#### 然修録「インストの音程の{蘊蓄|うんちく}? {唯識|ゆいしき}の三国三様!」 学人ムロー 青循令{猫刄|みょうじん} ####
アコギでJAZZを奏でながら*音程の蘊蓄を垂れる*{若い爺さん|ワカジイ}の話♪ ところで本題は、*唯識*の三国三様の*成り立ち*(アセアセ)!
一つ、学ぶ。
ツボネエ君の読書法、承知した。お見事♪
その内容も{然|さ}る事ながら、それを実践しようとする姿勢がいい。{然|さ}りとて、その{会得|えとく}は、困難極まりそうだッ!
俺とて、その習得に努める気、マンマンなのだが、二度三度と読み返しながら、情けないほど時間がかかってしまう。なので、だいたいにおいて、目次だけザックリと記憶しておいて、後輩たちに適当と思われる本を、案内させてもらっている次第だ。
その、〈読むのに時間がかかる本〉として、これまで俺的にして最高峰で、読破に苦慮しているのが……そう、{成唯識論|じょうゆいしきろん}! そこまでして、{何|なん}で……何の目的があって……って、やっぱそこ、{訊|き}くよねぇ? なので、答える。
集中、精神統一。その習得。これが足らず、俺は未だ知命に到らず、**無知**運命期の最初の循令、青循令に突入……して、何と、{最早|もはや}、というか{既|すで}に、三年目の猫刄! 〈{到頭|とうとう}〉という言葉さえ、脳裏を{掠|かす}める。
次……。精神統一と言えば、{瞑想|めいそう}。この瞑想について書いてある本を何冊か読むうちに、ヨーガという言葉と出逢う。ヨーガとは、修行方法の一つ。その修行というのが、まさにドン、ピシャリン♪ 精神統一なのだ。
次……。このヨーガが生まれたのが、インド。それが日本に渡って禅宗の〈禅〉と相成る……が、それは、置く。インドに、戻る。
そのヨーガによって悟りを開いたのが、お釈迦さん。「ヨーガは、{凄|すご}い!」と感奮し、そのヨーガによる修行で、お{釈迦|しゃか}さんの悟りを学んだ者たちが打ち立てたのが、唯識思想なのだ。
というわけで、今回は、その唯識の三国三様……**インド、中国、日本での成り立ち**について、〈{纏|まと}めてみよう〉と思う。ヒノーモロー島の三人の{美童|ミワラ}たちのマイブーム的に言うと、〈要約してみよう〉と、相成ろうか♪
ところで、その前に、{何気|なにげ}に蛇足を一つ(アセアセ)。
《 蛇足……。この、〈♪〉というヤツ 》
{人気|ひとけ}のない海辺で、アコギ(アコースティックギター)を{奏|かな}でている若い爺さんを、見かけた。少し、会話をした。その{若爺|ワカジイ}、曰く。
「歌を歌っていて、『音程が外れたーァ!!』というが、それは、音程という言葉の使い方を、間違っている」と。
正しくは、{音高|ピッチ}。片や{音程|インターバル}のほうの正しい意味は、音と音との距離のことを言うそうだ。しかもそれは、{測|はか}って判る距離ではなく、不変……即ち固定値としての距離、という意味だ。
たとえば、{C|ド}自身の音程。これは、{完全|パーフェクト}1度と呼んで、実際の距離は、{無し|ゼロ}。
この{C|ド}を基準にすると、{E|ミ}までの音程は、{完全|パーフェクト}3度と呼んで、実際の距離は、全音が二つ。
同じく{C|ド}から{F|ファ}までの音程は……そう、{完全|パーフェクト}4度で、正解♪ でもその距離は、全音が三つではなく、{何故|なぜ}か、全音が二つと半音が一つ。
なので、ピアノの鍵盤を見ると、白鍵{C|ド}と白鍵{D|レ}の間は全音なので、その中間の半音の距離のところに、黒鍵がある。
でも、白鍵{E|ミ}と白鍵{F|ファ}の間は半音なので、白鍵{E|ミ}と白鍵{F|ファ}の間には、黒鍵がない。
次に、{若い爺さん|ワカジイ}が持っているアコギを見てみると、ピアノのような白鍵と黒鍵の区別らしきものが、見当たらない。ここでまた、{若爺|ワカジイ}、{曰|いわ}く。
「指板の表面を区切る{金属の突起|フレット}は、すべて半音ごとに{嵌|は}まっている」と。
そのワカジイが{弾|ひ}いていた音楽が、これがまた耳慣れない。{ジャズ|JAZZ}という、舶来音楽だそうだ。JAで始まるからJAPANの音楽かと思ったが、まったくの大外れだった。
さらに、このワカジイが奏でるアコギ、{即|すなわ}ち{楽器だけの演奏|インストルメント}であるが、一般的にというか俺的には、クラシックとか、ジングルベル♪みたいな世界共通的な曲とか、{アニソン|アニメソング}とか{流行歌|ポピュラーソング}みたいな音楽を、思い浮かべる。
だが、このワカジイが奏でている耳慣れないインストは、**{ジャズ|JAZZ}**と名の付いた{聴く人の主観による分類|ジャンル}なのだ。
実際……これ、いいかもーォ♪
《 インドにて、唯識の誕生 》
{弥勒|みろく}、{無著|むじゃく}、{世親|せしん}……この三人によって、唯識は宣言され、提唱された。弥勒の出生は不明だが、無著と世親は、兄弟だ。
先ずは兄の無著が、唯識思想を組織的に体系化し、それを書に{著|あらわ}す。次に、弟の世親が書を著し、「外界には事物は存在しない」という{唯識無境|ゆいしきむきょう}の理を論証した。
しかし、この書には註釈がなく、後年、唯識を学び精通した者が、注釈書を作った。彼らのことを、{論師|ろんじ}と呼ぶ。後に、その唯識の教理を学んでいた{玄奘|げんじょう}が、「{護法|ごほう}の註釈が。正しい」と言い出し、『{成唯識論じょうゆいしきろん}』を訳出する。
この書の成り立ちによって、唯識論は、完成する。
《 中国へ、唯識の伝来 》
さて、この玄奘。『{西遊記|さいゆうき}』の三蔵法師としてのほうが、有名である。インドでの{求法|ぐほう}は、十七年に及び、彼の帰国によって、唯識思想が、中国に{齎|もたら}された。
それから入滅するまでの二十年間、サンスクリット語で書かれた数々の原始仏教の原典の翻訳に努めたが、中でも前述の訳出『成唯識論』は、中国仏教史上、最も画期的な偉業となった。
{斯|か}くして、無著が体系化し、弟の世親が論証し、論師の護法が註釈し、後年それを学んで帰国した翻訳家の玄奘が、それを翻訳して『成唯識論』を著し、ここで、唯識論の中国への伝来が、完結する。
後に、その玄奘の弟子が、師の翻訳の註釈に努めながら、この唯識思想を{基|もと}にして、法相宗を{興|おこ}す。
《 日本へ、唯識の伝来 》
その法相宗が日本に伝来したのは、奈良時代のこと。これが南部(奈良)仏教の一つとなり、次第に勢力を増してゆく。
多くの留学僧が唐に渡ったが、とりわけ第一伝と第四伝を持ち帰った留学僧両名の布教が、よく栄えた。
{因|ちな}みに、第一伝を教理にしたのが{元興寺|がんごうじ}で、これを南寺と呼び、第四伝のほうは{興福寺|こうふくじ}で、これを北寺と呼ぶ。両寺はそれぞれの教義を{以|もっ}て互いに競い、多くの名僧を輩出し、多くの論書を生み出した。
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