MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

一学 39【サギッチの然修録】要領の善と悪。要領の心的メカニズム『離島疎開9』

『離島疎開』そこで、ミワラたちは!?
彼ら彼女たちの感想、今朝の然修録は……。

エスノキッズ 心の学問「教学編」
令和2年10月25日(日)号


一つ、学ぶ。

スピア、元気でやってるようだな。
スピアの後裔記、おまえらしいやァ♪
そろそろ、真面目に書かなきゃな。
後裔記!!!

さーて。
とぉ......。


〔 要領の善と悪 〕

ゲームで要領を養う話があったけど、現実に要領がいいやつってのは、往々にしてズルイ、悪賢いやつが多い。
ような気がする。

ゲームだって、そうさ。
みんなに背中を向けて、追ん出したいコマを出口付近のコマとごっそり入れ替えっちまえばいい。
俗に言う、手抜きってやつぅ?

でもさ。
それが〈悪〉だって言い切れないところが、要領の面倒っちいところっていうか。
時間は、金なり。
時間を掛けるは、命を削るなり。

必ずその結果に到らなきゃならないとき、手抜きしても誰にも見つからず、迷惑もかけないんなら、無駄な金を費やすことも、命を削って痛い目に遭うこともない。

有り!だね♪

まァ、教師にしたって上司にしたって、「頭を使え!」とは言えても、「要領よくやっとけやァ♪」とは、なかなか言えないもんだろうから、そこは、自己管理の独断の範疇ってところかなァ?

「一に要領を以(もっ)て旨とすべし」なんて是(ぜ)を掲げる学園があったら、通ってやってもいいかもーォ♪

ふざけてるようだけど、「結果が同じなら、手段やり方は問わない」と、上層部にそれくらいの器量がないと、その組織は、競争や闘争には勝てない。

平和な時代、勝つことに主眼を置くことに、悪寒(おかん)を感じる人は多いだろう。

でも、負けたら、どうなるぅ?
まァ、ただ拝むだけで平和が保てるって思ってる人たちとは,一生平行線だろうからァ?
「そんな考え方も、あんのかァ! ふん♪」とでも、思っといてもらえばいいかなって......。

でも、蛇足一本!

人類ってのは、どうしても百年に一回は戦争しなきゃ気が済まないんだから、さっきもちょっと触れたとおり、どうしてもその結果に到らなきゃならないんなら、あのさァ、もっと、要領よくやろうよォ♪

但し、それが違う結果に逸れっちまうとしたら、それこそが、悪だぜッ!

侵略とか、迫害とか、差別とか、洗脳とか、独裁とかね。


〔 要領の心的メカニズム 〕

ひとことで言うと、欲望を満たすための方法や型を考える習慣に、興味を持つこと。
だね♪

遠路はるばる時間と金をかけて音楽会に出向くより、家で蓄音機が奏でる摺動(しゅうどう)音楽を聴いてたほうがいいがなーァ♪ って。
これって、〈善〉の手抜きやん?

有名な言葉があるよね。
エジソンさん。
「発明とは1パーセントのインスピレーションと99パーセントのパースピレーション(汗かき)である」

発明は要領ではなく、努力?
ないない!

1パーセントのインスピレーションが無かったら、99パーセントの努力は、すべて水の泡じゃん!
この1パーセントこそが、要領だよ。
1パーセントっていう限られた時間と労力で、要領よくやる方法を発明する。
つまり、インスピレーションとは、発明。
発明のためには、発明が必要ってことだ。

ところが、このインスピレーションってやつが、曲者(くせもの)。
西洋の人たちは、「神が授けてくれるものだ」って、言ってるみたい。
でもそれじゃあ、祈るだけで平和が保てるって洗脳されてる平和ボケ症候群の症例と同(おんな)じじゃん!

で、本を読んだ。
ウイリアム・ゴードンという人が行った、調査と研究。


発明家が問題解決に到るまでの心境(心的メカニズム)。

1-(a).Involvement(没入)
 対象に、のめり込む。
 真っ正面から、夢中になって考える。

1-(b).Detachment(離脱)
 対象に、いきなり食いつかない。
 正体を見極めるため、遠目で観察する。
 (a)での疲れを素直に受け容れて、嫌気(いやけ)を自覚する。
 「そんなこと、本当に出来んのかよォ!」と、嘆くもよし。

2.Deferment(迂回)
 反省、思い直す。
 くよくよしてても、何も進まないし、始まりもしない。
 対象を、違った面から捉えてみる。
 対象とは関係なさそうなことも、考えてみる。

3.Speculasyonn(投機的思考)
 明らかにダメだと思われることも、考えてみる。
 ダメもと? でも、当たれば儲けもん!

4.Autonomy of Object (対象の自律運動)
 すでに、努力とは言えない惰性で、唯(ただ)考えているだけ。
 だのに、対象が勝手に答えを出してくれるという体験をする。


でもだなァ。
何でもかんでも没入できるかっていうと、そうはいかない。

好きこそ......♪
或(ある)いは、「漏らしたら、俺の股間(こかん)に関わるぞォ!」みたいな......。
好きか逆境かのどっちかのときじゃないと、なかなか没入なんかできない。

それで、いいと思う。

発想力ってのは、行動しているときのみ、発揮されるのだそうだ。
「下手の考え休むに似たり」とか言って、考えることをやめちゃって家に帰ってから布団に潜って悶々(もんもん)と考えたところで、いい発想なんて浮かんでくるはずがない。
つーぅ、ことだろう!

だからといって、どこぞの国の陸軍のように、〈闇雲の進軍、休むに似たり〉では、せっかくの行動も、大量の命を削るだけになってしまう。

じゃあ、「バッカじゃない?」って言われるような〈ダメもと〉も、闇雲よろしく、時間の無駄遣いじゃんかーァ?
って。
そう、思うよね?

でも、そんなときに限って、問題が、ポロッと解けたりするんだって!
と、自分で言いながら、自らそんな経験がないのは、そもそも没入なんてことをしてこなかったことが、一番......っていうか、唯一の原因なのかもしれない。
間違いない。
たぶん。

とにかく、没入しなきゃ!
そうしなきゃ、どうやら要(かなめ)らしい〈反省〉ってのが、できないしね。
寺学舎流に言うと、自反ってやつだなッ♪

要(かなめ)とくれば、次は、決定打!
極意だねッ♪

対象、問題の〈自律運動〉かァ......。

「人事を尽くして自律運動(天命)を待つ」ってところですかねッ!
つーぅことは、やっぱりインスピレーションってのは、自分で求めるものではなく、授かるもの。
西洋人が言ってる〈神〉ってのは、〈人事を尽くした自分〉ってことかァ♪

兎にも角にも、没入。
そうすりゃあ、言われなくても離脱するし、自然に迂回して、挙句は投機的思考だ。
あとは、待つだけ。

座禅修行をしてる坊さんが、あるとき突然閃く悟りの境地も、長い修行のなかの1パーセント。
お釈迦さんは、この1パーセント、問題の自律運動のことを、「不可思議の法門」って言ったそうだ。
スピアが唱えたっていう「唯識(ゆいしき)、唯識...... 」も、そんなようなもんなんかなァ?
調べる気力は、もう無いけどォ!

これまでおれは、インスピレーションってのは、直感のことだと思ってた。
顕在意識の思考や、潜在意識の知恵(経験の記憶の使い方)を介さず、超意識(直感力)が直接、答えを感じ得てしまう。
それが、インスピレーションだと、そう思っていた。

でもそれは、間違っていた。

読みは同じ「ちょっかん」でも、正しいのは、〈直観〉の方だ。
表れるのは頭ん中じゃなくって、直接、行動に表れるのだ。

自らの行動に表れるからこそ、その喜びが、鋭く一入(ひとしお)なのだ。
頭で感じるだけの直感では、そんな鋭い感奮を、得ることはできない。
間違いない。
たぶん。

この要領の極意、対象の自律運動、直観を意識し続ける限り、いつしか必ず、おれは、「要領がいいやつ」、或いは、「運がいいやつ」と、呼ばれるようなタケラ〈武童〉に成長することだろう。

今度から、運がついて回ってるやつを見たら、そいつについて回ろう。
ついて回って、肖(あやか)るのだッ!

多逢聖因(たほうしょういん)(いい人に交わっていると、良い結果(直観)に恵まれる)を......♪


オマケ(蛇足、二本目!)

「男たる者、いざ跨ぐと決めたなら、出し惜しみなく、命を削るべし。

股間に関わる失態は、我らが行く末、タケラ〈武童〉の沽券にかかわる」

要領は、行動に表れる......かァ。

やれやれ。


令和2年10月24日(土) 活きた朝 0:06
少年、サギッチ


令和2年10月25日(日)号
一学 39【サギッチの然修録】要領の善と悪。要領の心的メカニズム『離島疎開9』

◎ 寺学舎由来の各種呼称について

1.立命期の学年
 少年/少女 → 学徒 → 門人 → 学人。
 誕生して知命する(学人のころ)までが、立命期。

2.ミワラ〈美童〉
 立命期の学童たちの呼称。

3.美童名(みわらな)
 立命期の個々の学童の呼び名のこと。
 武家社会の幼名のようなもの。
 「生まれもった美質を護ってほしい」という先人たちの願いが、込められている。

4.タケラ〈武童〉
 運命期の学童たちの呼称。
 知命したのち、天命に到るまでの長い道程が、運命期。
 武の心(戈(ほこ)を止(とど)めさせる人間力)の修養に努める生涯学童。

◎ 『離島疎開』編について

寺学舎最盛期の塾生だった我々編纂有志でさえ、多感なミワラたちの体験や学問の行間を読むことは、たいへん困難なこと。
それ故の策として、亜種記『運命の孝、闘う宿命』を参考として、真実を読み解くことに努めている。

◎ 後裔記と然修録について

1. 発祥

寺学舎に通っていた一部のミワラたちが、日記や学びの感想を共有して、共同体感覚の修養をはじめた。
その日記が後裔記、学びの感想が然修録。
寺学舎とは、瀬戸内で嘗(かつ)て古(いにしえ)の時代に栄えた港町に根付いていた寺塾のこと。
その港町に隣接する寂(さび)れた浦々にも、ミワラたちが住まっていた。
そこは、「平家の敗残兵が密かに身を隠して、今に到っている」と、伝えられてきた地。
『平家物語』巻第十一では、彼らの祖先を率いた名将の武勇が、描かれている。
その浦々から谷川沿いに峠を上り尾根を越えると、その先に、原っぱが拡がるような町が現れる。
その地が、彼らの先祖が最期を飾った古戦場。
後裔記と然修録も、所謂(いわゆる)末裔(まつえい)の諸書だが、自らを後裔(こうえい)と称した名残を今にとどめる。
子々孫々の学童たちは、先人たちの心情を、慮(おもんばか)らずにはいられなかったのだろう。

2.現在

嘗て栄えた港町に根付いていた寺学舎は、今は存在しない。
お寺の講堂の佇まいは変わっていないが、そこに集う学童たちの姿は、今はもうない。
隣接する寂れた浦々では、子どもたちの姿を見ることさえ、稀になってしまった。
然し、その浦々の隠れたところで、郷(さと)学舎という名の家塾が、今でも寺学舎の衣鉢(いはつ)を継いでいる。
2020年2月、その家塾に集っていたミワラたちの後裔記と然修録を、メルマガという手段で公開した。
だが、その8月。
彼らは天災とも人災ともつかない災難によって、離島へと疎開して行く。
学友たちと住まいを隔て、島を隔てて独学を余儀なくされた浦々のミワラたち。
貧しい彼ら彼女たちだが、メルマガやブログといった少々古臭いテレスタディで、学友たちと日常知を共有している。

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AEFノベルズ出版
A.E.F. Novels Publishing
◎ バックナンバー
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◎ メルマガ「エスノキッズ 心の学問」
自伝編
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教学編
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