みなさん、こんばんは。
【後裔記】です。
毎週土曜の夜7時。
今夜も、お届けいたします。
「行動と目的の学」を実践する子どもたちの日記。
読み切りで ♪
エスノキッズ 心の学問「自伝編」
令和2年8月15日(土)号
一つ、息をつく。
物騒なタイトルだ。
この世の事物は、必ず表向きの顔と、数種類の裏の顔で構成されている。
たとえば、誤解のメカニズム。
解っている人間ほどよく学び、解っていない振りをするのが上手(うま)い。
解っていない人間ほど自堕落で、学ぶことを嫌い、解った振りをしたがる。
が、これがどうして! 可哀想なくらいその演技が、ヘタクソなのだ。
ちょっと学び、ちょっと洞察力を磨きさえすれば、未成年のおれにだって、これくらいの摂理なら正しく理解できる。
あとに続く門人、学徒、少年少女の諸君に告ぐ!
その〈ちょっと〉が、自分を変え、人生を拓(ひら)き、歴史を分け、進化と退化を突き動かし、絶滅か存続かを決定づけるのだ。
この〈ちょっと〉を身につけ習慣化することが、知命した学徒門人らから見て取れる性質の一つでもある。
〈ちょっと〉、心理学について考えてみよう。
心理学という学問の目的は、人間の尊厳を守る、あるいは取り戻すことにある。
もし、今現在や未来の境遇、あるいは行動のすべてが、どこに生まれ、誰に育てられ、どんな教育をされ、どんな経験をしたかという〈過去〉の事象のどれかを原因として決定されるものだとしたら、現在も未来も、頭脳なんて要らない。
頭脳とは、思考、一人の人間としての歴史、直感、等々。
それが不要、役に立たない、無視されるとなれば、まさにそれは、一人の人間の尊厳が奪われたということにはならないだろうか。
手に持ったリンゴを宙で放(はな)せば、真っ直ぐ下に落ちる。
ところが人間は、解き放たれてしまうと、ひらひらと紙切れのように、右へ行ったり左へ流されたり。
でも人間は、右に行くことをやめて左に行ったり、左に流されているのを嫌って思い止(とど)まったりすることができる。
それを意識してやることもできれば、ときに無意識で行動に到ることだってある。
これを、自由意識とでも言うのだろうか。
まさに、人間の不思議。
神秘的な〈全能〉と、思いたくもなる。
この自由意識による紙切れの落下が、まさに〈運命〉そのものなのだ。
傍(はた)から見れば、ただの無意味な紙切れ一枚にしか見えないかもしれない。
でもそこに自由意識があれば、自反(素直に反省)し、格物(己を正す)を為し、自修すべき道筋を自ら選んで進むことができる。
見た目は紙切れでも、その落下という一連の物語、その長い人生においては、疑いようのない〈主役〉なのだ。
これが、運命を変えるというメカニズムの説明に、ならないだろうか。
このメカニズムを嫌う者たちが、少なくない。
しかも、後を絶たない。
なぜか!
自由意識で運動するということは、自分の意思で決定して動くということ。
言わずもがな、その行動の結果の責任は、すべて自分にある。
人は、この責任から逃れたいのだ。
すべての〈結果〉......言い換えよう。
自分の不幸のすべては、過去の原因によって決定づけられている。
そう考えれば、たしかに、簡単に責任回避ができる。
自分は、悪くない。
その原因とは、いじめであったり、親の教育放棄であったり、貧困であったりする。
幸いにも、過去にそのような原因のネタが不足しているようであれば、自分の過去のなかに、偽称や嘘をでっちあげればいい。
己の過去のなかに架空の物語を作ることにかけては、人間みな、一流の作家であり、言葉巧みな評論家なのだから。
はてさて、この無責任を肯定して、過去をあらゆる結果の犯人に仕立て上げ、「あなたは悪くない」と言葉巧みに慰(なぐさ)め、自分を変える努力は無意味だと諭(さと)し、ただただ祈れや時には貢(みつ)げやと誘ってくるのが、真理を誤解している宗教であったり、心理学を誤解しているその道の専門家だったりもする。
健常者が心の病と誤診され、さらにそんな扱いを受けたならば、依存症という本当の恐ろしい病気に感染し、にわかに知らず知らず発症してしまう。
考えてみると、相手を支配しようとする人種、たとえば親、教師、上司、役人、政治家と、数えだせば枚挙に暇(いとま)がないが、彼らはみな、支配したい相手が自由意識で行動し、自分の行動に責任を持つことを嫌う。
言い換えれば、自立した人間を嫌い、支配している人間の自立を恐れるということだ。
同時に、以上のようなことを言う子どもが居たら、すぐにでも排除したいと思うだろう。
そう、おれは、排除したいと思われている子どもなのだ。
この結果には、原因があるようにも思われるのだが、はてさて......いやはや......なんとも。
まこと人の心というものは、まさに、神秘的だッ!
令和2年8月15日(土)号
一息 32【誤解には2種類ある。ある目的のための悪意に満ちた作意。身勝手な責任回避と自堕落な不勉強】学人、ムロー
【行動と目的の学】
江戸期の儒学者たちは、学問を一つの型にして、学校や家庭に根付かせました。その型が崩壊した現代、廃残したわたしたち民族には、新たなる型が求められています。
美質を生まれ持った子どもたちは、戈(ほこ)を止(とど)めると書く武の心を修めるために、東亜の行動哲学、西洋の目的心理学、民族史と神話、未来と過去の脚本技術などを学んでゆきます。
Japanize Destinies Distribution
『亜種記』『息恒循』『然修録』『後裔記』
JDD 東亜学纂
http://www.akinan.net