#### 一学ムロー「激動に追い駆けられ、変化を追い駆ける!」然修録 ####
その時代時代に、事実がある。過去に現実に起こったことが、現代の権力者や学者たちにとって都合が悪ければ、その事実は、巧妙に抹消され、歴史から消えてしまう。この現実を知り、*知ったならば*、命懸けで、{同胞|はらから}の後裔たちに、*伝えよ*!
学人学年 ムロー 青循令{猫刄|みょうじん}
一つ、学ぶ。
「迷ったら、動きが多いほうを選ぶ」
……スピア君の後裔記。
「迷ったら、変化が大きいほうを選ぶ」
……ツボネエちゃん♪君の然修録。
共に、よし。
但しそれは、平和ボケ時代{故|ゆえ}の、今どきに限ってのこと。
今は、異常時。
この世の通常は、生きること……{即|すなわ}ち、闘い。
激動が襲い掛かり、激変を余儀なくされる。
迷う暇など、無い。
迷ったら、死ぬ。
迷わずとも、激しく突き動かされ、激しく変えられてしまう。
それが、この世の常。
それが我ら、{青人草|あおひとくさ}の、宿命だ。
宿命は、変えられない。
但し、運命は、変えることができる。
己も、正すことができる。
故に、己の天命も、{格|ただ}すことができる。
そのためには、刻々と自反し、日々格物。
自反と格物に{悖|もと}らず……で、ある。
こんな日常が、当たり前だった時代。
その当たり前を徹底し、{弛|たゆ}まず実践し続けたのが、陽明先生だ。
少し、触れてみたいと思う。
《 闘病と討伐のなかで発明に生きた武将 》
それは、病苦と迫害との闘い。
陽明先生、苦学の末、28歳で進士に及第。
政府の官僚として、土木工事の監督となる。
その秋、出張先の墳墓築造工事の現場で落馬し、胸を強打。
続いて二十代が終わる頃より肺を病み、吐血。
以後終生肺を{患|わずら}い、血を吐き吐き、終始熱があって咳に{咽|むせ}び、正に深刻な闘病生活が始まる。
激動の戦国の世にあっても、さすがにこうなってしまうと、たいていの場合は、どこか{山紫水明|さんしすいめい}の地で、療養をするものだ。
そこで学問をしたり、書を{紡|つむ}いだりというのは、よく耳にする話……。
ところが、陽明先生!
任官のその{劈頭|へきとう}から、しかもその早々から始まった深刻な闘病生活の{最中|さなか}、政府の最高権力者と激突する。
成り上がり者のその男は、非常の度を超えて陰険陰湿で、権力の悪用乱用に、{暇|いとま}がない。
するとこの男、なんと陽明先生を、山紫水明とは疎遠なりし辺境の地に、左遷してしまう。そうなってしまうと普通は、{流謫|るたく}の地で療養生活……と、相成る。
ところが、陽明先生!
何をするかと思えば、その地方の役人連中を集めて、学問を教えはじめた。
更に、自らも命懸けで、思索修養に励む。
そして遂に、確固たる信念と見識を得て、学問によって、自らも修めるに到る。
すると今度は、{何|なん}とまァ! 中央政府に呼び返されてしまうのだ。
ところが、陽明先生!
そこでもまた、自ら発明、自ら修めた学問を、縁ある知人たちに講釈し始めたのだ。
これに、因習的な習わしで権力を保持していた学舎どもが、黙っているはずがない。この上ない反感と、憎悪を招く。
陽明先生の学問に対する{毀誉褒貶|きよほうへん}が、渦を巻く。{即|すなわ}ち、賛否各々の者たちが{対峙|たいじ}緊迫という構図。
それでもまだ{猶|なお}、屈託なく超然として、自ら発明した学問を説き続ける、陽明先生。
この頃より、陰険な権力者や因習的な学者たちに対して反骨を表していた人びとの間で、陽明先生の学問に共鳴する声が、拡がりはじめた。
これが、陽明学の起こりだ。
ところが、次なる悲劇!
無論、権力と因習の乱用悪用で甘い蜜を吸っていた権力者や学者たちは、陽明先生を異端視した。
{挙句|あげく}、疑惑をでっち上げられるなど、陽明先生への迫害工作は、陰険陰湿を極めた。
そして終には、「激戦地で戦って、死ねッ!」と言わんばかりに、土賊が反乱を起こしている地への派遣の命が、下る。
{匪賊|ひぞく}討伐の命……それは、「武装集団と、激突せよ!」と、いうこと。
{床|とこ}に{臥|ふ}した闘病の身の陽明先生、激戦地へと向かう。そして、激闘の{最中|さなか}……またもや陽明先生、弟子を集めて、書を読み聞かせ、学を講じた。
この、絶え間のない努力のうちに、弟子たちは、陽明先生の学問に傾倒してゆく。
すると陽明先生、{俄|にわ}かに激闘を{征|せい}し、討伐の命をも、果たしてしまった。
次、また討伐の命!
辺地に{封|ほう}じられていた者たちが、反乱を起こした。再び陽明先生に、その討伐の命が下る。
すると陽明先生、即旅立ち。迅速にして、{果敢|かかん}な行動。見事な作戦と采配によって、{忽|たちま}ち反乱を鎮定。この、史上{類稀|たぐいまれ}な戦績で、武将としても名を揚げ、その名声は、全国に{轟|とどろ}いた。
すると、また!
中央政府に、呼び戻されてしまう。
無論、権力者や学者たちからの{嫉妬|しっと}、{猜疑|さいぎ}、{羨望|せんぼう}は、度を超え、激しさを増し、あらゆる様々な迫害が、陽明先生に{浴|あ}びせられた。
この絶え間のない{度|たび}重なる窮地から、陽明先生を救った要因……その一つに、陽明先生の学問に敬服した者たちの存在がある。特に、密かに陽明先生と通じていた政府の一部の官僚たちの働きは、大きかった。
すると、今度は!
罷免され、故郷に帰って、貧困闘病生活……。
ここで陽明先生、功利的な屈辱を排除して、気分は悠々自適♪ 故郷にあって、思い存分に自らが発明した学問を講ずる。
すると故郷の人びとは{忽|たちま}ち、陽明先生の学問、その人となり、その功績に、心酔してゆく。
そして、次から次へと、同志が集まってくる。その{噂|うわさ}が、広まる。更に、{益々|ますます}、教化が盛んとなる。
ここに、陽明学は、確率する。
すると、またまた!
内乱の地に派遣の命が下る。
今度は、疫病と熱病が蔓延する地。内乱の鎮定と、匪賊の討伐を、命ぜられる。
{既|すで}にすっかり病床にあった陽明先生。
これには、さすがに従える材料(体力)が無い。
{因|よ}って、誰が読んでも{卒読|そつどく}忍びない陳情書を、政府に{奉|たてまつ}っている。
概ね、以下の通り。
「自分はもう、肺を病んで血を吐いて、始終咳に悩まされ、一度咳き込むと時々気絶して、久しうして辛うじて{蘇|よみがえ}るというような状態である。
とても内乱の鎮定、匪賊討伐など、思いも及ばぬ……{云々|うんぬん}」
その結果、無情にも陳情の甲斐なく、結局、派遣軍司令官としてまたもや、内乱鎮定と匪賊討伐に向かうことと相成ってしまう。
……が、なんと! ここでも陽明先生。再び、歴史的な功績と戦績を挙げてしまう。ここに到って遂に、陽明先生は、各地で神格視され、{崇敬|すうけい}、{仰慕|ぎょうぼ}、{敬慕|けいぼ}の念に、包まれてゆく。
そして、その郷里への帰り{途|みち}……。
{終|つい}に、その生命の炎が尽きる。
陽明先生、五十七歳。
秋の十一月のことだった。
その三年前の陽明先生、五十四歳のとき。
戦地に派遣される直前の概ね一年間を、郷里にて、療養しながらも、講学(学問を研究すること)に励んでいる。
その際、陽明先生は、書簡による問答という形で、自分の所見を、延々と{披瀝|ひれき}している。
その後半が、『{抜本塞源論|ばっぽんそくげんろん}』である。
闘病、迫害、激戦という{艱難辛苦|かんなんしんく}を極めた合間に、よくぞ学問を更に超えた〈学問を研究する〉という講学にまで迫ることができたものぞッ!
今は、異常時。
平和ボケの時代……それが、現実。
この世の常時は、治乱、動乱、戦乱。
これもまた、現実。
二つの、相対する現実。
その片方だけに生きれば、それは、片手落ち。
現実は、過去であれ、今であれ、未来であれ、{相容|あいい}れぬものであれ、事実であるという事実を、受け{容|い}れなければならない。
俺は、そう思う。
_/_/_/ 「後裔記」、「然修録」
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_/_/_/ 『亜種記』
Vol.1 [ ASIN:B08QGGPYJZ ]
_/_/_/ 『息恒循』を学ぶ _/_/_/
その編纂 東亜学纂
その蔵書 東亜学纂学級文庫
その自修 循観院