MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

東亜学纂学級文庫

『息恒循』を学ぶ

ミワラ<美童>の座学日誌 No.110

#### スピアの座学日誌「儒学は、{何故|なにゆえ}日本の国難を救い得たのか!」{然修録|110} ####


 『儒学で修練した先人たちが退化しなかったのは、{何故|なぜ}か』 《退化とは、土石流が{如|ごと}く》《儒学の修練で崇高な心を保ち得た先人たち……その儒学を生んだ大陸中国とは》
   少年学年 スピア 少循令{猫刄|みょうじん}

 {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。

      **{主題と題材と動機|モチーフ}**

   《 {主題|テーマ} 》

 儒学で修練した先人たちが退化しなかったのは、何故か。

   《 その{題材|サブジェクト} 》

 退化とは、土石流が如く。
 儒学の修練で崇高な心を保ち得た先人たち……その儒学を生んだ大陸中国とは。 

   《 この主題と題材を選んだ{動機|モーティブ} 》

  オオカミ先輩の然修録……。
 「{最早|もはや}事態は、急を要す」 → 「強い意志を持った、真の{統率者|リーダー}の登場が、不可欠なのだ」 → 「やはりここは、地道にコツコツ♪ ……不断の努力だッ!」

 まァ、不断の努力……{即|すなわ}ち、{一燈照隅行|いっとうしょうぐうぎょう}の修練を{怠|おこた}れば、自然界の崩落と共に、ぼくら人間は、いとも簡単、{脆|もろ}くも{頽廃|たいはい}してしまう。
 これが、{忌|い}まわしき退化だッ!

 維新前後の崇高な心を保ち続けた先人たちは、大陸中国の儒学を、学んでいた。
 {何故|なにゆえ}に、中国なのかッ!

      **題材の{講釈|レクチャー}**

   《 退化とは、土石流が如く 》

 山登りは{疎|おろ}か、峠道を上ることさえ、楽じゃない。だのに、下るのは、速い。楽……と言うより、無意識のうちに、下りきってしまう。
 「人間も、同じだッ!」と、先人語録は、口を揃える。
 鍛錬陶治して己という一人の人間を築き上げることは、本当に難しく時間もかかる。……けれど、頽廃墜落は、非情にも早過ぎる。
 国家も、同じ。過般の{聖驕頽砕|せいきょうたいさい}(前回の〈百年ごとに必定〉の大治乱)で大敗した以降のぼくらの国の墜落を観れば、正に明白だ。

 そこで、洋の東西の先人語録を、一つずつ。

 {リヴァロル|Comte Antonie Rivarol}(一七五三~一八〇一)。フランスの有名な語学者。批評家、政治評論家。彼の名句「{明晰|めいせき}ならざるものはフランス語にあらず」に代表されるように、フランス語の価値を高め、国語の重要性を説くことに努める。
 その、語録……。
 「どんなに進歩した国でも、一歩誤れば、ただちに野蛮時代に退化することは、ちょうど夏なお寒き氷の刀でも、{忽|たちま}ちにして褐色の{錆|サビ}を生ずるのと同じである。国民も金属のように、表面だけしか輝いていない」
 経済人は経済力を誇り、政界人は治世力を誇る。いつなんどきでも誇れるということは、そこに偏見が君臨していることの証しでもある。
 ぼくは、どちらもド素人だから、偏見は、まったく持っていない。{故|ゆえ}にぼくは、素人であることを、誇る。
 その素人から観たこの国と国民は、{脆弱|ぜいじゃく}……意外と{脆|もろ}く弱く、質も、悪い。経済だの政治だのと言っても、結局は、心の問題……{如何|いか}に精神を鍛練しているかが、問題なのだと思う。
 ……と、これも、先人偉人が、声を揃えていることだけれど。

 {洪応明|こうおうめい}。{字|あざな}は、自誠。中国明代の著作家。
 その自誠さんの有名な著作が、『{菜根譚|さいこんたん}』。儒学、仏教、道教思想に{纏|まつ}わる処世訓。著作家と呼ばれしだけあって、文章に{締|しま}りがあり、{凛|りん}としている。
 {斯|こ}う……ある。

 「一疑一信・{相|あい}{参勘|さんかん}し、勘極まりて智を成せば、{其|そ}の智始めて真なり」
 疑問に思ったことと、己が信じて{已|や}まない所信とを、何度も何度も思索検討し、それを極めて初めて、真理に到達することができる……と、恐れ多くも、そんな意味。

 「一苦一楽・相磨錬し、錬きわまりて福を成せば、この福始めて久し」
 {此|こ}れ、錬成の解説。苦労が{疎|おろそ}かな幸福など、なんの喜びにもならない。逆境から逃げずに自己を錬成してゆくうちに、いくつもの生きるための秘技が身につくものだ……と、これまた恐れ多くも、そんな意味。

 確かに、事態は、急を要す。
 されど学問は、確かに、地道にコツコツが、肝要!
 みたいな……(ポリポリ)。
 
   《 儒学の修練で崇高な心を保ち得た先人たち……その儒学を生んだ大陸中国とは 》

 希望 {グレート・チェンジ|Great Change}
 現実 {グレート・イリュージョン|Great Illusion}
 課題、{グレート・アウェイクニング|Great Awakening}

 希望、大いなる変化
 現実、大いなる幻想
 課題、大いなる覚醒

 世界中の専門家が、この〈3G〉の{変遷|へんせん}を認識し、等しく、ひとしきり、指摘している。
 近い将来、日本の人口の八〇%が、関東の大都市圏に集中すると言われ続けてきた。そこへきて、ぼくらもそうだけど、突如! 予告なき疎開……。
 {青人草|あおひとくさ}の大きな{過|あやま}ちに対して、何か形なき大きな力が、働き始めている。
 
 世の{敬虔|けいけん}な政治哲学者たちは、ぼくたちの国を評して、{斯|こ}う言う。
 「日本くらい歴史的に恵まれた国は、他に例がない。最たるは、地の利。
 大陸と離れた島国であるが{故|ゆえ}に、他の大陸の国々のように、異民族から攻撃を受けたり、征服されたり、それに抵抗して{叛乱|はんらん}や革命が起きて多くの流血を余儀なくされたりといった{惨憺|さんたん}たる悲劇を経験することが無かった。
 それに{因|よ}って、建国以来、単一民族・単一言語の平和で巨大な一つの家族のような、信じられないほど{穏|おだ}やかで恵まれた国体を、保ち続け{得|う}ることができたのだ」……と。

 では、対して、お隣の大陸中国は、どうか!
 同様に、{彼|か}の政治哲学者たちは、斯う言う。
 「{所謂|いわゆる}中国というのは、{古|いにしえ}を{辿|たど}って{二十四史|にじゅうしし}とか二十五史とか言われるように、王朝交替が繰り返されるという{易姓|えきせい}革命の国である。
 夏、{殷|いん}、周、秦、漢、晋、隋、唐、宋、元、明、清というように、始終、王朝の姓が変わってきている。
 ヨーロッパの国々も、総じて、この易姓である。
 その中でも、特に中国は、〈易姓革命〉の国と言われ、ありとあらゆる戦争、革命、叛乱が繰り返されてきた国で、実に複雑であり、且つ劇的だッ!
 {順|したが}って、まさに! 日本とは対照的な民族性や社会道徳を、生み出してきたのだ」……と。

 信じられないほど恵まれて{世間知らずでお人好し|ナイーブ}で有り続けてきたぼくら日本人が、何故、この劇的な大陸中国の哲学……儒学を、特に江戸・維新・明治のころ、学校教育の型として{据|す}え、学び、行動に役立てようとしたのか。
 それは、劇的に世界を駆け回る狩猟民族たちの侵略から、平和で在り続ける日本を護るために、どうしても修練しなければならない、*現実*の学問だったからなのではないだろうか。

 前回の〈百年ごとに必ず起こる大戦〉で、日本は、大陸と大洋の{何|いず}れの戦いも大敗し、その{頽廃|たいはい}の{最中|さなか}、多くの兵士や現地で生活する人たちが、祖国日本に復員してきた。
 なかでも大陸中国から復員してきた人たちは、こんな中国語を、よく口走ったという。
 「{没法子|メイファーツ}……」と。
 これは、「仕方がない」とか、「もうダメだ」という意味で、落胆を表してそう言っていたのだそうだ。
 ところが!
 実際、当地中国では、この「没法子」という言葉を、もっと違う意味で使っているという。
 確かに、「仕方がない」までは同じで、復員してきた日本人たちが、その意味を{違|たが}えていたとまでは、言いきれない。でも、大事なのは、その「仕方がない」の先に続く〈意味〉のほうなのだ。
 それは……「*仕方がない*ことは、もうここに、置いてゆく。よし! やり直し……出直しだッ!」という、決意の言葉なのだ。

 {何故|なにゆえ}に、そんなにあっさりと、痛恨の情を置き去りにできてしまうのか。それは、彼ら彼女たちが、絶えず異民族からの侵略や征服に{遭|あ}い、これに抵抗する叛乱や革命を、常に体験してきたからだ。
 およそ、安定とか永続とかいうものを信じることも出来なければ、まったく、期待など出来ない。地位も名誉も、家族や財産も、{挙句|あげく}は己の生命も、産れて死ぬまで、常に、風前の{灯火|ともしび}なのである。
 その現実を、産れて直ぐに身をもって体験し、幼い頃より、無意識のうちに会得……体得してしまう。

 こんな話もある。
 日本人の名刺には、ごちゃごちゃと何やらいっぱい、いろんなことが、書いてある。対して中国人の名刺は、名前が書かれているだけ……。
 つまり大陸中国の人たちは、地位だの名誉だのといったものを、信じない。{寧|むし}ろ懐疑的であり、その実、虚無でしかないのだ。

 では、大陸中国の人たちは、この世の一切、何も信じていないのだろうか。そんな馬鹿な話はない。彼ら彼女たちは、信じることができるものを探し求めて、やがて、やっとそれを、{掴|つか}み取った。
 それが、裸の人間同士の交わり……友や親との交わりによって、そこに{在|あ}る信義や道徳を見出し、それを固く信じ、重んじた。
 故に、中国の人たちのみならず、大陸の狩猟民族国家と交わるときは、先ずは己が裸になって、信じられ、頼られ、愛される人間であることを、すべての肌身を使って伝えることができなければ、「彼ら彼女たちの本音を知ることは、出来ない」と、いうことだ。
 そのための行動の学……それが、儒学なのだ。

 そのすべてが、寺学舎の座学で読み知った陽明先生の生い立ちの中に、{修|おさ}められている。
 
      **{自反|じはん}**

 ぼくは、「シ・ゲ・キ・ド・ブ」と、覚えた。
 みんなは、どうかなァ?

 「息恒循」
 {恒令|こうれい}の四つ目(水曜日)

   {五省|ごせい}

 一、至誠に{悖|もと}るなかりしか
    誠実さや真心、人の道に{背|そむ}くところはなかったか

 二、言行に恥ずるなかりしか
    発言や行動に、{過|あやま}ちや反省するところはなかったか

 三、氣力に{缺|か}くるなかりしか
    物事を成し遂げようとする精神力は、十分であったか

 四、努力に{憾|うら}みなかりしか
    目的を達成するために、惜しみなく努力したか

 五、{不精|ぶしょう}に{亘|わた}るなかりしか
    怠けたり、面倒くさがったりしたことはなかったか

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