EF ^^/ 後裔記 第2集 第18回
一、想夏 …… 立命期、最後の一年 (8)
八月。
七月と変わらぬ一日が、始まった。
亜種記に描かれてた{美童|ミワラ}たちは、同じ八月、離島疎開した。
だが、今となっては、疎開したところで安全な島など、どこにもない。
出遅れたカズキチを置き去りにして、エセラは一人、浜辺を出た。
向かった先は、地獄の館。
奥の真っ暗な窓のない部屋から、耳慣れた曲が流れてくる。
浜辺に残されたカズキチは、一の喜家の三姉妹から質問攻めに遭い、律儀にして丁寧に、その一つひとつの質問に答えていた。
「次が、最後の質問だぞッ!」と、カズキチが宣言すると、{間|かん}、{髪|ぱつ}を入れず、めろんが手を挙げた。
そして、にんまりとした、まさにメロンよろしく甘ったるい顔をカズキチに向けて、{斯|こ}う言った。
「恋愛って、なにぃ?」
カズキチは、一瞬頭が真っ白になり、咄嗟に自分のリュックザックに手を突っ込んだ。
そして取り出したのは、一冊のノート。
然修録だ。
寺学舎の座学で恋愛など、学ぶはずもない。
苦し紛れの時間稼ぎだったが、すぐに間がもてなくなってしまった。
そのときだった。
浜辺の彼方に、助け船が見えた。
カズキチが、大声で叫んだ。
「花子ばーァ!!
こっちだよ、こっちーぃ!!」
花子ばァばの面倒臭そうな顔が、徐々に近づいてくる。
「花子ばァばって、いつもいいところに来るよなァ……」と、カズキチが独り言ちるのを聞いためろんが、ギッ!っと目を細めてカズキチを{睨|にら}んだ。
カズキチの頭の中で、逃げ出す口実の数々が、ふつふつと湧き出してくる。
めろんが、カズキチに向けた鋭い視線を花子ばァばに向け直し、満面の笑顔を作って言った。
「ねぇ、ばァば。
恋愛って、なにぃ?」
ばァばが、{微|かす}かに顔を赤らめたような、照れ笑いのようでもある微妙な表情を見せながら、そのまま砂浜に、ばァば得意のベベチャンコ座りをした。
妙に、{畏|かしこ}まった感じに映る。
ばァば、少し考えて、姿勢を正して言った。
「どんな男の子に恋をするかは、あんたたちの人格と密接に関係しとんよねぇ。
わけわからんじゃろーォ??
自分の人格相応の男に恋をするいうことよねぇ。
すなわち、どういうことだい?
人間というものは、誰を好きになるかによって、自分を{曝|さら}け出すってことさ」
「怖ァ!」と、ほのみ。
「カズキチーィ。
もう行っていいから。
用無し。
以上」と、えみみ。
「ねぇ、ばァばァ。
ジンカクって、なにぃ?」と、めろんのその言葉を背中で聞きながら、カズキチは、寺学舎を目指した。
地獄の館の前まで来ると、(あいつ、居るんだろうなッ!)と思いながら、そのまま朽ちて黒ずんだ平屋の前を素通りした。
エセラは、台所の壁沿いのすぐ奥にある部屋に腰を下ろした。
窓を{塞|ふさ}いだ板の節抜けした穴から洩れた光の放射が、いつものように無数の塵を照らしている。
妙にキラキラとして、つい見入ってしまった。
ふと気づいたことに、いつもの蛍の光の音楽が、鳴りやんでいた。
(蛍の光が好きでいつも聴いてるような怖ろしい悪霊なんて、{居|い}るわけないよなァ♪)
何気なくそんなことを思いながら、エセラは、窓のない真っ暗な奥の部屋の方を見遣った。
そのときだった。
「ちゃんと聴いてよねぇ。
蛍の光じゃないでしょ?
『オールド・ラング・サイン』だよ」
エセラは、思わず立ち上がった……つもりだったが、実際は、畳の上に四つん這いになって固まっていた。
声は、例の奥の真っ暗な部屋のほうから聞こえてくる。
間違いない。
どうしようか。
進むか、このまま頭を抱えて遣り過ごすか、はたまた速攻で逃げ出すか!
(そう言えば、亜種記に書いてたよな。
離島疎開した{美童|ミワラ}の誰かが、「赤ちゃんのころ、はいはいしなかった」って。
ぼくも、はいはいしなかったのかなァ。
なんで今、そんなこと思い出すんだか!)
やっぱり、はいはいの経験がないのか、エセラは、{匍匐|ほふく}して進みだした。
(何か、声をかけなきゃ!)
一時間、二時間、いや、もっと長い時間が、無の中で過ぎて行った。
そしてやっと、エセラが声を絞り出した。
「あッ。
あのォ。
誰の曲ぅ?」
声の主が、答えた。
「ケネス・マッケラー」
「ふーぅん」と、エセラ。
「スコットランドの民謡」と、声の主。
「ふーぅん」と、エセラ。
「無理してこっちに這ってこなくてもいいのにぃ」と、声の主。
「無理ってぇ?」と、エセラ。
「あんた、人間嫌いなんだろォ?」と、声の主。
「死んでるんでしょ?
だったら、大丈夫かもォ」と、エセラ。
「普通、逆じゃない?」と、声の主。
「そうなん?」と、エセラ。
「さァ。
でも、あたいも、あんたのこと大丈夫みたい」と、声の主。
「大丈夫ってぇ?」と、エセラ。
「食欲湧かないからァ♪」と、声の主。
「えッ!」と、エセラ絶句。
蛍の光……元い。
オールド・ラング・サインの曲に合わせて、薄気味悪いながらも快活な笑い声が流れてくる。
エセラは、開けてはならない扉を開けてしまったような、何かとんでもないことをしてしまったような不安に襲われ、口をパクパクさせるだけで、何も言葉にはならなかった。
2024.4.14 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂