EF ^^/ 後裔記 第2集 第21回
一、想夏 …… 立命期、最後の一年 (11)
言葉が出ないまま、エセラは、様子を伺っていた。
するとふいに、少女と目が合ってしまった。
暗闇色の無表情の顔の一部が、形を変えたように見えた。
少女が、言った。
「この鏡はね。
大西洋を旅して、次は大陸を横断して、最後に太平洋をひと{跨|また}ぎにして……そう、あたいが生まれるずっと前から、ここにあるのよ。
この鏡はね。
あたいの醜い笑顔を、剥ぎ取ってくれるの。
人間の笑顔がどれほど醜いか、まだあんたには判らないでしょうけどね。
あんたも、自分の姿をこの鏡に映してごらんよ。
醜い笑顔を剥ぎ取った、本当の自分の素顔が映るから。
だから人間たちは、名状し{難|がた}い執念で、世界中の鏡を破壊し続けている。
人間って、ほんと最低。
しかも、面倒臭い。
人間は、どうして本当の自分を見たがらないんだろうねぇ。
まったく、理解できない。
こっちの世の常識が、変なのかな?
あーァ!!
可哀想な少女が、鏡に映ってる。
ただ真面目なだけで、ただ美しいだけだった少女。
それが、いけなかったのかなァ……」
エセラは、恐いもの見たさで、ゆっくりと顔を、鏡のほうに向けた。
それが、ほんの一瞬のことだったのか、長い時間をかけて首を回したのか、後々エセラは、それがどうしても思い出せないのだった。
エセラが鏡のほうに顔を向けたときには、もうどこにも、少女の姿はなかった。
その代わりに、姿見の奥のほうから、聞き覚えのないメロディが流れてきた。
まるで、「さァ、行くのだ。こちらへおいで。旅立つのだ。勇気を出して。ようこそ、こちらの世へ♪」と、語りかけてくるようだった。
エセラは、勇気を振り絞って、鏡の中を覗き込んだ。
すると、姿見全面に、しなやかなワンピースの服だけがが、映し出されていた。
その裾が、大きな扇型を描いて、躍動している。
まるで、曲に合わせてダンスでもしているかのようだった。
姿見の中のワンピースのダンサーが、言った。
「初めて聴いたでしょ?
馴染めない?
この曲。
思ったことを言えばいいんだよ。
あたいに嘘を言ったら、何か得することでもあんのォ?
この曲、こっちの世のいい加減な音楽じゃないんだからね。
ちゃんとした、あんたたちの世の曲なんだから。
『スコットランドの勇者』
あんたが思い浮かべた歌詞、だいたい合ってるけど、ちょっとあんたの臆病な心が、歌詞を変えちゃったところがあるみたいね。
あたい、ケネス・マッケラーが好きなの。
これは、民謡ね。
あんたも、好きになりなさいよォ!
せっかく友達になれたんだから……ねッ♪」
裾を大きく戦がせながら、ワンピースのダンサーが遠ざかってゆく。
まるで、鏡の奥に本当に別の世界があるようだった。
姿見の鏡面が、徐々に暗さを増してゆく。
エセラは、ワンピースを見失わないように、目を凝らした。
すると、鏡の奥から髪の毛が伸びてきて、ワンピースの肩を覆ってしまった。
そして、その黒髪が、暗闇と同化する。
辺りは見渡す限り、暗闇になった。
気づくと、エセラはもう、勝手口の縦板に、手をかけていた。
そして、片引き戸のノブに、もう片方の手を伸ばした。
そのときだった。
背後から、声をかけられた。
「梅子。
だってあんた、訊いたじゃない。
マッケラーさんの名前はもう覚えたから、君の名前を教えてよって。
だから、梅子」
エセラの背中が、優しく微笑んだ。
梅子の目には、そう映ったのだ。
その{所為|せい}なのかどうなのか……『スコットランドの勇者』の旋律が、エセラの背中をポンポンと叩いてくるのだった。
2024.5.6 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂