#### マザメの{然修録|136}【1】座学「{武童|タケラ}の直観」【2】息恒循〈一循の{猶|ゆう}〉少年/少女候補予定者 ####
{会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。
学徒学年 **マザメ** 少循令{悪狼|あくろう}
【1】座学
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武童の直観
人類必定の宿命……百年ごとの大動乱。
次の大動乱が終息するのは……皇紀二七〇五年。
あと……二十三年。
あたいは……{格循令|かくじゅんれい}{飛龍|ひりゅう}?
{則|すなわ}ち……齢三十五。
{武童|タケラ}たちは、{斯|こ}う言う。
「もう、止められない。
来たる亜種動乱は、その前哨戦に過ぎない。
その百年後の文然の乱で、ヒト種は崩壊する。
更にその百年後の亜族の変で、この世とあの世の様々な種が争う。
ヒト種は、数ある種の中で、一介の種に過ぎん。
しかも我らは、その一介の枝葉に過ぎん。
その一介の枝葉が、二百二十三年後に、如何にして後裔を残すか。
答えは、一つ。
敵にしてはならぬ妖怪を、知れ。
もう、あと、二百年しかない。
高々数十年後の結果など、最早{計|はか}る価値無し。
{何故|なぜ}なら、既に百年以上も前に、決まってしまっているからだ」
高い知能を持って人間を驚かせた動物たちについて、読書してみた。
古代エジプトの神々の時代の動物たちに馴染みのないあたいら{日|ひ}の{本|もと}の国の{子等|こら}でも、ウォールト・ディズニーの漫画映画に出てくる愛らしくて勇ましくてとっても個性的な動物たちには、馴れ親しんでいる……大概の場合だけれど。
それが、世界中のどこであれ、悠久の歴史の中のいつであれ、人間は、動物や妖怪たちと、神話や民話をはじめとした様々な伝説のなかで、密接にして強烈……しかも複雑な関係を、築いてきた。
何故、複雑なのか?
動物や妖怪たちが、各々名札を付けている{訳|わけ}でもなく、各々に共通している性格によって大まかに分類できている訳でもないからだ。例えば、ギリシャ神話やヨーロッパ民話では、狼は、魔性の存在として描かれている。ところが、北米のインディアンの神話だと、この地球上全世界の慈悲深き創造主ということになっている。
実は、この魔性と慈悲深さは、一つの個体の中に、共存している。その両極端な二枚の面が、交わることなく平行するとき、それらの動物や妖怪のことを、「いたずら者」と呼ぶ。これを人間に{譬|たと}えるなら、抑圧されていない、*本能的な子供っぽい性格*ということになる。
もし抑圧されていたならば、夢の中で、目覚めているときに守らなければならないと決めつけられていることをすべて無視して、自分の欲求を満たしているものなのだ。それは、アメリカやアフリカの黒人民話に出てくる『{兎兄さん|ブレア・ラビット}』に、{上手|うま}く譬えられているそうだ。肉体的な欲求が生じれば、その手段や方法は、「道徳性など、お構いなし!」ってことだ。
いたずら者の動物……例えば、ワーナー・ブラザーズの漫画映画に出てくる悪魔的なのに見事におどけた{悪戯|いたずら}を{魅|み}せて観客を笑わせるバックス・バニーがそうだ。それら漫画映画の主人公の動物たちにしても、{魔神|デモン}にしても、動物神や動物霊にしても、神話や物語に出てくる動物たちにしても、共通して言えることが、一つある。
……その動物たちがみな、人間的性格を、見事に正確に再現しているということだ。
彼ら彼女たちは、皆、よく{喋|しゃべ}る。人間を愛し、恋をし、憎み、完全犯罪に挑む。実に、人間臭い。人間が創り出したものなのだから、人間臭くて当然だ。人間が、{魂|アニマ}を注ぎ込んだのだ。人間との違いは、肉体の形や大きさだけで、性格や思考は、人間と何一つ変わらない。それは、動物だけに限ったことではない。植物や、生きものとは言えない石でさえも、魂を持って、巧みに喋る。
それらの喋るはずもない者や無機質な*モノ*たちは、大概の場合、妖精や天使や神々の化身であったりする。それだけ人間は、狩猟や農耕を通じて、動物たちと重なり合い覆い被さるようにして、密接な関係を築いてきたのだ。妖怪も、妖精も、天使も、悪魔も、人間とそれそこ相応に関り、交わり合うなかで互いに{某|なにがし}かの変化が起こったからこそ、あたいらの世の中に予告なく飛び出してきたのだ。
その妖怪と、あたいらは、本当に、戦うことになるのだろうか。だとしたら、なるほど確かに、「敵を、それが敵となる前に、よく知れ!」だ。何が起こっても不思議ではない世の中が、始まろうとしている。それだけは、確かだ。
悲しいかな……。
【2】息恒循
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〈一循の猶〉少年/少女候補予定者
《生涯》{則|すなわ}ち{天命|てんめい}の〈前期〉である{立命期|りつめいき}の〈一の循〉を、{幼循令|ようじゅんれい}と言う。幼循令は、立命期の前半でもあり、零歳から六歳までの七年間を指す。
その幼循令の前半、零歳から三歳までの四年間を、少年/少女学年の*候補の予定者*と称す。寺学舎就学前の{美童|ミワラ}各自に与えられた自修の努めであり、日々〈敬〉と〈恥〉を希求するものなり。
天地人間が創造されて、{此処|ここ}……この世に万物が現れる。そのそれぞれを区別するために、〈名〉というものが付けられる。これを、命名と言う。それが、人間の子供である場合、その名に、人の道として{斯|か}くあるべき{某|なにがし}かの絶対的な意味を持たせる。それが、命名である。
命名されたその子供は、自分の名前の真の意味を知らなければならない。例えば、『書経』から言葉を取って命名して{貰|もら}ったのであれば、その書経に載っている元の文言の意味を、知らねばならぬ。
例えば、次の様な文言から取って、命名して貰ったものとしよう。
「人心{惟|こ}れ危うく、道心惟れ微なり。惟れ精惟れ一、{允|まこと}に{厥|そ}の中を執れ」
先ずは、この文言の意味を知ること……。
「欲にくらみがちな人心に従うことは危うい。道義の心は、その欲心のために覆い隠されがちなので、{微|かす}かにして、見{難|がた}い。{因|よ}って、人心が危うき事態に{陥|おちい}らないように、道心を明らかにするため、常に専心して事に当たらねばならない。人として、詳しくこの事を察し、専一にして雑念を去り、天から授かった{中庸|ちゅうよう}の道を歩むことに努めなければなたない」
次に、この文言の中から、〈精〉と〈一〉を取って命名して貰ったものだとすれば、その二語の意味を、知らねばならぬ。
精は、{鈍化する|purify}こと。一は、{単純化する|simplify}こと。則ち、いろいろな{矛盾|むじゅん}や相対、様々な{相剋|そうこく}や{対峙|たいじ}を排除し、まったく新たなるものを創造してゆくこと。精と一、どちらが欠けても、人として歩むべき道の意味とはならないのである。
人間を始めるにあたり、先ずは、その人間の意義を求めなければならない。その解答は、「敬する心を持つこと」である。人は、低い位置に留まらず、限りなく高く大きい{尊|とうと}いものを求め続けなければならない。そこに生じる情動が、〈敬の心〉である。
この敬の心が発育すれば、心が低い位置に{居|い}る己の現実を、素直に{顧|かえり}みることが出来る。するとそこで、(恥ずかしい……)という想いが心に湧き起こってくるというものだ。
フィヒテの児童教育に{於|お}ける名言……。
「子供は家にあって愛だけで育つと思ったら大間違いで、愛と同様に敬を求める。従って、愛の対象を母に、敬の対象を父に求めているものである」
幼循令の前半……零歳から三歳までの四年間、これに努め、敬する心を発達させ、それによってのみ、貴重な〈恥〉を知ることが出来るのだ。
(Ver.2,Rev.0)
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_/ 3 /_/ 然修録 第1集の子どもたち
寺学舎 美童(ミワラ) ムロー学級8名
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未来の子どもたちのために、
成功するための神話を残したい……
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