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後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

一学 21【デカルトやカントが生み出した近代の中に科学はある。東亜民族が生み出した悠久の中に儒学はある】学人、ムロー

エスノキッズ 心の学問「教学編」
令和2年6月21日(日)号。


一つ、学ぶ。

科学。
それ自体は、素晴らしい。

科学万能時代は、終わった。
だのに人間は、科学信仰に陥ったままで、そこから抜け出せないで苦しんでいる。

何を苦しんでいるのか。
それは、心の問題。
心の病と心の医学は、科学信仰によって生じた副産物だ。

心をまったく問題にしなかった科学信仰と対極にあるのが、心を最も問題とする仕組みを構築した儒学である。

その儒学にも、いくつかの仕組みの種類があるが、その中でも、「万物一体の仁」を掲げ、単に人間に対してだけに留まらず、草木瓦石((がせき)価値がない物という意味)に到るまで、心を思い遣る優しさに重きを置き、人間のことは「親民」と呼び、人々を心の病から何とか救いたいという高い志を貫いた仕組みがある。

それを基礎とした学問が、開祖の王陽明の名から取って、古くは王学と呼ばれ、現代では陽明学と呼ばれている。

俺たちが学ぶ息恒循の格にある七命(人生の目的の学)と七息(日々の行動の学)は、儒学の中でも、この陽明学の仕組みを、最も多く取り入れている。

なぜ王陽明という人物は、このような仕組みを作ることが出来たのだろうか。
そしてなぜ、大思想家と呼ばれるに到ったのだろうか。

その答えは、故事ことわざの中にある。

その昔、人間を鍛える最たるものとして、貧、病、獄の三つ挙げられていた。

その三つの何れも、その境遇とそれを乗り越えた行動の何れも、言葉を絶するほどの信じがたいものであった。

それが、答えだ。

そんな実体験で終始した人生で辿り着いた境地が、自然と人間を分けない、離さない、「万物一体の仁」という思想、仕組みなのだ。

この思想は、儒学を教える儒教、儒学を道学と呼んだ老子や荘子の教えであるところの道教、更には仏教までをも包括して生まれた、総合的な仕組みであると言える。

同時に、他方では、思想よりはむしろ、王陽明という人物、人間の魅力に感じ入った学徒や学者も多い。

現代で言う人間力とは、まさに是(かく)の如くである。

さて、この陽明学を再び広げて、儒学に話を戻そう。

政治や経済を志す者達が、なぜこの儒学を懸命最優先に学んできたのか。
それは、この儒学の仕組みが、大衆の救済を最大の目的としているからである。

「個人個人に対する救済ではなく、飽くまで大衆、人民全体の救済を目的としている」

これが、仏教やキリスト教と、最も大きく異なった点であり、儒学・儒教の、最も優れた点であると、言える。

その大衆救済の方法論が、儒教の四書(四大教書)の一つ、『大学』の中にある。


古(いにしえ)の明徳を明らかにせんと欲せし者は、まずその国を治めたり。

その国を治めんと欲せし者は、まずその家を済(すく)へたり。

その家を済えんと欲せし者は、まずその身を修めたり。

その身を修めんと欲せし者は、まずその心を正しくせり。

その心を正しくせんと欲する者は、まずその意を誠にせり。

その意を誠にせんと欲せし者は、まずその知を到せり。

その知を到すは、「格物」にありき。


と、ある。
これが、学問だと言う。
さらにこれを逆に読むと、それが、学問の目的だと言う。


「格物」してのち知に至る。
知に至りてのち意誠なり。
意誠にしてのち心正し。
心正しくしてのち身修まる。
身修まりてのち家済う。
家済ひてのち国治まる。
国治まりてのち天下平らかなり。


令和2年6月21日(日)号
一学 21【デカルトやカントが生み出した近代の中に科学はある。東亜民族が生み出した悠久の中に儒学はある】学人、ムロー

日本は、海洋の中の一国一文明一民族。
引きこもりの伝統戦術を受け継ぎ、独立を護ってきた。

日本人は、アマテラスとスサノオの姉弟を開祖として、外にあっては行動を学とし、郷里に引きこもっては目的を学とし、民族の尊厳を守ってきた。

その悠久の苦心を一つの型にし、国民に学問の門戸を開いたのが、江戸期の儒学者たち。

近代、それを土台に西洋化。
現代、その土台が崩落。

そして今、崩落した土台を復元しようとする少年少女たちがいいる。

二度目の人生幼児期のぼくも、その一人です。