uki ^^/ 然修緑 第2集 第28回
二、 起秋 (5)
門人学年 エセラ {齢|よわい}十三
「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将
然修録は、読書感想文だとずっと思っていた。
でも、然修録を文集に編んだ「息恒循」は、息恒循の伝修録と説明されている。
ということは、然修録はやっぱり「息恒循」の自修帳なのだ。
「息恒循」は、文集の他に、その大本となる指南書というのがある。
僅か数ページのものなんだけれども、それが元々チョンマゲの時代に書かれたものだから、言葉が難しい。
儒学が基になっているから、堅苦しくもある。
しかも、その儒学も陽明学ときているから、ぼくら男族に対しては、めっちゃ厳しいことを書いている……と、ぼくは思う。
陽明学のなかにも、「伝習録」というのがある。
江戸や明治・大正・昭和の子どもたちは、この伝修録を学んでいた。
なので、この伝習録について書いてある本を探して、読んでみた。
伝習録は、王陽明先生の弟子たちが3回に{亘|わた}って編纂し、完成した。
一回目と二回目の編纂で上巻と中巻、三回目の編纂で下巻が出来上がった。
何れも、陽明先生が亡くなってからの編纂だった。
我ら{日|ひ}の{本|もと}の国では、江戸時代に三輪{執斎|しっさい}や佐藤一斉という人たちが、熱心に普及活動をしたそうだ。
幕末・明治維新のころになると、「志士や学者に一番大きな影響を与えたのが『近思録』と『伝習録』だ」と言われるまでになっている。
伝修録の中巻に、「{顧東橋|ことうきょう}に答ふる書」というのがある。
これが俗に言う「抜本塞源論」だ。
顧東橋というのは人の名前で詩人、儒学に関しては、朱子学派の思想を持っていた。
この顧東橋の質問に答え、最後に結論を導き出したものが抜本塞源論だが、これが実に堂々たる文章で、天下の名論と言われ、伝修録の中の傑作として、特に有名なんだそうだ。
その答えと結論は、いつの時代にも通じるものだった。
要約された説明を読んでみると……。
「頽廃・混乱の時勢になると、{徒|いたず}らに枝葉末節に{拘|こだわ}って論じ合っておっても、何にもならない。
それよりも先ず病弊の{由|よ}って来たる根本を抜いて、その源を{塞|ふさ}ぐことを考えねばならぬ」とある。
陽明先生は、そのためにはどうあるべきかを、次のように力説している。
「何が時代の病弊の本源であるかということを、厳しく観察し、議論しなければならない。
結局人間は、人や物という他によって、すなわち他人の{褌|ふんどし}で相撲をとろうというような安易な考えを持ってしまう。
この功利的な考え方を捨てて、かなわずと{雖|いえど}も自分から奮発して、身をもって事に当たるより{外|ほか}にない」
そして最後に、斯う結論づけている。
「{夫|そ}の豪傑の士待つ所無くして興る者に{非|あら}ずんば、吾れ誰と{興|とも}にか望まんや」
この結論の言葉は、「{猶興|ゆうこう}の豪傑」と言ばれている。
他人は如何にもあれ、俺は俺でやるという人物が出て来なければ、到底世の中は救われない……と、伝修録の解説本は結んでいる。
2024.9.15 配信
**^^**--**^^**--**^^**--**^^**
発行 UKI library 卯喜書房