MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

一学 11【人の名前と顔を覚える才があれば政治家になれ。鳥の自然な啼き声を真似る才があれば音楽家となれ】学人、ムロー

令和2年4月12日(日)号

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エスノキッズ 心の学問「教学編」
読み切りショート。
毎週日曜日、朝7時配信。

ALL OF ETHNO KIDS 
エスノキッズの学習帳......『然修録』

エスノキッズと呼ばれた少年少女たち。
心の学問のすべて。
童心を忘れず、自然から離れず。
不滅の心をあなたに捧ぐ。

なんだいあきお/南内彬男、知命の編纂。
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一学 11【人の名前と顔を覚える才があれば政治家になれ。鳥の自然な啼き声を真似る才があれば音楽家となれ】学人、ムロー


一つ、学ぶ。

そろそろマザメ君がカキコする頃かなと静観していたが、痺(しび)れが切れた。

然修録カキコは、かしこまるから?
正しい。
おれだって、そうさ。
でもね。
なにも、『息恒循』の語録を書き換えたり書き加えようとしてるわけじゃないんだ。

然修録は、教学の練習帳。
学んで教える練習をし、教える練習から再び学ぶ。
そしてまた教え、学ぶ。
この繰り返しだ。

今、気付いた。
悪いのは、おれだ。
おれが畏(かしこ)まるから、後輩たちも、かしこまる。

正直を言うと、おれも、オオカミ君と同じだ。
焦ってる。

間もなく、長かった少年期が終わる。
青年期の門は、目前だ。
門前には、虎と龍がいる。

「青年は是(かく)の如(ごと)く......」なんていう文言が目に触れると、心が敏感に反応して、キンコンカンコーン ♪ と課業始めの鐘が鳴る。
畏まる。
「大人」云々(うんぬん)という話を聞かされても何も感じないのに、「青年」と聞くと、過剰に反応してしまう。

青年という人種が、未だに理解できない。
青年はなぜ、荒波の海に張り出した岬の崖っ縁で、太陽に向かって大声で叫ぶのかッ!

『亜種記』の中で、こんな語録を見つけた。

「自然に還る情熱を持ち、文明や人間から離れる勇気を持て。青年、是の如く」

全国のエスノキッズたちが、後裔記......日記を、書いている。
でもそれは、歴史には、残らない。
歴史に残るのは、亜種記に纂入(さんにゅう)された、ごく一部の、ほんの僅(わず)かな後裔記だけだ。

亜種記を繙(ひもと)く。
自然に還るといっても、何も密林のなかで野獣の営(いとな)みをせよと言っているわけではない。
もっとも、それも解釈の一つではあるが。

自然と文明人間の関係を理解することは難しい。
それは、潜在意識と顕在意識の関係に似ている。
それもまた、難(がた)し。

呼吸にも、似ている。
大きく吸ってーぇ。はい、吐いてーぇ。
これ、顕在意識。

「あの娘(こ)、誰ぇ?
どこの娘?
めっちゃ、可愛いじゃーん ♪ 」

「風が強い海岸で、あんなに短いミニスカートは無謀だよな。
てか、なんで今日に限って、無風なんだよーォ!」

と、こんなシチュエーションに於(お)いても、呼吸は忠純健気(ちゅうじゅんけなげ)に、吸って吐いての地味な仕事を弛(たゆ)みなく続けている。
これ、潜在意識。

おれ、思うに。

人間における自然とは、エキサイティングなシチュエーションにおける呼吸よろしく、潜在意識と、とてつもなく大きく分厚く奥が深い小宇宙との、クビの皮一枚の繋がりだ。

人間は、この小宇宙と繋がっていさえすれば、その自然から離れさえしなければ、生まれもった美質は保たれ、天才はその大なり小なりが、何れ必ず、開花する。


《目次流、写真読みの術》

一、自然な生を想うと、心が飢える。
二、自然な霊感は、仏を彫り神をも創る。
三、自然から離れると、生が弱る。
四、無欲には、自然さがある。
五、聖職の政治家には、自然な感激がある。
六、自然は、馬鹿に音楽家の天才を与える。


《 一、自然な生を想うと、心が飢える 》

その時令。
維新で幕を開けた明治という時代が、終わろうとしていた。


抄出『妄想』森鴎外

「目前には広々と海が横はつてゐ(い)る。
 その海から打ち上げられた砂が、小山のやうに盛り上がつて、自然の堤防を形づくつてゐる...... 」から始まる随想の中に、次のような文言がある。

神経が異様に興奮して、心が澄み切つてゐるのに、書物を開けて、他人の思想の跡を辿つて行くのがもどかしくなる。

自分の思想が、自由行動を取つてくる。

自然科学の中で最も自然科学らしい医学を研究してゐて、exact な学問といふことを生命にしてゐるのに、何となく心の飢を感じてくる。

生といふものを考へる。

自分のしてゐることが、その生の内容を充たすにたるかどうかと思ふ。

出典、妄想ー鴎外。


この森鴎外の文体と、生々として交渉をもった青年は、数知れず......と、聞く。

ここでの鴎外は、小説家ではなく、医学者だ。

その医学者が、精確(EXACT)な学問を生命としているのに、何となく心の飢えを感じてきて、生というものを考えるのだという。

いやはや、これはさすがに、かしこまって縮(ちじ)こまってしまう。

本当の学問、本当の学問であるところの自反尽己は、生というものを感じさせる。
本当の学問は、真実の自己を生きるということ。

真実は、格(ただ)すこと。
自己は、物。
学問は、格物。

かしこまりました!


《 二、自然な霊感は、仏を彫り神をも創る 》

偉人はみな、霊感に富んでいる。
感受性が強い、自然との繋がりが強い、ということだ。

これが弱いと非人間的であって、無いと樹木にも劣る......言わば、石っころである。
元々何もない、無駄なものや好(い)い加減なものを身につけていない石のほうが、却(かえ)って非人間よりはマシと、言わざるを得ない。

宗教は、言う。
「もし神が居ないなら、人間は神を作らなくてはならない」

ところが、心が神を作ろうとしても、その前に、頭が物を作ってしまう。
石という非人間、非人間という物を作ってしまう。
よほど霊感に富んでいる人でなければ、下手に宗教に逃げてしまうと、石にされてしまう。

心得よ!
はい (^_^;)


《 三、自然から離れると、生が弱る 》

非人間にならないためには、何処までいっても自然から離れてはならぬ、ということだ。

人間は、創造的で、活動的だ。
是(こ)れ、自然の法則。

非人間は、物質的で、機械的だ。
是れ、文明の法則。

この二つの法則を、一つにする。
維(こ)れまさに、新たなり。

維新!


《 四、無欲には、自然さがある 》

人はみな、裸で生まれてくる。
どれほど贅(ぜい)を尽くしても、寝床に100坪も要らず、一日に百升の飯(めし/を食えるわけでもない。
一日精々、一升の米と、六尺の布団が一枚あればよい。
それ以上、それ以外はみな、欲だ。

その対極にあるのが、無欲。
言い換えれば、虚無主義。
これが、自然。
それが、人情。

為政も商売も教育も、自然に基づいたこの人情の上に立つ。

立命は、是(かく)の如く!


《 五、聖職の政治家には、自然な感激がある 》

大の憤慨。
これは、身体(からだ)に障(さわ)る。
されど、この純潔、熱烈な感情、気概が市井(しせい)の人々の中になければ、国家とか、民族とか、人類とか、世の中というものに、未来はない。

この自然な感激性、直感、霊感あってこその聖職である。

聖職ゆえに、何百何千もの顔と名前を覚えるという離れ業が可能となる。

まさに、神業!


《 六、自然は、馬鹿に音楽家の天才を与える 》

ガイジンであるヨッコ君が、同じくガイジンである外国人から「ナイーブ」と言われ、その意味を知って、大の憤慨をした。
「お人好しの、知恵遅れの馬鹿って意味よォ!」
https://www.akinan.net/entry/kou.14

自然な憤慨だと思う。
だが、この精薄児を意味する言葉、そしてそのまんまの馬鹿という言葉、実は、褒(ほ)め言葉に値する。

森の中で自然と一体になり、鳥たちと一体になり、トンビやホトトギスや駒鳥や鴉(からす)や山鳩の自然な鳴き声を真似ることができるのは、美質を持った精薄な馬鹿だけである。

よって、「ナイーブ」と言われたら、喜べ!


◎然修録(ぜんしゅうろく)、今日の録責
学人、ムロー

◎息恒循(そっこうじゅん)、こぼればなし
人間の細胞は、7年かけて一新する。
人心の循令も、7年かけて一新する。


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