人(……爺さん+長屋の十人+おれら六人)。
何故か、{一跨|ひとまた}ぎで渡れる対岸に居並ぶ、アマガエル様一家の親子(……たぶん)。
{何気|なにげ}に、ムロー先輩が、言った。
「己自身のことに拘ってしまうことと、己の心が何かの物に{囚|とら}われてしまうことと、どう違うんだろう」
「ねぇ。それって、独り言ーォ?!」と、ツボネエ。
「上等な妄想だな」と、おれ。
そして、ふと思った。
いつも、一番騒がしい二人……スピアとサギッチ。
あいつら、妙に、口を閉ざしている。
(何か、不満でもありや。それとも、あいつらもやっと、悩むという人間らしい営みの初体験をしているところだったりして……)と、そんなどうでもいいようなことを思ってしまったからかどうかは判らんけんども……そのスピアの口が、開いた。
開いたら開いたで、言わずもがな……面倒っちい!
「自分のことを拘るのが虫けら。自分の心が物に囚われてしまうのが、人間だよ」と、スピア。
「なーんじゃそりゃ!」と、これも言わずもがな、サギッチ。
「そこのアマガエル様に訊いてみれば、判るじゃん♪ {蛙|カエル}は、虫じゃないけど……。
こいつらは、ジャポニカっていう種類のカエル……ニホンアマガエルさ。アマガエル科のアマガエル属だから、ぼくらヒト種よりもっと上位で一つになってる、上等な生きものなんだ。
ぼくらヒト種のほうが、劣性ってことさ。しかも、ぼくらは既に、退化と分化を経て、**亜種**だし! あの親子さァ、ぼくらより、座る姿が、{様|サマ}になってるでしょ? だから、『アマガエル様!』って呼んでるんだよねぇ? マザメ先輩も……」と、スピア。
(魔性の{鮫|サメ}の{乙女子|おとめご}が、そんな面倒っちいこと考えるわけねーぇだろッ!)と、思ったおれ。
で、そのマザメが、似合わない体育座りのまま、落ち着かない目を、スピアのほうに向けて言った。
「まァ。それは{兎|と}も{角|かく}。虫けらの拘りって、何さァ!」
「独自に{悠久|ゆうきゅう}、{培|つちか}ってきた{種|しゅ}存立のための{術|すべ}を、子々孫々に正確に修得させること。人間には、そんな拘り、無いでしょーォ?!」と、スピア……即答。
「進化するためには、{護|まも}るべきところは護り、改めるところは改めて、日々{弛|たゆ}まぬ努力で{変貌|へんぼう}してゆくもの……ってかァ?」と、サギッチ。
さすがは、面倒っちいコンビの片棒だけのことはある。こいつも、じゅーぅぶんに、面倒っちい!
「虫けら{如|ごと}きにできることが、なんでおれら人間に、出来ないんだよッ!」と、意外にもここで、意外にもそんな口を挟む、ガキッチョ。
「もし、護るべきところを護ってたら、タケラ〈武童〉は、ヒトケラ〈人けら〉なってたってことォ?」と、ツボネエ。
「タケラとヒトケラも、ブンメイとシゼンとワも、コイツらには区別なんてつかないよ」と、おれ。まさに、どうでもいいことを言ってしまった! 気のせいか、ニホンアマガエルのお母さんと、目が合ったような気がした。すると……。
「チンパンジー亜族にだって、あたいらヒト種一人ひとりの顔を見分けることなんて、出来ないんじゃないのォ?」と、マザメ。
(この野郎! 脱線して{悔|く}いているおれに、追い{討|う}ちをかけやがってぇ……)と、思うおれ。
「サメオトメゴ亜族の上位は、ツノザメ目のヨロイザメだと思っておったが、意外と、ジンベイザメとの混合種なのかもしれんなーァ♪」と、ジジッチョ。
「それ、どういう意味かしらん?」と、ツノザメとヨロイザメの混合種、マザメ。
その答え{如何|いかん}によっては、自然界の天と地が引っくり返るよな嵐に見舞われるということを、まだこの爺さんは、気づいてはいないらしい。
そのジジッチョ、身の危険を感じたのか、以後、終始無言。
誠に幸い、ジジッチョの失言は、不問に付された。
桑原桑原……。
**{格物|かくぶつ}**
(人間の顔を見分ける{鴉|カラス}の知能の高さに、改めて敬服!)……って思ったのは、やっぱ、おれだけかなッ!
なんていう妄想の{傍|かたわ}ら、春の{一日|いちじつ}……その夜な夜な。
然修録の復習をする、おれ……だった。
{六然|りくぜん}。
六つの自然態。
〈息恒循〉、その〈恒令〉……その六つ目(金曜日)。
〈{自處|しょ}超然 自ら処すること超然〉
自分自身に関しては、いっこう物に囚われないようにする。
〈處人{藹|(あい}然 他者に処すること藹然〉
他者に接して相手を楽しませ、心地よくさせる。
〈有事{斬|ざん}然 有事には斬然〉
事があるときは、ぐずぐずしないで活発にやる。
〈無事{澄|ちょう}然 無事には澄然〉
事なきときは、水のように澄んだ気で{居|お}る。
〈得意{澹|たん}然 得意には澹然〉
得意なときは、淡々とあっさりして居る。
〈失意{泰|たい}然 失意には泰然〉
失意のときは、泰然自若(落ち着いていて、物事に動じないさま)として居る。
_/_/_/ ご案内 【東亜学纂学級文庫】
Ver,2,Rev.1
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