MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

然修録 第1集 No.150

#### 陰と君子を省いた国と民 ヨッコ {然修録|150} ####

 {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。
 門人学年 **ヨッコ** 青循令{飛龍|ひりゅう}

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 ヒト種……人間の特徴とは。

 それは、〈知能〉と〈情操〉という相対的な要素を持っていること。「陰陽相対性原理」に{譬|たと}えると、陽が発展するもので陰が分化・抹消化するものをまとめて含蓄するものだから、知能が陽で情操が陰。「君子・小人の弁」に譬えると、才が徳よりやや優れている人が小人で徳が才よりやや優れている人が君子だから、知能が小人で情操が陰ということになる。
 情よりも知や技のほうに重きを置く人は、人間関係で苦慮したり嫌われたりする。逆に知や技よりも情のほうに重きを置く人は、人から好ましく思われる。{尤|もっと}も、情に{溺|おぼ}れると悲劇となることもあるけれど、まァ往々にして知の人よりも情の人のほうが、人間としては重きを置かれることが多いのではないだろうか。

 これを、男女の場合で考えてみよう。歴史的に(女らしい)と思われるような女性は、内面的であり、頭脳や才覚、名誉欲や功名心など、{世間体|せけんてい}的な活動が控えめであった。対して「男らしい」と言われていた男性は、{体躯|たいく}が立派で頭脳明晰、才能に富んで理論に長じ、功名心に燃えていた。
 歴史は、反面教師だ。男らしい男性は、{危|あや}うかった。才知に倒れ、理論に破れ、闘争に負けて、果ては人生までも敗北して果ててしまう。それ{故|ゆえ}に、男らしい男性ほど、{寧|むし}ろ陰原理的な情が求められた。常に内面的な道義の修養に努め、優雅な趣味を持って情操を豊かに保つ必要があったという{訳|わけ}だ。

 政治の世界は、どうか。民衆と呼ばれるような一般大衆は、陽だ。故に{放|ほう}っておくと、利己的となって闘争に走り、混乱を招いて終には破滅する。その破滅から大衆・民衆を救い出し、幸福へと導くこと……これが、政治という仕事であり、それは、為政者の責任でもある。
 {則|すなわ}ち、大衆・民衆の陽に対する陰は、民衆に代わって反省し、世を正し、統一してゆくその主体であり、{所謂|いわゆる}それが、官庁や役所で世のため人のために奉仕する聖職の仕事なのだ。これらの仕事の部門には、それぞれ文科省とか厚労省とか、「省」の字が付けられている。この字は論語からの引用で、出典には、「{吾|わ}れ日に吾が身を三省す」とある。
 「省」という漢字は、{顧|かえり}みるとか省くといった意味を持つ。民衆に代わって大衆の生活ぶりを顧みて、悪い慣習を省き、整理し、やがては統一する。これが、「省」の字が付くところで務める者すべてが大努力すべき仕事なのだ。故に「省」は、国家にとっては政治の{要諦|ようてい}であり、民衆である個々の国民にとっては、最も大事とすべき生活原理なのである。

 国も民も前述したような「{斯|こ}うあるべき」を胆に銘じて実践し、その結果と持続が、本来「文明」と呼ばれるに{相応|ふさわ}しい社会なのだ。ところが、この文明がどうにか持続して発展の軌道に乗ってしまうと、枝葉末節が複雑化し、{俄|にわ}かに{頽廃|たいはい}と墜落が始まり、やがて衰退に転じ、果ては衰滅と相成る。
 故に文明{民族|エスノ}は暴走し、ヒト種全体が衰滅期に突入してしまった今日、{嘗|かつ}て文明を誇っていた彼ら彼女らに代わって、和の人たちや我ら自然の者たちが大いに反省し、悪いところを切り離して、この世から完全に省いてしまうという難行が必要となった{訳|わけ}だ。
 そうしなければ、文明の繁栄によって、人類ヒト種は何れ近いうちに{亡|ほろ}んでしまうことだろう。それは決して、予測とか預言などといった不確定要素の{類|たぐい}の{戯言|たわごと}などではない。歴史が明解に証明してくれている、**必定**なのだ。

 我が国「{日|ひ}の{本|もと}」の経済が崩壊し、「一億総中流階級」の幻想からその具現を見ないまま「一億総貧乏」にまで墜落してしまったのは、{正|まさ}に世界の常識だ。我が国だけが*特別だ*なんてことは、絶対に有り得ない。
 世界中から原材料を{搔|か}き集めて、これを製造工程にかけて世界中に向けて売りさばく。貿易は黒字となり、外貨が蓄積される。それで喜んで世界から目を{背|そむ}けて{怠|なま}け{呆|ほう}けている間に、買い手に廻っては{虐|いじ}められ、売り手に廻っては叩かれ、まんまと過当競争の餌食にされてしまったのだ。

 和の{民族|エスノ}の人たちは、わが国のヒト種の分化と更に衰亡へと加速している現状について、一種別の見方をしている。「文明の奴らが暴走して治乱を引き起こしたその原因は、礼を忘れたからだ」と、口を揃える。相手に頭を下げるのが、礼だ、教壇に立つ恩師が相手であったり、ご近所の仲良しさんだったりもする。でも、礼の本義は、そこではない。礼は、自らが自らに対して行ってこそ、本義というものなのだ。

 一人の雲水({行脚|あんぎゃ}僧)が師家(師匠)を訪ねて、礼拝を行った。したところが……師家、{曰|いわ}く。

 「お前は、{何故|なぜ}礼拝をしたのか」
 「はい、御師家を{敬|うやま}っていたしました」と、雲水。
 すると師家、斯う{諭|さと}す。
 「それは、礼ではない。礼というものは、{汝|なんじ}に{依|よ}って我を礼し、我に依って汝を礼す。つまり、自分を通して相手にお辞儀をするとともに、相手を通して自分が自分にお辞儀をする。これが、礼というものだ」

 和の人たちやこの師家が言うところの礼というのは、敬の心から生じるものだったのだ。相手を敬すればこそ、お辞儀をする気にもなる。人間と他の動物の境界に線を引くとすれば、その限界線は、どこにあるのだろうか。愛ではない。愛なら、他の動物たちも、大なり小なり持っている。結局は、この**敬する心**に帰するのだ。人間であるならば、同じ愛でも、敬愛にならなければ、人間とは呼べない……と、いう訳だ。

 『論語』に、斯うある。
 「敬せずんば何を以てか{分|わか}たんや」
 敬する心はヒト種の誕生を{以|もっ}て初めて生じた感情であり、その敬によって人を敬し、同時に己をも敬することによって初めて、ヒト種の動物たちは、自他ともに認める人間と成り得る。

 その大事な礼を、忘れてしまったのだ。様々な弊害を引き起こしながら衰滅の底へと転がり落ちるのは、ごく当たり前のことであり、まったく自然の成り行きなのだ。

_/_/_/ 『然修録』 第1集 _/_/_/
美童(ミワラ) ムロー学級8名

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未来の子どもたちのために、
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