EF ^^/ 後裔記 第2集 第19回
一、想夏 …… 立命期、最後の一年 (9)
少女に思えたその声は、確信に変わっていた。
暗闇とほとんど同じ色で、ぼんやりと何かが見える。
肝臓を輪切りにしたような、{歪|いびつ}な形をした学習用の座卓。
その左横には、姿見の大きな一面鏡。
(母さんが使っていた鏡と、なんだか似てるな)と、エセラは何気に思った。
何かを思い出すことはできても、何かを記憶に残そうという気にはなれなかった。
この世に存在しない少女のシルエットが、肝臓机の下から何かを引っ張り出した。
一冊の帳面だ。
表紙は、ボロボロ。
(彼女も、{美童|ミワラ}だったんだろうな。
だったら、後裔記か然修録かもしれない)と、またエセラは、ふと思った。
少女は、そのまま机の前にベベチャンコ座りをして、帳面を開き、机の上に置いてあった鉛筆を持った。
黙って見ていると、少女はエセラのことなど気にもかけない様子で、何やら一心不乱に鉛筆を走らせはじめた。
どれだけの時間が経ったのだろうか。
少女は、チラッと姿見に映る自分のシルエットを見遣ると、また下を向いて黙々と鉛筆を走らせた。
エセラが、恐る恐る、四つん這いで近づく。
暗闇色の帳面に真っ黒い鉛筆で描かれた黒い何かが、ぼんやりと見える。
それは、黒い髪の毛を黒いワンピースの丸首の襟に垂らした少女の姿だった。
すべてがしなやかな線で描かれているのに、なぜか顔だけは皺くちゃで、まるで百五十歳の老婆のようだった。
少女が、ベベチャンコ座りのまま、エセラの方に向き直った。
鉛筆を走らせはじめたときに比べると、その姿が少しははっきりと見えるようになっていた。
少女が、言った。
「{歪曲|わいきょく}いう言葉、もう{習|なろ}うたァ?」
「……?」
エセラの記憶に、記録なし。
なぜか、少女が頷いた……ように見えた。
そして、言った。
「うちねぇ、見た通りを見れんのんよォ。
不便じゃろッ?
見えるんは、うちの頭に浮かんだ映像だけ。
心が{荒|すさ}んどるときは、ぜんぶが荒んで見える。
今、ぼっけーぇ荒んどるんよォ。
あんたの顔、描いたぎょうかァ?
遠慮せんでええけぇ。
なァ、描かしてーぇやあ!」
(言葉にしなくても、解るんだよね)と、心の中で訊いてみた。
少女が、また頷いた。
エセラは、今度は声を出して、訊いてみた。
「ねぇ。
十字架も、見えないのォ?」
「十字架?
どこにそうなもんがあるん?」と、薄暗い少女。
「君の胸」と、エセラ。
「うちのムネ肉を見よったん?
ドスケベエ!」と、薄暗く少々憎たらしい少女はそう言うなり、また肝臓机のほうに向き直り、黒い鉛筆を走らせはじめた。
(また、長い時間がはじまっちゃった!)と、エセラは思った。
……が、そのとき、少女が矢庭に、開いている{頁|ページ}をエセラの目の前に差し出した。
胸に、何かを描き足したようだった。
やっぱり黒く、ただグルグルに書き殴っただけのように見える。
その何かが、徐々に十字の形を為してゆく。
不思議な光景だった。
すると、その十字が、今度はみるみる鮮血色に変わっていった。
そして、パチンと{弾|はじ}けた。
ところが、弾けたのは、その十字ではなかった。
一輪の小さな血で描かれたような花……その真っ赤な花びらが、四方に飛び散っていた。
(何を思い浮かべたら、こんなことになるんだろう)と、エセラは思った。
少女が、また頷いた。
そして、言った。
「疲れたじゃろッ?
うちも疲れたけぇ、一緒に楽になろうやァ」
エセラは、思わずギクッ!として、背筋に何か冷たいものを感じた。
また、少女が言った。
「違うよォねぇ。
誰が一緒に死のうやァ言うたんよねぇ。
第一、うちはもう死んどるし。
一緒には死ねんじゃろッ?
死ぬんなら、おにいさんだけじゃけぇ。
怖がること、なんにんも無かろッ?
ほんで、どうするん?
死ぬ?」
(ぼくは、殺される……)と、エセラは確信すると、歯を食い縛った。
2024.4.21 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂