MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

然修録 第1集 No.151

#### 禅は、思考の究極! オオカミ {然修録|151} ####

 {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。
 学徒学年 **オオカミ** 少循令{石将|せきしょう}

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 (嗚呼、{坐禅|ざぜん}でもしてみるかァ!)と、思って{溜息|ためいき}をついて、ハッと気がついた。坐禅……と軽口を叩いたおれだけれど、(坐禅って、そもそもなんだァ?)と、思い到った次第である。

 世の中、*{漠然|ばくぜん}たる不安*で、「坐禅でもしてみるかァ」と思う人は、意外と多いらしい。精神科医に相談するには抵抗があるし、参禅会で朝の暗いうちからお寺まで歩いて{結跏趺坐|けっかふざ}という痛々しい{脚組|あしぐみ}をして莫妄想……というのも、{仰々|ぎょうぎょう}しいというか、要は、面倒臭い。
 そもそも、そこまでしたからといって、漠然とした不安が解消される保証は、どこにもない。しかも、お寺で修行をしたからといって、キリスト教の牧師さんのように、具体的な相談に乗ってもらえる{訳|わけ}でもない。あるとしても、それは、仏教ビジネスのエンドユーザーになる{虞|おそれ}が大である。

 結局……禅とは、自ら不安を解消するための方法に気づいたり発見したりすることなのだ。

 禅の元祖の{達磨|だるま}大師も、我が国で{曹洞禅|そうとうぜん}を創始した道元禅師も、{只管打坐|しかんたざ}……{即|すなわ}ち、ただひたすらに、何も考えず、ただ{坐|すわ}っているだけでよいと言っている。でもそこが、違和感というか、抵抗感を{拭|ぬぐ}えない。{何故|なぜ}なら、おれたちは、「思い、考え、行動しろ!」と、言われ続けて育ってきたからだ。
 それでも、禅が日本人に連綿と受け継がれてきたところを見ると、そこ「禅」には、抵抗や警戒といった違和感を超える何かが、存在しているに違いない。一つに、それは、お釈迦様の語録だ。古い仏典『スッタニパータ』に、次の様な一節が{載|の}っているそうだ。

 ある日、父親を亡くして泣き悲しんでいる人が、お釈迦様を頼ってやって来る。そして、お釈迦様に{斯|こ}う{尋|たず}ねた。
 「死んだ人は、どこに行くのでしょうか。どんな思いをしているのでしょうか。その子である私は、どうしたらいいのでしょうか」
 (なんとも、{情|なさ}けない!)とは思うけれども、人には人の事情というものがあるので、そこは置く。……で、お釈迦様。{応|こた}えて次の様に言ったそうな♪

 「お前は、まだ死んだことはないだろう。また、死んだ人から死後のことについて話を聞いたこともないはずだ。もし、死んだあとにどこに行くとか、どんなことが起きるなどということを聞いても、それは生きている人の想像にしか過ぎない。
 そういう本当か{嘘|うそ}か判らないようなことによって考えを乱してはならぬ。お前が今しなくてはならないことは、お前の悲しみをどうしたら{癒|いや}すことが出来るかを考えることなのだ」

 要は、死後に関する情報は、この世には何一つ存在しないということなのだ。正に、悩んでも仕方がない、考えても仕方がないということ。更に、お釈迦様は、この仕方がない人に莫妄想を教え、また同時に、「自分の問題は、自分で解け!」と言い、他人に教えられた解決策は、結局のところ役には立たないということを、指摘されたのだそうだ。
 莫妄想は、「何も考えるな!」どころか、お釈迦様は、よく考えさせるために、莫妄想を教えたという訳だ。悲しみは、考えて悲しむものではなく、命が感じる感情だ。{故|ゆえ}に、己で己の記憶を{上手|うま}く処理する以外に、悲しみを消し去る方法はない。即ち、**{智慧|ちえ}**が必要なのだ。

 莫妄想は、問題意識があってこそ必要とされる。{何故|なぜ}なら、莫妄想が、智慧を捻り出すための方法だからだ。「ただボケーっと無念無想をしていればよい」というものではい。それならば、莫妄想をやる価値は、充分にある。でも……意識しながら、無意識になる? それって、やっぱ難しいじゃん!
 では、どうすればよいのだッ!

 思量を不思量す……非思量。これ、無念無想なり。

 考える{材料|ネタ}が無くなるまで、徹底的に考える。ありったけの量を思い、思いが尽きてしまうまで、徹底的に考えろ! ……と、いうことだ。そこまで考えに考え抜いている訳だけれども、無意識だから、それを、意識することも、言葉にすることも出来ない。その状態が無念無想であり、莫妄想なのだ。

 即ち、「言葉では語らず、直接、人や己の心を、指し示す」と、いうことだ。これを禅では、「{不立文字|ふりゅうもんじ}・{直指人心|じきしじんしん}」という。

 坐禅の「禅」のほうは、なんとなく解ったような気になってきたが、もう一つの「坐」のほうは、{如何|いか}なるものなのかッ!
 男は黙って、立ちションベン。
 やっぱ、「出て来いシャザーン♪」だな。
 嗚呼、シンジイとスピアと上り下りした峠の珍道中が、懐かしい。
 あの頃は、ハッ♪ ……平和であった。	

_/_/_/ 『然修録』 第1集 _/_/_/
美童(ミワラ) ムロー学級8名

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未来の子どもたちのために、
成功するための神話を残したい……
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