#### 然修録「世界に君臨するプレゼンの神様。その原動力は、禅!」 少年サギッチ 少循令{猛牛|もうぎゅう} ####
我が国の*存亡のカギ*は、*プレゼン*にあり。プレゼンは、原始仏教にも通じ、洋の東西を理解で繋ぐ、*偉大なる学問*? ではそれを、どうやって学ぶ?
一つ、学ぶ。
経営哲学の自己啓発といえば、オーストリアのピーター・ファーディナンド・ドラッカー。
驚異のプレゼンといえば、アメリカのスティーブン・ポール・ジョブス。
この二人を{繋|つな}ぐ{言乃葉|ことのは}を、そのドラッカーが、語録に残している。
「最底辺から一段上がったら、しゃべったり書いたりした言葉でどれほど他人に影響を与えられるのか、それが実態としての自分の能力を想定する」
経営哲学と、それを実際に{人前で言葉で提案|プレゼンテーション}することの両者の本質は、無二にして一つでなければならない。それを、この世界的な二人の偉人が、実践によって、証明して見せたのだ。
であれば、オオカミ先輩が、島の子どもたちに心を奪われた発明発想法と、ここにあるプレゼンも、その{神髄|しんずい}であるところの本質は、まったく同じでなければならない……と、いうことにならないだろうか。
ここで、苦言を一つ。
我らヒト種は、経営哲学などといった座学のイメージが強い学問には喜んで興味を示すが、プレゼンといった技能的な行為については、まったく無関心……というよりは{寧|むし}ろ、避けて通っているようにも感じられる。
「{愚|おろ}かだッ!」と、言いたい。
でも……。
プレゼンの技術的な行為とは、どのようなものなのか。
言わずもがな、それは、発言のことだろう。
日本人は、{古|いにしえ}より今現在に到るまで、驚くほどその発言というものに無関心で、{故|ゆえ}に、未だに、めっちゃ!ヘタクソだ。
これは、有り{得|え}ん失態……元い。醜態だ!
その我らが祖先……ニッポン人は、古より、{美徳|バーチュー}を第一とし、それを{理念模範|パラダイム}とし、{論的証拠|エビデンス}を求めながら、公平に国家を{営|いとな}んできた。それが、この国を、「神の国」とか、「霊薬ある国」とか言わしめてきた{所以|ゆえん}だろうと思う。
そんな海洋の中の一国一文明一民族のが、奇跡的に、現代に現存する。そんな古代国家の民たちが、{何故|なにゆえ}に自虐史観を植え付けられてしまい、祖先を{蔑|さげす}み、自国の歴史を恥じるところまで、心を腐らせてしまったのか。
その{訳|わけ}が、我らが祖先、至誠を重んじてきた民のどこかに、{潜|ひそ}み隠れていた{筈|はず}だ。
それは、〈思い考え行動する〉という一連の生の営みの中に、潜んでいた。
{人前で言葉で提案|プレゼンテーション}する能力が、欠けていたのだ。
〈思い考え**行動**する〉では、ダメなのだ。
これを、〈思い考え**言動**する〉に改めなければ、我ら古代人に、未来は無い。
その言動とは……{言乃葉|ことのは}と、{振|ふ}る{舞|ま}いのこと。
奥ゆかしく情のこもった立ち居振る舞いも、言葉で説明しなければ、異文化・異文明の異国の人びとには、伝わらない。
{況|いわん}や! 今や、我が国の文明人たちも、この異国の人びとに、含まれる。言葉で事細かく説明しなければ、{解|わか}り合えないのだ。
余談が過ぎたけど、おれが言いたいのは、{兎|と}にも{角|かく}にも、「この発言力の欠如が、問題なのだッ!」ってことだ。
儒学はもとより、原始仏教の唯識や発明発想法なんかに興味の大半を向けている寺学舎の先輩たちには、この、おれが言う〈プレゼン〉っていうやつに、学問としての価値を感じることは難しいことかもしれない……というか、感じられる道理がないとさえ思う。
でも、ここで一つ、伝えたいことがある。
冒頭で紹介したプレゼンの驚異・巨匠・教祖と目されるスティーブン・ポール・ジョブスは、どうやってその神がかりな発想と発言を、次々と湯水のように生み出してこれたのか。
その答えが、「禅」なのだ。
禅によって発想し、そこに発明発想法をも取り入れ、しかも、そこからが大変な大がかりな編集を、極めて効率的に進めることが可能な〈型〉を独自で構築したことによって、目まぐるしく変容する世間に{悉|ことごと}く呼応……正に驚異の発言を、演じ続けることができたのだ。
ここでまた、{繋|つな}がった。 禅!
その禅とは、ヨガと唯識と原始仏教の中にあり、瞑想と発明発想法の中にもある。なかでも〈ヨガ〉……なるほど、この〈ヨガ〉という言葉が生まれたインドでは、元々「つながり」という意味の言葉だったそうだ。
寺学舎の諸先輩、{美童|ミワラ}の皆みなさま……これでもまだ、〈プレゼン〉に、興味が湧きませんかァ?
それでもおれは、このプレゼンテーションを、学問と{捉|とら}えたい。
その学問とは、{如何|いか}なるものかッ!
《 言動の学とは 》
文字どおり、〈言葉と振る舞い〉を学ぶこと。
その〈言葉と振る舞い〉を修得する目的は、何か。
修得すると、何が出来るようになるというのか。
先ず、簡単に答えよう。
聞く人……その聞き手に、身を乗り出させることができる。
{即|すなわ}ち、おれの一言、一挙動で、君は、あなたは、興味が湧きあがってきてしまうってことだ。
「プレゼンテーションは、学問だ」と言われても、「はーァ?!」という言葉しかでてこないのは、その〈プレゼン〉を、単なる発言、単なる情報の伝達など、それらを、ただ単に提供するためだけの手段……くらいにしか思っていない、{捉|とら}えていないからだ。
では、学問としてのプレゼンの目的とは、何か。
それは、体験を生み出すこと……体験の学。
何を、体験しようというのか。
それは……。
聞き手が、心を動かす。
聞き手の興味が、沸き立つ。
聞き手が、やる気を起こす。
それらを、自らの言動で、{目|ま}の当たりに体験する。
ここで一つ、注意して欲しいことがある。
この体験は、その相手が〈事実、現実、真実を知る〉ことに限定されないということだ。これを、専門用語を使って説明すると……。
〈現実{歪曲|わいきょく}フィールド〉を構築することにもなるので、その自らの言動には充分な至誠を{以|もっ}てして、{余程|よほど}の注意を払うことが必要とされる……と、相成ろうか。
〈現実歪曲フィールド〉というのは、耳慣れない専門用語だ。おれも、知らなかった。辞書で、その意味を調べてみた。
誰もが不可能だと思っていることでも、巧みな話術によって、実現できると納得……信じさせること。
卓越したプレゼンテーション能力のこと。
聴衆の想像力を、かき立てること。
{想像|イマジネーション}の世界に、引き込むこと。
感動させること。
そうした場面や雰囲気のこと。
そして、もう一つ。
スティーブン・ポール・ジョブスのプレゼンの脅威のほどを、表す言葉……それが、現実歪曲フィールドだ。
簡単な言葉で言い換えると、魅力的とか、引力があるとか、心を捉えるとか、カリスマ性があるとか、そんなところかな。
で、それを、どのように学問すればいいのか。
その脅威の発信を、どのようにすれば構築できるのか。
その方法を細かく分析……{或|ある}いは、そうした{類|たぐい}の書に触れ、それを自分の頭の中で分解して、考えて、整理整頓して、自分なりの新たなる〈型〉を構築する。
例えば、そんな類の書に触れただけでも、次のような整理整頓に値する提言を、見つけることができる。
一、メッセージの構築。
二、アイデアの提示。
三、相手の期待を高める。
四、自分の記憶に刻まれた体験の提供。
五、発信した相手を、伝道者に変え、育てる。
{正|まさ}に、言うは{易|やす}しの何とやらだ。
でも、これが本当にできたら、それこそ本当に、{凄|すご}い!
{況|いわん}や! 学問の価値、ここにありだ。
でも、相当な大努力が、{要|い}りそーォ!!
嗚呼……(アセアセ)。
後記として、一つ。
肌には、色の違いがある。
足には、大きさの違いがある。
{身体|からだ}には、{丈|たけ}……高さの違いがある。
でも心には、色の違いも、大きさの違いも、高さの違いも、{違|たが}えるものなど一切、何もない。
これは、素晴らしいことだろう……と、思うおれ♪
{因|ちな}みに、{武童|タケラ}の由来は、その昔、{丈等|たけら}と呼ばれていた狩猟民族の家父長たちだという説を聞かされたことがある。
丈だけでは、現代までは生き延びることができなかったということか、{云々|うんぬん}……{不一|ふいつ}。
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「教学編」朝7時配信……次回へとつづく。
「自伝編」は、教学編の前夜7時に配信です。
_/_/_/ 『息恒循』を学ぶ _/_/_/
その編纂 東亜学纂
その蔵書 東亜学纂学級文庫
その自修 循観院