MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

然修録 第1集 No.146

#### ツボネエの{然修録|146}【座学】明徳、「ど真剣」の心!【息恒循】〈五の循〉反循令 ####

 {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。
 少女学年 **ツボネエ** 少循令{飛龍|ひりゅう}

座学
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明徳、「ど真剣」の心!

 中国が四千年も続いてきたのは、古典が素晴らしいからだ。
 アタイら{日|ひ}の{本|もと}の国が三千年も続いたのは、その中国の古典を、先人{先達|せんだつ}が学んできたからだ。

 これくらいのことは、アタイにも{判|わか}る。だから寺学舎の先輩たちは、東洋哲学を学んでいる。特に男どもの先輩たちは、陽明学、安岡教学、稲盛流成功哲学なんぞを好んで学んでいる。
 アタイら女どもは、そこまで好んでいる{訳|わけ}ではないけれども、亜種の存続と種の復活のためには、これらを学んで実践に活かす以外に方法は無いということを、特に離島疎開してからというもの、{拠|よ}ん{所|どころ}なくながら、痛切に感じている。
 ……なので、三つの中で一番新しい稲盛流成功哲学について、座学してみた。それを、以下、ザックリ{掻|か}い{摘|つま}んで書く。

 その*古来の人びと*の話……。
 なかでも人を指導する立場にある人や、自らの人格{涵養|かんよう}……{則|すなわ}ち、自然に水が沁み込むように、徐々に自らの教えによって、己の人格を養うことを志す人は、必ず『大学』を読まねばならないとされていた。孔子よりも四十六歳も若い{曾子|そうし}という人物が、著したんだそうだ。
 『大学』は、「{大人|だいじん}の学」の略で、人の上に立つ人が先ず修めていなければならない根本的な哲学について書かれていることから、「{修己治人|しゅうこちじん}の書」とも呼ばれている。
 {斯|こ}う、始まる。
 「大学の道は明徳を明らかにするにあり」
 明徳とは、法則のこと。

 すべてのものに、法則がある。心はもとより、人生にも、経営にも、{闘戦|とうせん}にも。その法則をしっかりと掴み、それに{則|のっと}って事を実践すれば、発展は継続する。逆に、その法則に反すれば、衰退に転じ、{挙句|あげく}は{亡|ほろ}びる。陽明学王陽明師も、安岡教学の安岡{正篤|まさひろ}師も、稲盛流成功哲学稲盛和夫師も、この**明徳**を明らかにした人物なのだ。

 今回学んだ稲盛師は、経営者の勉強会を{主宰|しゅさい}し、約九千人の経営者が、稲盛師から直接学んだと言われている。破綻した日本航空を二年八ヶ月で再生した稲盛師は、「ど真剣」という言葉を、何気に口にしていたそうだ。この「ど真剣」こそが、人生から宇宙に到るまでの理法を体得した際たる{所以|ゆえん}だ……という声がある。
 その稲盛師が{私淑|ししゅく}していたのが、安岡正篤師だ。その安岡師の名著『一日一言』のなかに、こんなことが書かれている。
 「人間はできるだけ早くから、良き師、良き友を持ち、良き書を読み、ひそかに自ら省み、自ら修めることである。人生は心がけと努力次第である」……と。

 東亜哲学……則ち、中国の古典を現した偉人たちや、我が国の先人や先達から学ぶということは、彼らの「ど真剣」に触れることであり、また、その「ど真剣」によって人生を切り{拓|ひら}き、精神を{培|つちか}う中で体得した英知を、有り難く学ばせて{戴|いただ}くということなのだ。
 では、稲盛師がアタイらと同世代だったころ……その少年時代は、{如何|いか}に!
 当時、少年稲盛師は、「不治の病」と言われた結核に病んで、旧制中学を休学して、病床にあった。叔父と叔母を結核で{亡|な}くしていたこともあり、周囲からは、「この子もダメだろう」と、言われていたそうだ。そんな折に出逢った本が、少年稲盛師の人生を変えたという。斯う書かれていたそうだ。
 「災難に{遭|あ}うのも幸せに合うのも、それはすべて**心**次第であり、本人が持っている心のままに境遇はつくられるものだ」

 則ちは、「病にかかったのが、あなたが持っている心の{所為|せい}ならば、転じて幸せになるのも、あなたの心の所為だッ!」と、いうことのようだ。当時、結核の初期症状の{肺浸潤|はいしんじゅん}を{患|わずら}って寝込み、非常に{痩|や}せて、{正|まさ}に死の入り口を垣間見ていた少年稲盛師は、この書を読み、たいへん強い感銘を受けたという{訳|わけ}だ。
 アタイも、幼循令の七年間の{殆|ほとん}どを、死の溝を自ら覗き込むような闘病生活を送っていた。そこから救ってくれたのが、奇縁ムロー先輩のお百度通いのようなお見舞いであり、ムロー先輩が語ってくれた昔話や、先人語録のあれこれだった。
 話{序|つい}でに、少年稲盛師を変えた{挿話|エピソード}の続きを、もう少し……。
 {聖驕頽砕|せいきょうたいさい}の終戦の前年ごろより、少年稲盛師が病に伏していた鹿児島も爆撃を受けるに到り、街の殆んどが焼け野原となってしまった。その間、空襲があるたびに、結核で寝ていながらも両親に迷惑をかけてはならないという思いから、{脚絆|きゃはん}とかゲートルとか呼ばれていた布を足首に巻いて動き{易|やす}くして、自力で防空壕に逃げ込んでいた。
 そんな、空襲から必死で逃げ回る日々続けているうちに、病気のことなどすっかり忘れてしまい、気がついたら治っていた!……と、いう{顛末|てんまつ}だったそうだ。

 その後、元気になって大学を卒業した青年稲盛師は、二十七歳で会社経営に乗り出す。その前に勤めていた会社では主任という立場だったが、経営は正に焼け野原だったそうだ。その会社の上司や同僚たち七人で、、新会社を立ち上げたのだ。当時はまだ標準語も{喋|しゃべ}れず鹿児島弁丸出しだった若き稲盛師が、標準語どころか日本語の通じない海外にまで展開して、多くの工場をつくった。
 そして、アメリカに作った四つの工場では、アメリカ人を二千数百人も雇ったのだという。稲盛師は、起業した会社の売り上げが二千数百億円、従業員が一万数千人に到った五十五歳のときの講演で、{斯|こ}う言い残している。
 「結核で死の淵にあって、心のままに周囲に現象が現れるという教えを知った経験と、二十七歳で会社をつくって二十八年間、自分でも想像できないような現象が私の周囲に現れてきたということ。おそらく一般の人たちは信じられないと思いますが、この二つのことは、心の作用というものが{如何|いか}に大きな力を持っているかということを示していると思います」

 また、斯うも言い足している。これが、東亜哲学を学びながらも、闇雲に亜種動乱の{闘戦|とうせん}へと突き進むというか転げ落ちているアタイら自然{民族|エスノ}の{美童|ミワラ}や{武童|タケラ}の先輩たちが会得体得すべき精神技術の神髄なのではないかと思えてならない……みたいな(アセアセ)。

 師、{曰|いわ}く。
 「私は技術屋です。
 私どもの企業経営は、私がやってきたセラミックスの研究から始まったものでした。つまり、私はサイエンティストであり、エンジニアであります。ですから、心の問題を、いわゆる技術や研究開発に持ち込むということは一切していません。徹底的に合理性を追求するし、あくまでも科学的な手法で事業をやっています。
 しかしどう見ても、心というものが、周囲の現象にたいへん大きな影響を及ぼしているように思えてならないのです」  

息恒循
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〈五の循〉反循令

(第二版 改訂一号)

 生涯……{則|すなわ}ち、{天命|てんめい}。
 最初の重要期である{立命期|りつめいき}が終わると、あとは生涯、{運命期|うんめいき}となり、その運命期の三番目の循を、{反循令|はんじゅんれい}という。

 反循令は、二十八歳から三十四歳までの七年間であり、この期は、生涯を通じて**五番目**の循である。

 「反循令」とは、{如何|いか}なる期か……。

 「士別れて三日すなわち{刮目|かつもく}して相待つ」
 {有為|ゆうい}な人物というものは、別れて三日後には、お互いが目をカッと見開いて、その成長を相待とうではないか……と。

 これは……ときに三国時代
 呉の武将、豪傑の名将と{讃|たた}えられた{呂蒙|りょもう}は、{些|いささ}か無学であった。これに、同じく名将の{誉|ほま}れ高き{魯粛|ろしゅく}が、「少しは学問をしているかッ!」と、冷やかした言葉を投げかけたときに、呂蒙が応えて言った言葉である。

 この言葉を愛した安岡教学の安岡正篤師は、晩年、再版した自著の中で、{斯|こ}う書き残している。
 「高等学校や大学時代、精神的要求から、{悶々|もんもん}として西洋近代の社会学から、宗教、哲学、文学などの書を{貪|むさぼ}り読んだ。しかしどうも不満や焦燥の念に駆られ、深い内心の自敬や安立に役立たず、いつのまにかやはり少年の頃から親しんだ東洋先哲の書に返るのであった。
 {爾来|じらい}私は自分の内心に強く響く、自分の生命・情熱・霊魂を揺り動かすような文献を探求し、{遍參|へんさん}した。特に歴史的社会的に背骨ができたように思えたのは史記と{資治通鑑|しじつがん}を読破したことであった」

 資治通鑑は、戦国時代を編年体で著した歴史書であり、『史記』をはじめとする史書には、治乱興亡の時代の壮大な人間ドラマが綴られている。そこに登場する{傑物|けつぶつ}・達人の生き様に、師は大きな精神的感化を受けたのだろうと、周囲は拝察するところである。

 ときに鎌倉時代……禅僧虎関禅師は、斯う書き残している。
 「古教、心を照らす
 心、古教を照らす」
 本に読まれるのではなく、自分が主体となって読む。
 これが、真の活学というものだ……と、物語っている。 

_/_/_/_/ 『然修録』 第1集 _/_/_/_/
寺学舎 美童(ミワラ) ムロー学級8名

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未来の子どもたちのために、
成功するための神話を残したい……
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 東亜学纂学級文庫★くまもと合志
 東亜学纂★ひろしま福山