MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

一息 31【学ぶ意味に、生きる意味。渡る世間は、意味ばかり。疲弊する思考。直感力登板で思考を休ませろ!】学徒、オオカミ

みなさん、こんばんは。
【後裔記】です。
毎週土曜の夜7時。
今夜も、お届けいたします。
「行動と目的の学」を実践する子どもたちの日記。
読み切りで ♪

エスノキッズ 心の学問「自伝編」
令和2年8月8日(土)号


一つ、息をつく。

知命する意味。
旅をする意味。
......意味、意味、意味。

少年から学徒になった途端、様々な〈意味〉を問われる。

〈意味〉も〈常識〉も、他人を見るための道具に過ぎないと思う。
なぜなら?

他人を見るときには、あらかじめ、見たい部分を照らす。
そこで、意味や常識の片鱗が、見つかるかもしれない。
でもそれは、その人の一部分に過ぎない。
しかも、それはいっときのことで、次の瞬間にはもう消えて、見えなくなっているかもしれないのだ。

そんな無意味な〈理由〉を照らし出して、無理矢理に〈意味〉や〈常識〉といった型にはめようとしている。
そして、「はまった!」と宣言して、自己満足する。

世の中に、同じ意味や同じ常識、同じ思考を持った人間など、一人もいない。
と、思う。
言い換えれば、「みんな、それぞれに違う」ということだ。

まだ幼いころ、おれたち子どもはみんな、自由に創造力を発揮できる。
でも次第に、人生の行動原理という〈型〉にはめられてゆくにつれて、自由さが、どんどん失われていく。

大人が介入しない限り、子どもの世界に、妥協は存在しない。
と、思う。
目標に対する完全な結果、満足できる状態、弛(たゆ)まぬ進化を、求め続ける。

さて、現実は?
この子どもの段階で、大人の介入がある。
家庭環境や教育現場で、強制的に浴びせられる影響。
子どもたちは、その環境のなかで、その影響を受けながら、遊びという実践社会のなかで、人生の心の土台を築き上げる。

もしその土台が、妥協を許さず、完全な結果や、与えられた天命を、弛まぬ心で目指し続けることができるとしたら、それは、その少年あるいは少女を取り巻く家庭や教育が、彼らの遠い未来にある〈世のため人のための天命〉を眺めるような正しい目で見守ってくれているということだ。

が、言わずもがな。
そんな恵まれた家庭環境や教育現場など、あるはずもない。
もしあったとするならば、それは歴史学か考古学の範疇だ。

で、介入の実態。
大人社会は、子どもたちが築いた土台(条件反射)や、生まれ持った美質(精神力)だけでは解決できない様々な課題を、次から次へと投げかけてくる。

避けようもない試練。
休むことなく、創造力を働かせる。
結局は、自分で築いた土台で、どうにかするしかない。

その、家庭環境や教育現場の影響を受けながら築いた土台とは何か。
本能、衝動、感情、思考、行動、愉快な出来事に対する態度、不愉快な出来事に対する態度、自己愛、共同体感覚(仲間意識)、等々。

これらの土台の何れか、またはいくつかを駆使しても〈どうにもならないか、あるいは、どうにか(変なことに)なってしまう〉とすれば、それは、正しくない家庭環境や教育現場の影響によって、最終目標(天命)が妥協によって書き換えられたことを意味する。

この天命を書き換える作業は、本来、運命の目的(意味)だ。
しかし、その正しい書き換えは、格物(己を正し、天命を正すこと)によってのみである。

この〈どうにもならないか、あるいは、どうにか(変なことに)なってしまう〉ことを、大人社会では、因果関係と呼ぶ。
そして、すべての失敗には原因があり、心の病は、過去の原因に支配されているという型にはめこまれ、その型を偶像のように拝まされている。

でも子供たちは、それが間違いであることを、知っている。
結果も、現状も、病も、それを左右したり決定づけるものは、未来に存在する目的であり、現在の自分のなかにある土台なのだ。

大事なことは、過去には存在しない。
大事なことは、未来にのみ存在する。

目的に向かって、大人社会から叩きつけられた問題に対して、どう行動するか。
この大事に立ち向かう局面で、すでに少年少女やおれたち学徒の思考は、疲弊しきっている。

これを何とかしてくれる、思考(顕在意識)に休む間を与えてくれるのが、直感(超意識とか、集合無意識とか)だ。

この直感を司る超意識の脳膜と、思考を司る顕在意識の脳塊との間には、過去の猥雑な快楽や堪えがたき怨念が蓄積された潜在意識の脳層が、分厚く横たわっている。

この、過去のあらゆる様々な有益無益な情報が詰まった脳層に風穴を開け、思考に取って代わって〈直感〉に登板してもらうために、脳塊と脳膜の間の脳層に、トンネルを掘らなくてはならない。
このトンネル工事が、いわゆる瞑想ってやつだ。

さて......と。
長々と書いてきたが、その意味は、次の一言に尽きる。

「ぼく(学徒)は、へとへとだ!」

この一言を予期できなかった大人は、是非ぜひ、直観力を養ってほしい。

......と、ここまでを予期できた同胞(はらから)学徒や、少年少女諸君!

「そのまま、変わらず、輝いてくれぇーい♪」


令和2年8月8日(土)号
一息 31【学ぶ意味に、生きる意味。渡る世間は、意味ばかり。疲弊する思考。直感力登板で思考を休ませろ!】学徒、オオカミ

【行動と目的の学】

江戸期の儒学者たちは、学問を一つの型にして、学校や家庭に根付かせました。その型が崩壊した現代、廃残したわたしたち民族には、新たなる型が求められています。

美質を生まれ持った子どもたちは、戈(ほこ)を止(とど)めると書く武の心を修めるために、東亜の行動哲学、西洋の目的心理学、民族史と神話、未来と過去の脚本技術などを学んでゆきます。

Japanize Destinies Distribution
『亜種記』『息恒循』『然修録』『後裔記』
JDD 東亜学纂
http://www.akinan.net