MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

東亜学纂学級文庫

『息恒循』を学ぶ

一学73 ミワラ〈美童〉の然修録 R3.4.4(日) 朝7時

#### 然修録「{不戯論|ふけろん}のおにいさんが、押して言いたかった事」 学人ムロー 青循令{猫刄|みょうじん} ####

 *八大人覚*を養うために、世を超えて〈今〉にやってきたような、{武童|タケラ}に違いない廃墟のおにいさん。{敢|あ}えて姿を見せて語り合うその世間話の行間に、先人からの強烈な忠言が、秘められている!

 一つ、学ぶ。

 意図あって、陽明先生の生い立ちを改めて読み直して、そのことを書こうと思っていたのだが、オオカミ君の{後裔記|こうえいき}を読んで、気が変わった。

 廃墟に現れた{武童|タケラ}の*おにいさん*の様子の文を読んでいるうちに、おにいさんの言葉が、「{八大人覚|はちだいにんがく}」のお経の響きのように聞こえてきた。
 つい数か月前にも、これに似た体験をした。
 スピアの養祖父として現れた{武童|タケラ}のシンジイの様子の文を読んでいるうちに、シンジイの言葉が、「{六然|りくぜん}」を{唱|とな}えているように聞こえてきた。

 八大人覚の{委細|いさい}は、ここでは置く。
 お{釈迦|しゃか}様が{最期|さいご}に説かれたお経『{遺教経|ゆいきょうぎょう}』に出てくる言葉であり、、道元禅師の最期の説法でもある。
 この八大人覚と、『息恒循』にもある六然は、改めて、じっくりと読んでみたいと思う。

 廃墟の*おにいさん*は、何を言いたかったのだろうか。彼は、余計なことは、絶対に言わない。なので、行間を読まなければならないのだ。俺は、そう思う。
 {何故|なぜ}、そう思うのか。その理由は、{斯|こ}うだ。
 ここで、八大人覚の言葉を借りる。

 おにいさんにとって、あの廃墟の二階の部屋は、{楽寂静|ぎょうじゃくじょう}。
 おにいさんが生きている{現|うつつ}の雑踏・雑音・雑念から離れて、生きていることの有難さを、じっくり、ゆっくりと味わう場所なのだ。
 その目的は、{不忘念|ふもうねん}。
 心を清らかに、心を{穏|おだ}やかにしておれば、その瞬間瞬間の己の命の存在に、気づくことができる。そのためには、{貪|むさぼ}らず、邪心や{猜疑心|さいぎしん}を持たず、決して、純粋な気持ちを忘れてはならない。
 なのでおにいさんは、いつも姿を消して、{不戯論|ふけろん}。
 無意味な議論のために、限りある命を削ったりはしない。
 余計な言葉は、心を乱すだけだ。

 そんなおにいさんが、それを押してまでして姿を現し、何気ない世間話をすると、また直ぐに、{楽寂静|ぎょうじゃくじょう}へと戻ってゆく。
 何が言いたくて、何を解ってほしくて、わざわざこっちの雑踏・雑音・雑念の世の現に姿を見せたのか。しかも、そこでの会話は、{不戯論|ふけろん}。{餅|もち}と餅の行間に、大事な意味が、{餡子|あんこ}餅のアンコのように、ギッシリと詰まっている{筈|はず}……。

      **不戯論のおにいさんの行間を読む**

   《 一に 》
 天国と地獄は、己が{虚空|こくう}の世に映し出した{些細|ささい}な差異の写像……。
 過去の〈この世〉には、地獄よりもっと恐ろしい{現|うつつ}がある。{片|かた}や、天命を知り、学問によって求道し、世のため人のためとなって喜びに包まれるという、天国でも味わえないような至福の現もある。
 くだらない現を虚空の〈この世〉に投影して、己の悲劇を演出したところで、誰が喜んで観賞などしてくれようか。同じ映し出すなら、天国よりも素晴らしい世を映し出す〈芸〉の道を、共に歩まん!

   《 二に 》
 オオカミの言葉、「おれは平時には有り得ない人間」が、有り得ない……。
 平時にあって、{穏|おだ}やかなこの世を有難いと思い、清らかな世でもあって欲しいと願う心すら持てぬ者が乱世に送り込まれて、一体全体、何が出来ようかッ!
 治乱の世にあっては、平時に有り得る人間になりたいと、{皆|みな}が願っている。平時の不届き者を乱世に置けば、ただ食ってクソを{放|ひ}っただけで、すぐにケツ割って逃げ出し、平時の世に逃げ帰ってしまうのがオチだろう。

   《 三に 》
 次は、{何処|どこ}と何処に、振り分けられるのか……。
 百年ごとの大乱の戦火の中に、兵士として送り込まれる者もいるだろう。先に殺されるか先に殺すか、先に裏切られるか先に裏切るか、誰も何も信じられない、地獄の{類|たぐい}の世だ。
 その少し前の時代に振り分けられたならば、まさに「{戈|ほこ}を{止|とど}めさせる」という武の心を武器にして、{怨念|おんねん}に満ちた世間と闘わねばならぬ。
 平時に振り分けられる可能性は、限りなく無に近い。未来に散在する瞬時に過ぎない平時を広げるには、過去の世に{居|い}る我らが、{如何|いか}に武の心を養えるかに掛かっている。

   《 四に 》
 この世とて、過去の{現|うつつ}から振り分けられた結果の地……。
 そんなこんなで、過去の〈この世〉の現に集められた俺たちが、振り分けられた地……それが、今の現を映すこの世という訳だ。
 前世で、世のため人のための運命半ばで、天命を果たせなかったのだとすれば、その分、この世で出直して、改めて大努力せよッ!……と、いうことだ。

 ここに、思う。
 人間は、川の流れのように、楽なほうへと流される。
 人間は、{微温湯|ぬるまゆ}に{浸|つ}かったときのように、楽な環境に身を置いてしまうと、なかなか外に出られなくなってしまう。
 微温湯の家庭、微温湯の学校、微温湯の職場、微温湯の対人関係、微温湯の学問、微温湯の実践……その{挙句|あげく}、{冷|さ}めた思いに、{温|ぬる}い考えに、甘ったれた行動……。
 そもそも、微温湯の中で、修行や学問など出来ようはずもない。
 平時とは、微温湯の{現|うつつ}のことだ。
 「そんな微温湯の現を{吐|ぬ}かすなッ!」と、いうことだ。
 平時は微温湯……人間の心をゆっくりと腐らせる、地獄なのだ。
 微温湯という意味の平時の現から脱出しない限り、心は育たない。未来は無い。どこにも振り分けられない。微温湯の中で、腐って沈んでドロドロになって、{澱|よど}んで{黴菌|バイキン}と化して、この世の虚空に漂い、人の心に臭いだけの{穢|けが}れたバイキンを吸い込ませて、他人の臓器の中で、毒として生き続けるのだ。

 そこで、八大人覚と六然に加えて、陽明先生の絶句!壮絶な生き{様|ざま}も、改めて読み直してみようと思う。

 上流に{留|とど}まり教え、下流で踏ん張り学ぶ……教学。
 先人{先達|せんだつ}から学びたいことは、{湧|わ}き水が{如|ごと}く{枯渇|こかつ}を知らず突いて出てくる。険しい上流の源流の地に留まらなければ、湧いて出て来た清らかな水を、得ることは出来ない。
 後輩たちに教えたいことも、湧き水が如く、突いて出てくる。湧いた水は、{獣道|けものみち}を{水道|みずみち}に変えながら、下流へ下流へと流れ{下|くだ}り、{直|じき}に、地面に沁み込んで消え去ってしまう。
 {茨|イバラ}の獣道で踏ん張らないと、湧いて流れて来た水を得ることは、出来ない。

 ……と、俺は思う。

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「教学編」朝7時配信……次回へとつづく。
「自伝編」は、教学編の前夜7時に配信です。

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