EF ^^/ 後裔記 第2集 第11回
一、想夏 立命期、最後の一年 (1)
毎年、そして毎日も、律儀に何かが消えてゆく。
海水浴場の看板、鳥や魚や貝たち、漁船に桟橋に港の市場、カントダキ屋、イルモン屋……。
カントダキ屋で「関東炊き」と呼ばれていたおでんは、実に美味しかったし、イルモン屋も、駄菓子とか乾電池とか、絶妙に{要|い}るもんがそれなりに置いてあって、それはそれで便利だった。
そんななかで、まだある存在たち……。
墓場の数だけあるお寺、日焼けした子どもたちが少々、灰色に{渇|かわ}いた平屋、すべての存在を迷惑そうに射ているような有害な{眩|まぶ}しさ、益々{廃|すた}れゆく{獣道|けものみち}、荒れた小さな庭と乾いた{薔薇|バラ}の花と雑草に埋もれた鉄平石、{朽|く}ちたゴムタイヤのアスレチック遊具、その古タイヤをベンチ代わりにして動かない老人たちが少々、昼間でも暗闇の森、廃棄物集積所と化した生{温|ぬる}い海、ゲリラ豪雨と豪雪を繰り返す未慈悲な空。
寺学舎のある港町と、その西隣りで依然ひっそりと{佇|たたず}まっている浦町は、今も昔も、大きく変わったところはない。
相変わらず、狭いメイン通りの両側にある民家や町工場が、港町のほうは並んでいて、浦町のほうは点在している。
少女が、港の広場に昆布を敷いて、その両側にジャガイモとショウガを並べて遊んでいた。
浦町こっこと呼ぶままごとだそうだ。
港町も、浦町も、{余所|よそ}者を受け{容|い}れる空き家には困らなかったが、働き口がない。
ただ、この町で産まれた者が、この町の墓石の下に戻ってゆくだけのことだ。
エセラの父が姿を消してから、もう八年が経つ。
最後に産まれた次男のトモキは、父親を知らない。
長女のほのみが{微|かす}かに覚えているくらいで、次女のえみみも、三女のめろんも、父親の記憶はほとんどない。
そんなわけで、一の{喜|き}家は、母ゆか里と五人の子どもたちの六人家族だ。
父親は婿入りなので、一の喜の姓は、母方の名字だ。
そこに、祖母の花子ばァばが、時おり顔を覗かせる。
花子ばァばは、ゆか里の実母だ。
相変わらず、花子ばァばの差し入れは、おはぎが多かった。
エセラは、この想夏で、十三歳になった。
{美童|ミワラ}たちの誕生日は、みな同じ。
想夏の初日、八月一日だ。
エセラは、十三歳になると同時に、学徒学年から門人学年に進級した。
これから一年以内に、{仕来|しきた}りの旅を終わらせなければならない。
それは、自由を与えられたことに他ならないのだが、それゆえにエセラは、背後から追い駆けて来る自由と、{腸|はらわた}に重く{伸|の}しかかる自由に、正直、疲弊する思いで日々を過ごしていた。
ある日、エセラは、己の勇気に問いかけてみた。
「ぼくのこと、嫌いなの?」
勇気は、何も応えてはくれなかった。
ある日、台所で母を見つけた。
そこで、母に訊いた。
「ぼくって、馬鹿だと思う?」
キョトンとした目でエセラの顔を見返した母ゆか里は、そう言った本人のエセラもキョトンとした目をしていることに気づいて、思わず失笑した。
すると、エセラが続けて言った。
「あのね、勇気は、ぼくのことが嫌いなんだ。
かあさんも、ぼくのこと、嫌い?」
母ゆか里が、応えて言った。
「かあさんが嫌いなのは、ダイエットを邪魔するやつだけさ」
「ダイエットって、ぼくら、{肥|ふと}るようなもん、食べてないじゃん」と、エセラ。
「ばァばが、いつも持ってくるだろッ?
……おはぎ」と、ゆか里。
「禁おはぎだったの?
おかあさん。
知らなかった。
いつも美味しそうに食べてるから……」と、エセラ。
「あんたたちがお腹の中に居るときはさァ、肥満は胎児に遺伝するからって、頼んでも持ってきてくれなかったんだよ。
お互い、その反動っていうかさァ。
おまえたちが産まれると、待ってましたーァ!!って言わんばかりに、繁々と持ってきてくれるんだわァ。
で、さァ。
かあさんもさ、嫌いじゃないからさァ、おはぎ。
しかも、ばァばのおはぎって、ハンパないじゃん。
あの美味しさったら……。
だからさァ、ついつい食べ過ぎちゃうのさ。
悪いのは、ばァばだよ」と、ゆか里。
「ふーん。
だから、ダイエット?
かあさんが肥ってるところ、見たことないけど。
ダイエットしてるから?
てか、なんでダイエットしよう思うたん?」と、エセラ。
「嗚呼、やっぱり……」と、ゆか里。
「何がァ?」と、エセラ。
「油断しとったら、またやられてしもうたじゃないねぇ!
あんたの{面倒|めんど}っちい質問攻めに巻き込まれることよねぇ!」と、ゆか里。
母の唇は{歪|ゆが}んでへの字を描いていたが、目は笑っていた。
ゆか里のダイエットの{経緯|いきさつ}……。
浦町から東も東、大きな川を渡ったところに平野が拡がり、文明の町がある。
文明{民族|エスノ}が住まっている。
そこに、エセラの叔母の家族が住んでいる。
はな美……ゆか里の妹だ。
家父長の山田{青竜|しょうたつ}、一人息子の{陽洋|ようよう}の三人家族だ。
はな美は自然{民族|エスノ}の{武童|タケラ}、青竜は和の{民族|エスノ}、その二人の間に産まれ陽洋は、事情あって和の{民族|エスノ}となる。
元来心配性の花子ばァば、何かにつけて、いそいそせっせと、はな美の住まいまで足を運んでいた。
おはぎが、その*何かに*に一役買ってたことは、言うまでもない。
昨今、大人でも、おいそれと文明の町に足を踏み入れれば、命取りとなる。
それが、数年前までは、失命に迫られるほどの危険はなかったのだ。
ある日、ゆか里は、花子ばァばに誘われて、かばん持ちならぬ、おはぎ持ちの役を担って、妹はな美の住まいを訪ねた。
その時に見た妹はな美の姿が、衝撃的だった。
「何をぶくぶく{肥|ふと}っとんねぇ!
あんた、任務忘れたんねぇ!
ぼーれぇ、肥っとるじゃないねぇ!
えーかげんにせんとォ、なんぼ妹じゃいうても、ブチくらわすでぇ!
かあさんもかあさんよねぇ。
おはぎばァ持ってくるけぇ、ぶくぶくぶくぶく、ぶくぶくぶくぶく肥るんよねぇ。
ちーたァ考えんさいやァ、あんたらァ!」
……と、ゆか里。
「まァ……まァまァ」と、恐る恐るなだめる花子ばァば。
無言……落ち込む妹、はな美。
まあ、そんなこんなの経緯で、妹を反面教師にしたゆか里が、自主的にダイエットを始めたというわけだ。
台所でゆか里とエセラが立ち話をしていると、防空壕跡に沿った通路を除いてはこの家に一間しかない部屋……八畳の間から、ぞろぞろと子どもたちが這い出て来た。
腹が{空|す}くと、動き出すのだ。
一番、長女ほのみ、十一歳。
二番、次女えみみ、十歳。
三番、三女めろん、八歳。
四番、次男トモキ、七歳。
以上、まるで整列登校。
班長のほのみが言った。
「今日は、おはぎ{来|こ}んのん?」
「おはぎじゃないでしょ?
花子ばァばでしょ?」とゆか里。
「そうとも言う」と、トモキ。
この時代、言うなれば、乱世の武家屋敷のひとコマ……であることは、紛れもない事実なのではあったが……。
2024.2.25 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂