みなさん、おはようございます。
【然修録】です。
毎週日曜の朝7時。
今朝も、お届けいたします。
「行動と目的の学」を実践する子どもたちの学習帳。
読み切りで ♪
エスノキッズ 心の学問「教学編」
令和2年6月28日(日)号。
一つ、学ぶ。
亜種記のなかで、七命暦を学ぶにつれて頭がこんがらがり、モヤモヤしている少年がいた。
わたしも、格物を学ぶにつれて頭がこんがらがり、モヤモヤしている。
七命暦では、この格物を積むことが、良き習慣とされている。
ところがこの格物、儒学者によって、その解釈が異なる。
七命暦を含む指南書『息恒循』では、先人先達からの語り伝えによって、これ明らかだと言う。
でもわたし、思うのねッ!
語り伝えほど、正確さが去り易く、曖昧なものはない......って。
普遍の原典、七命暦を無闇に加筆訂正するものではないという声も聞こえて来なくはないけれど、そこは《変わる》ための指南書、息恒循 ♪
ここは、格物を明らかな指南へと、自ら変わってほしい。
「書物が自ら変われるんかいッ!」
という声......。
ごもっともです (;´゚д゚)ゞ
さて、この良き習慣というもの。
ふと思いました。
いくら良くても、堅苦しく重苦しいだけだと、肝心要の心が、潰れてしまいます。
心も身体(からだ)も、健康でありたい。
養生すればいいじゃん?
養生も、良き習慣ってことォ?
いやいや!
病んでもないのに、
養生はイヤです ( ̄▽ ̄;)
というわけで、今日の座学の主題。
「病まないための良き習慣とは」
と、相成ったわけです ♪
結論(目的の学)。
良い習慣を積む。
心が富む学問をする。
私心私欲を去る。
向こう見ずの健康である。
敗局はおっぽり出す。
方法(行動の学)。
《 良い習慣を積む 》
先ずは簡単に言う。
学問をする。
学問は、人間を変える。
人間とは、自分のこと。
自分が変われば、他人も変わる。
人間みな、変わる。
次に、難しく言う。
心掛け、心境、真実を良くする。
即(すなわ)ち、徳を良くすること。
それには、学問。
学問とは、徳を養い練磨すること。
そのための良き習慣が、自反尽己。
良き習慣を積めば、久敬となる。
「久しうして人之を敬す」
《 心が富む学問をする 》
自然に近い食べ物を摂る。
自然の薬を活用する。
直感を養う。
古人先人が労苦した語録にとっくむ。
本当に生きたいと思う。
本当に考えるようになる。
本当に行動を起こす。
《 私心私欲を去る 》
読聖賢書
明体達用
聖賢の書を読みて体(何故必要で如何にすべきかという本質的な問題)を明らかにし、用(そのようにしてそれからどうするか)を達す。
これ、私心私欲を去らねば、道を誤り仁義を欠くる。
《 向こう見ずの健康である 》
病は気から、
養生は不健康から、
健康は平気から。
健康は、無意識でなければならない。
向こう見ずなくらいが宜しい。
《 敗局はおっぽり出す 》
事勢己に負局を成した(もうダメだと思った)ならば、いっそ思い切ってぜんぶ、おっぽり出してしまうのが宜しい。
随波逐浪
波のとおりに浪(なみ)を逐(お)っかけてゆく。
波(敗局)を突っ切ろうとするから心も身体も疲れて、挙げ句へとへと病となる。
波に乗って成すがまま、すべてをおっぽり出してどこかへ流されるが宜しい。
無心で、直感を養い、自然の声を聴く ♪
令和2年6月28日(日)号
一学 22【良い習慣を積み、心が富む学問をし、私心私欲を去り、向こう見ずの健康であり、敗局はおっぽり出せ】学徒、マザメ
【行動と目的の学】
江戸期の儒学者たちは、学問を一つの型にして、学校や家庭に根付かせました。
その型が崩壊した現代、廃残したわたしたち民族には、新たなる型が求められています。
美質を生まれ持った子どもたちは、戈(ほこ)を止(とど)めると書く武の心を修めるために、東亜の行動哲学、西洋の目的心理学、民族史と神話、未来と過去の脚本技術などを学んでゆきます。
Japanize Destinies Distribution
『亜種記』『息恒循』『然修録』『後裔記』
JDD 東亜学纂