MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

一息 41【スピアの後裔記】お地蔵さんになった養祖父。峠を上る(タヌキの七養)『離島疎開8』

7時ですよーォ♪
こんばんWaーァ。
ミワラ〈美童〉たちの元気が出る日記、後裔記です。

エスノキッズ 心の学問「自伝編」
令和2年10月17日(土)号


一つ、息をつく。


〔 お地蔵さんになった養祖父 〕

その日の夕刻、そう。
その日とは、養母との入江探検と、ぼくの秘密基地(仮称)を探し当てた日。

カアネエと帰宅し、玄関を入ってすぐの台所を抜けると、六畳の居間のほぼ中央に置かれている円卓に、お地蔵さんが鎮座していた

遠目で見ると、味気のない無機質の置物のようだった。
けんども、廻り込むすがら、横目でその後ろ姿を垣間見ると、小さくて痩せっぽっちながらも、不思議な温かみと優しさを帯びている......かに感じたが、微(かす)かな涼しさが、すぐにその不思議のすべてを、覆い隠してしまった。

カアネエが、すぐにぼくを追うように居間に飛び込んできた。
そして、誰にともなく、言った。

「さぶ、さぶ、さぶ。さぶーぅ! さぶい、さぶい。この家、ほんと寒いよねッ!」

お地蔵さんが、応えて言った。

「冬は、寒い。
夏は、暑い。
それでいい。
文句の一つや二つ並べたところで、地球の軌道が変わるわけではあるまい」

華奢(きゃしゃ)な体つきに似合わず、しゃがれた風格さえ感じさせる男っ気 100 % の声だ。
普通、というか。
父親なら、「おまえはなァ!」という切り口で文句の一つや二つ並べてもよさそうな場面だけれど、そんなことを言ったところで、シンジイ式に思考を進めると......。

「月との関係が変わるわけでもあるまい」
以上。
お仕舞い。

そんなことよりも、とにかくぼくは、意思表示をしなければならなかった。
だって、次の日から、日課が大きく変わるんだから。
ぼくは、誰にともなく独り言(ご)ちるように、明らかにカアネエに言った。

「無理っていうのはさあ、自分が勝手に決めた理屈っていうか、勝手な判断っていうか、根拠のない結論だよね?
だったらぼくも、ぼく流の理屈で勝手に判断して、明日から座学の場所、変えてもいいよね?
根拠のない結論だけど......」

カアネエがまた、誰にともなく、但し、明らかにぼくとお地蔵さんに関して、独り言ちた。

「まったく、誰に似たんだか。
似るはずないんだけどねぇ。
家族になって、まだ数日なんだからさァ。
まったく、あたいの周りの男どもは、なんでみんな、どいつもこいつも斯(こ)うなんだかねぇ!」

そのとき、お地蔵さんが、動いた。
発泡酒の空き缶を持って立ち上がると、台所の方に歩いて行った。
そして、二本目の発泡酒の缶を持って戻って来ると、また当然のように、『孤独の晩酌♪』がはじまるのだった。


〔 峠を上る(タヌキの七養)〕

その翌朝。
日の出。
行動開始。

山間(やまあい)の住処(すみか)から、峠を一つ越える。
それが、今日から始まる日課の第一歩。
ぼくが目指す浦学舎(カアネエ曰(いわ)く、ぼくの秘密基地)は、その入江の外れにある。
ぼくは、日の出から日没まで、その裏学舎で座学をすることを許されたのだ。

上り坂は、前傾姿勢。足が自然に前に出るくらい上体を前に倒すと、脚(あし)が疲れない。
そんな二足歩行の同胞(はらから)を嘲(あざ)笑うかのように、四足歩行のタヌキが公衆便所でションベンをしている。
タヌキにとって、タヌキの都合で公衆便所と定めた場所が、タヌキの世界(縄張り)で如何(いか)に重要な役割をもっているかくらいの知識は、然修録や後裔記を読んだだけだけど、それなりに理解している。

だけど、それでも、思ってしまう。
「いい気なもんだ!」と。

歩の先に、もう一匹のタヌキが、歩いている。
無論、四つ足。
追ってくる気配が煩(わずら)わしかったのか、走って逃げだした。
無論、四つ足。
振り向きもせず、一心不乱に逃げている。
でもなぜか、普通に歩いて上っているだけなのに、すぐに追いついてしまった。

さすがのタヌキも、バツが悪いだろうと思い遣り、無視して追い越した。
振り返る。
無視したのが、気に障ったのだろうか。
追っ手は前を歩いているというのに、追っ手目掛けて、なおも必死で駆けている。
たぶん、〈駆けている〉という描写で、正しいと思う。

なにか、なんだか、少し、後ろめたい。
ぼくは、立ち止まった。
タヌキを、待つ。
タヌキ、ぼくに追いつく。
安堵の表情。
逃げていたのか、それとも、先を見越して、実は、ぼくを追っていたのか。
なんて、疑いたくもなるけど、タヌキに、そんな知恵があるはずもない。
ぼくは、タヌキに気づかれないように、満面に失笑を浮かべた。

その次の瞬間、ぼくはまだ子どもであることに、ハッと気付かされた。
ぼくはまだ、ミワラ(美童)なのだ。
ぼくは、心の中で、呟(つぶや)いた。

(おまえさーァ♪
何考えて生きてんだよッ!)

タヌキ、応えて言う。

「キュー、キュッキューゥ!
七養さッ♪」

また、心の中で呟く。

「なによッ! それ」

タヌキ、なぜか、ちゃんと応えて言う。

「キュー、キュッキューゥ!
知らないのかよッ!
信じらんねぇ!
よく聴け!

時令(じれい)に順(したご)うて以(もっ)て元気を養う
思考を少うして以て心気を養う
言語を省いて以て神気を養う
肉欲を寡(すくの)うして以て腎気養う
嗔怒(いかり)を戒(いまし)めて以て肝気を養う
滋味を薄うして以て胃気を養う
多くの史(ふみ)を読みて以て胆気を養う」

(聴けッ!って言うんなら、解るように言えよ。
まったく、タヌキなんだから......)

と、ほぼ無意識に、ぼくは心の中で思った。
と、ただそれだけなのに、タヌキは、顔全体を白黒させながら、まるで呆れた顔で......というか、呆れた仕種(しぐさ)......というより呆れた態度で、なぜか親切に解説をはじめた。

「キュー、キュッキューゥ!
これだからな。
人間ってやつは。
面倒(めんど)いっていうか。
まァ、問われたら答えるのが道理。
よく聴け!

時令は、季節。
夏は暑かった。
それでいい。
これからやってくる冬は、寒い。
それもよし。

安らかにしてれば、心臓の気は保たれる。

ベラベラ喋ってはいけない。
無駄に喋ると、神の気が、逃げてゆく。

暴飲暴食性色は、腎臓が疲弊する。

怒ると、肝臓を傷(いた)める。

脂(あぶら)っこいものは、胃に悪い。

古今の治乱に学べば、胆気が育つ。
胆気を養えば、度胸がつく。

峠の追いかけっこの成敗得失くらいで、転倒する我ら狸(たぬき)ではない。
おまえらも、見習え!
見てるだけだろォ?
いつも。
見たんなら、ちょっとは習えよ。

みたいな♪
キュー、キュッキューゥ!」

ぼくは、心の中で、タヌキに礼を言った。

「きゅー、きゅっきゅーぅ♪」

気づくと、峠の上から、シンジイたちの家並みを眺めていた。
ぼくは、振り返った。
そしてまた、坂道を上りはじめた。
ぼくは、思った。

(こいつ、てか、こいつら、人間よりはマシだな。
友だちになれるかもッ!
なんてね)

思ったつもりが、独り、囀(さえず)るように、言(ご)ちていた。
言(こと)の葉は趣味に合わないのか、タヌキは何も応えなかった。
首を少し後ろのほうに捻ると、のろのろというか、俊足の亀よろしく、繁みにのそのそと分け入ってゆくタヌキ殿の姿が見えた。

ほどなく......というか、やっとのことで......というか、ともあれ間もなく、峠道の頂を跨(また)いだ。
眼下の現世(うつしよ)に、入江の岸部が映っていた。

(この世で見えるもの、幻影。

あの世に迷い込んで見えるもの、夢)

なんて、訳のわからないことを思いながら、ぼくは、峠道を下りはじめるのだった。


2020年10月15日(木) 活きた朝 2:45
少年、スピア


令和2年10月17日(土)号
一息 41【スピアの後裔記】お地蔵さんになった養祖父。峠を上る(タヌキの七養)『離島疎開8』

◎ 後裔記の発祥について

寺学舎に通っていた学童たちが、日常を書き留めていた日記です。
寺学舎は、瀬戸内で嘗て古(いにしえ)の時代に栄えた港町にありました。
学童たちは、その港町に隣接する寂(さび)れた浦々に住んでいました。
そこは、平家の敗残兵が密かに身を隠して今に到っていると、今に伝えられている地です。
『平家物語』巻第十一では、彼らの祖先を率いた名将の武勇が、描かれています。
この浦々から谷川沿いに峠を上り、尾根を越えると、その先に、原っぱが拡がるような町が現れます。
その地が、彼らの先祖が最期を飾った古戦場です。
本来なら、『末裔記』と呼ぶべきでしょう。
でも、日記を書き始めた学童たちの子孫は、『後裔記』の名を、歴史に残しました。
子々孫々の子どもたちは、日記を書き始めた大先輩たちの心情を、慮(おもんばか)らずにはいられなかったのでしょう。

◎ 後裔記の現在について

かつて栄えた港町にあった寺学舎は、今は存在しません。
お寺の講堂の佇まいは変わっていませんが、そこに集う学童たちの姿は、もうありません。
隣接する寂れた浦々では、子どもたちの姿を見ることさえ、稀になってしまいました。
でも、その浦々の隠れたところで、寺学舎を継ぐ家塾が存続していたのです。
2020年2月、その家塾に集っていた学童たちの後裔記を、メルマガという手段で公開しました。
その8月、彼らは、天災とも人災ともつかない災難によって、離島へと疎開して行きます。
学友たちと住まいを隔て、島を隔てて独学を余儀なくされた少年少女たち。
貧しい彼らですが、メルマガやブログといった少々古臭いテレスタディで、今も学友たちの後裔記から多くを学んでいます。
彼ら彼女たちは、この後裔記を「元気が出る日記」と呼び、然修録を「元気が出る感想」と呼んでいます。

◎ その然修録とは?

このメルマガの姉妹編です。配信本文の脚注欄と『バックナンバー』に、上記のような説明書きを載せています。

◎ 今に残る寺学舎の用語集

〈1〉少年/少女 → 学徒 → 門人 → 学人
 寺学舎の学年の呼び方です。

〈2〉ミワラ〈美童〉
 立命期の学童たちの呼称です。
 学人となったのち、知命するまでが立命期です。
 「生まれもった美質を護ってほしい」
 という願いが、込められています。

〈3〉美童名(みわらな)

 産れてから知命するまでの名前です。
 武家社会の幼名のようなものです。

〈4〉息直術(そくちすい)
 行動の学と呼ばれ、後裔記は、その行動の足跡です。

〈5〉恒循経(こうじゅんきょう)
 目的の学と呼ばれ、然修録は、その目的の道標です。

〈6〉タケラ〈武童〉
 運命期の学童たちの呼称です。
 知命したのち、天命に到るまでが運命期です。

◎ 後裔記『離島疎開』編について

寺学舎最盛期の塾生だった我々編纂有志でさえ、現役多感なミワラたちの日記(後裔記)の行間を読むことは、正直を申し上げると、たいへん困難なことです。
それ故の策として、亜種記『運命の孝、闘う宿命』を諸書とさせて戴きながら、ミワラたちの後裔記を読み解き配信をしておるところでご座居ます。
ちなみに〈諸書〉とは、編纂のための参考図書のことです。
みなさんよくご存じの聖書に到っては、この諸書の数々のみで成り立っているそうです。

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ミワラ〈美童〉たちの元気が出る感想、然修録です。
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