MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

一学 38【スピアの然修録】子供達の生まれ持った美質とは何か。なぜ幼いうちに美質を養わねばならぬのか『離島疎開8』

7時ですよーォ♪
おはようございまーすぅ。
ミワラ〈美童〉たちの元気が出る感想、然修録です。

エスノキッズ 心の学問 「教学編」
令和2年10月18日(日)号


一つ、学ぶ。


ぼくの後裔記『離島疎開』公開中の最中(さなか)、『然修録』debut!(初公開)です。
入江の突堤で、意外な人に会いました。
「ぼく、然修録書くから、そろそろ後裔記......てか、早く書いてよォ!」
と、伝えときました。
その人とは、同じ島に降り立ったサギッチでも、マザメさんでもありません。

閑話休題(さて)。


〔 子供達の生まれ持った美質とは何か 〕

ミワラ=〈美童〉の童(わらべ)の本質・根源は、暗さと明るさです。
人間(特に大人)は、光の方を愛します。
大人に座敷わらしが見えないのは、このことも所以(ゆえん)の一つになっているのかもしれません。

ただ、この情動は、宇宙開闢(かいびゃく)・天地創造と同時に生れたものです。
なぜ人間は、光明を愛するのでしょうか。
光が射すところは明るいと同時に、清く、彩(さやか)であるということ。

清く赤き心。
さやけき心。
是(これ)、神道(しんとう)の徳。
所謂(いわゆる)、子どもの根本。

なので子どもは、明るく育て、明るい心を持たせ、清潔を愛する生活をさせなければならないのです。

対して、育てられるぼくたち子どもの方はどうかというと、このように育てられるために、素直でなければなりません。

真っ直ぐな心。
直(なお)き心。
仏法で言うところの直心(じきしん)。
人間となるための道場。
道場と言うからには、忍耐が必要。

嘗(かつ)ての幼稚園には、『辛抱第一』という大書きが、教室の前に掲げられていました。
なぜか?

天地は悠久。
造化(ぞうか)は無限。
同様に人間も久しくあり、(人物の)物(ブツ)を成してゆく。
そのためには、仁あり、忠あり、愛であるよッ♪
仁、忠、愛......これを貫くためには、忍あるのみ!

よって、『辛抱第一』。
是(かく)あるべき!
これは、ぼくの解釈...... 持論、だけんど (^_^;)


〔 なぜ幼いうちに美質を養わねばならぬのか 〕

愛のためには、敬が欠かせない。
敬が生じれば、恥を知ることができる。
宗教も道徳も、ここが出発点だ。
これが、徳の根本・本質。

この根本・本質を、胎海(たいかい)の海原(うなばら)で譲り受け、誕生したならば、それを忘れぬうちに、養ってゆく。
この所作は、二歳から三歳まで。
五歳から六歳に到るころには、もう既に人間としての徳は、完成してしまている。
この完成してしまったものを、性格という。

然(しか)しながら現代では、親や周りの大人たちが、この所作の存在すら知らず、子どもたちの徳を、ご親切に且(か)つ無残に害(そこな)ってくれている。


なぜ、「そんなことしてると、お化けが出るぞ!」みたいに嚇(おど)かして、従わせようとする?

なぜ、手や足が不潔でも、無関心で顧(かえり)みてくれない?

なぜ、すぐにオモチャ(餌)で釣ろうとするのか。
ぼくらは、犬や猫と同じ?
ペットかいッ?

なぜ、そのペットの犬や猫までまで巻き込んで、闇雲にあやすのか。
「ただ、ウザイだけなんだろッ?」
と、疑いたくもなる。


そんな育てられ方を素直に受け容れると、不潔な部屋で暮らし、残酷なことを好み、収賄(しゅうわい)に魅了される性格(大人)が完成する。

ゆえに、風を切って不徳の人生を歩む。
これのどこが、〈自己責任〉なのか?
教えて賜(たも)れッ!

病(やまい)、然(しか)り。
薬が、効かない?
不治の病(やまい)?
発病するのは、大人になってから。
その感染は、二歳から六歳までの間。
ズバリ! 喘息と糖尿病(などなど)。

感染するか否かは、胎内で決まる。
故(ゆえ)に、母親は、いつの時代も、神である。
その点、男は、責任が軽い。
何故なら、子を産まないから。
ヒトラーも、ゴルバチョフも、毛沢東も、男どもがどんなに偉ぶったところで、子を産む母には、到底及ばない。

たとえ、どんなに禺女と揶揄(やゆ)されようとも、女性の大半は、子を産む偉業の権利を、神から与えられている。
なぜ偉業?

況(いわん)や!
その産んだ子が、釈迦(しゃか)にも達磨(だるま)にも劣(もと)ると、誰が言い切れるだろうか。

如来(にょらい)という言葉がある。
如(にょ)がなぜ、女扁(おんなへん)なのんだろうか。
それは、回答を待つまでもない。
偉大だからだ。

ここで、註釈を三つ。


【 釈迦ってぇ? 】

紀元前466-紀元前386。
フルネームは、釈迦牟尼(しゃかむに)。
幼名は、ゴータマ・シッダールタ。
悟りにより、原始仏教を現世に紹介する。
35歳で苦集滅道(くじゅうめつどう)(仏教の根本教理)を悟り、80歳まで、教化の日々を送った。

【達磨(だるま)ってぇ? 】

出生不詳。
南インドのバラモン(インド・カースト制度の最上位の階級。司祭者であり、他のすべての階級の指導者でもある)生まれ。
中国の戦国(三国)時代にその中国に渡り、少林寺で九年間、座禅を行う。
禅宗の始祖。

【如来(にょらい)てぇ? 】

仏法の世界で、最高の体(てい)。
真理をよく理解した人格者のこと。
十(とお)ある仏様(ほとけさま)の称号のうち、その一つ。
尊ぶべき、仏教界で最高の尊称。
釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来などが、その代表。

註釈、おわり。


「但し!」

女の人が〈よき母〉の徳を身につけるためには、男児も徳を備えた良人(おっと)であることが必定。
しからば、この両輪たらしめる家庭、家族というものが、初めて成る。

父母がよい土を得て土台となり得(う)る根をよく張れば、幼子(おさなご)は太く逞(たくま)しい幹となる。
そこで、その木の一生は、決まる。

幹が太ければ、知恵や知性が脈々と流れ、知識や技能といった枝葉が良く育ち、ただ大きいだけではない、末梢(まっしょう)まで緑緑(りょくりょく)とした、活きた樹木となる。

腐った根っこ、貧弱な幹、すぐにポキッと折れる枯れ枝......と、そんな大人になってから、やれ学べだの世のため人のために働けだのと言われても、なかなかいいことにはならない。

同様に、肉体である幹がモヤシのように育ってしまってから、やれ鍛錬だァ筋トレだァと焦って慌(あわ)てて無闇に鍛えたところで、肉体は疎(おろ)か、健全な精神など到底、陶冶(とうや)されるはずがない。

この幹が成長するのは、6歳ごろから、精々17歳のころまで。
とかく『 17歳 』が歌や映画の主題を為(な)す所以(ゆえん)は、ここにある。
たぶん、間違いない(どうなんだかァ!♪)。

因(ちな)みに、記憶力のピークは12歳から13歳で、それを過ぎると、ただ衰(おとろ)えゆくのみ。
眼力は10歳のころがピーク、さらに、注意力(集中力)も想像力も連想力も、この十歳の前後がピークとなり、そのあとはやはり、衰えゆくのみなのだそうだ。

それにしては、自己啓発とか生涯学習などと称して、大人は衰えゆく幹や枝葉を駆使して、懸命健気(けんめいけなげ)によく頑張っていると思う。

ところが、どれだけ頑張っても、子どもたちの豊かな言動には、ついてゆけない。
なので大人は、(奇想天外なことばっかり言いやがってぇ!)と思い、子どもたちをバカにする。
その子どもたちは、(バカは、おまえだッ!)って思いながら、大人たちを覚めた目で見はじめてしまう。

なぜ大人の目には、奇想天外に映ってしまうのか?
それは、子どもたちが、瞬時にして、夥しい無差別の情報を記憶してしまうからだ。
その記憶のために、人生で最も旺盛な時期(ピーク)を迎えた眼力や、注意力(集中力)、想像力、連想力を集結し、目的一点目掛けて、集中投下される。
これでは、大人が適うはずもない。

なぜ、適うはずもないって思うのか?
だって大人は、すぐに疲れてしまう。
当然だ。

でも子どもは、疲れを知らない。
どんどん叩きこまれても、鍛錬や陶冶は、止(とど)まるところを知らない。
たとえ疲れても、すぐに回復してしまうので、疲れに気づくことができない。
なので、芸や巧みの類(たぐい)は、この子どものうちに叩き込まなければ、その先は無い。


「ということは、子どもの時分にピークを迎えたこの徳性の数々が、美質というものなのかァ?」
ではない。


斯(か)くあるべき徳性を養い潤すのは、脈々と波打つ樹液、情緒だ。
細ければ細いなり、低ければ低いなりの樹液が、脈々と流れている。
但し、どんなに太く聳(そび)え立つ幹であっても、この樹液が濁っていたり毒を含んでいたりすれば、枝葉は末梢から枯れていってしまう。
況(いわん)や、美しくなければならない。

よって美質とは、美しい情緒のこと。
美質が、徳性を養う。
その徳性は、子どもの時分に、最盛期を迎える。

これが、「なぜ幼いうちに美質を養わねばならぬのか?」の、答えだ。

離島に分散したぼくらミワラは、どんな大人になるのだろう。
その未来の委細は、後裔記に譲る。


_/_/_/

一つ、その後裔記に書かなかったことを書く。
養祖父、シンジイが、言った。
それは、ある日。
ぼそっと。

「本当の財産とは、金でも家でもない。

幼い我が子だ」

と。

_/_/_/


令和2年10月17日(土) 活きた朝 1:53
少年、スピア


令和2年10月18日(日)号
一学 38【スピアの然修録】子供達の生まれ持った美質とは何か。なぜ幼いうちに美質を養わねばならぬのか『離島疎開8』

◎ 今に残る〈寺学舎の用語集〉

〈1〉少年/少女 → 学徒 → 門人 → 学人
 寺学舎の学年の呼び方です。

〈2〉ミワラ〈美童〉
 立命期の学童たちの呼称です。
 誕生から学人となったのち、知命するまでが立命期です。
 「生まれもった美質を護ってほしい」
 という願いが、込められています。

〈3〉美童名(みわらな)
 立命期の名前です。
 武家社会の幼名のようなものです。

〈4〉息直術(そくちすい)
 行動の学と呼ばれ、後裔記は、その行動の足跡です。

〈5〉恒循経(こうじゅんきょう)
 目的の学と呼ばれ、然修録は、その目的への道標です。

〈6〉タケラ〈武童〉
 運命期の学童たちの呼称です。
 知命したのち、天命に到るまでの長い道程が、運命期です。

◎ 然修録『離島疎開』編について

寺学舎最盛期の塾生だった我々編纂有志でさえ、多感なミワラたちの学習帳(然修録)の行間を読むことは、正直を申し上げると、たいへん困難なことです。
それ故の策として、亜種記『運命の孝、闘う宿命』を諸書とさせて戴き、ミワラたちの然修録を読み解きながら、配信をしておるところでご座居ます。
ちなみに〈諸書〉とは、編纂のための参考図書のことです。
皆様がよくご存知の聖書に到っては、この諸書の数々のみで成り立っているのだそうです。

◎ 然修録の発祥について

然修録は、寺学舎に通っていた一部の学童たちが、講釈を書き留めていた学習帳です。
寺学舎というのは、瀬戸内でかつて古(いにしえ)の時代に栄えた港町にあった寺塾です。
一部の学童たちはみな、その港町に隣接する寂(さび)れた浦々に住んでいました。
そこは、「平家の敗残兵が密かに身を隠して、今に到っている」と、伝えられている地です。
『平家物語』巻第十一では、彼らの祖先を率いた名将の武勇が、描かれています。
この浦々から谷川沿いに峠を上り尾根を越えると、その先に、原っぱが拡がるような町が現れます。
その地が、彼らの先祖が最期を飾った古戦場です。
この学習帳は、日常や読書の感想を綴った自習帳に形を変えながらも、『然修録』の名を、今に残しています。
学童たちは、『然修録』を書きはじめた大先輩たちの心情を、慮(おもんばか)らずにはいられなかったのでしょう。

◎ 然修録の現在について

かつて栄えた港町にあった寺学舎は、今はもう存在しません。
寺学舎と呼ばれていた講堂の佇まいは変わっていませんが、そこに集う学童たちの姿はありません。
隣接する寂れた浦々では、子どもたちの姿を見ることさえ稀になってしまいました。
でも、その浦々の隠れたところで、郷(さと)学舎という名の家塾が、今でも寺学舎の衣鉢(いはつ)を継いでいます。
2020年2月、その家塾に集っていた学童たちの然修録を、メルマガという手段で公開しました。
然(しか)しその8月、彼らは天災とも人災ともつかない災難によって、離島へと疎開して行きます。
学友たちと住まいを隔て、島を隔てて独学を余儀なくされたミワラたち。
貧しい彼らですが、メルマガやブログといった少々古臭いテレスタディで、個々の独修を共有しています。
彼らは、この然修録を「元気が出る感想」と呼び、後裔記を「元気が出る日記」と呼んでいます。

◎ その後裔記とは?

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ミワラ〈美童〉たちの元気が出る日記、後裔記です。
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