EF ^^/ 後裔記 第2集 第15回
一、想夏 …… 立命期、最後の一年 (5)
その夜、妹たちとトモキは、早々にガースカ就寝。
母のゆか里は{胡坐|あぐら}、エセラはその前で静座である。
母、俄かに語りだす。
「何度も言わないから、辛抱してお聴き。
ほのみやえみみは未だしも、めろんやトモキを外に置き去りにするのはダメです。
おまえは、トモキとめろんの父親代わりなんだからね。
思い出してごらんよ。
おまえが七歳や八歳だったころのこと。
そのころってさ。
風邪やインフルエンザなんかより、もっと感染し易いものがあるんだ。
恐れや怒り、憎しみや{怨|うら}み、冷酷さや残忍さ。
自分が好かれてるか嫌われてるか、それを知るたんめに必死なんだよ。
その時分の{子等|こら}は、まさに{対心一処|たいしんいっしょ}の芽生え、{不事不通|ぶじふつう}を可能にする、恐るべき能力者なのさ。
なんにでも、惜しみも{躊躇|ためら}いもなく、魂を入れてくる。
そこで、いろんなことに気づく。
気づけば、「なぜ?」「どうして?」がはじまる。
その答えを得るためなら、どんな行動にでも出る。
子どもたちってさァ。
小さな毛織の帽子の端から毛糸を引っ張り出してスルスルっと解いていくみたいに、疑問も不思議も不可思議も、なんだって、その真相を簡単に見抜いてしまうんだよ。
しかも、ご飯を食べるかのように、無意識にさ。
それを、飽くでもなく疲れるでもなく、繰り返し繰り返し、やってのける。
その度ごとに、家族や社会の中での自分の立ち位置を確認しては、しっかりと記憶の中に収めてゆく。
そんな中で、自分が好きな人の精神状態には、特に敏感なのさ。
だから、傷つき易く、過剰にも反応してしまう。
でもさ。
子どもたちの本当の恐さ、知ってるかい?
あの子たちってさァ。
疑問に思ったことや不思議に感じたことは、しきりに訊いてくるだろッ?
でも、誰から何を見抜いたかは、何も言わない。
訊いてみたところで、何も教えちゃあくれない。
特に男の子は、自分の父親から、自分の将来を見抜くんだ。
だから、男の子の父親は、気が抜けない。
良心、霊性、魂を揺さぶって、本音や正体を、えぐり出そうとするんだからねぇ。
本当はさァ。
あの子たちに言葉で何を言っても無駄、無意味、ただ{虚|むな}しいだけなのさ。
ただ、見られてるだけ。
だから、おまえも、見られるのさ。
トモキからねぇ」
母の話は、そこで終わった。
エセラの父親が突然居なくなったように、エセラも、間もなく{仕来|しきた}りの旅に出ることだろう。
一の喜家から、また父親が消えるのだ。
自然の一部、人間も動物なんだから、親と早くに別れることなんて、珍しくもなんともないことじゃないかと、エセラはそんなことを思いながら、夏のものとも秋のものとも判らぬ虫の声が、次第に意識から遠退いていくのだった。
次の日、エセラは、カズキチを浜辺で待たせ、めろんとトモキを家まで送り届けてから、カズキチと二人で、寺学舎までの田舎道を歩いた。
砂浜、港の広場の{砂利|ジャリ}道、不陸な古いアスファルトの道路。
雨の日には、広場にも道路にも、無数に水たまりができる。
「ニュース、あるぅ?」と、エセラ。
「臨時ニュースを、お伝えします。
今、世界中のどこかで、誰かが死にました」と、カズキチ。
「おまえってさァ。
なんのために生きてるんだァ?」と、エセラ。
「痛いを回避するため。
おまえ、痛いの、好きなのかァ?」と、カズキチ。
「好きなら、とっくの昔に死んでるよ」と、エセラ。
「そっかァ。
死ぬのも、痛いんだもんな。
こりゃ当分、死ねそうもないなッ!」と、カズキチ。
「痛くない死に方を求めるために、おまえは生きてるのかァ?」と、エセラ。
「宇宙人や幽霊を探す人生より、よっぽどマシだろォ?」と、カズキチ。
「どういうことォ?」と、エセラ。
「あるかないかも判らないようなもんを探す人生なんて、おれは御免だね」と、カズキチ。
「人間は、何かを隠すために生きてるんだと思う」と、エセラ。
「だったら、生まれてこなきゃいいじゃん。
生まれてこなきゃ隠すもんもないから、手間が省けるじゃん!」と、カズキチ。
「一理あるけど」と、エセラ。
「理は、一つだ。
一理あるんなら、それで終わりだ」と、カズキチ。
「幽霊って、{居|い}ると思う?」と、エセラ。
太陽が頭上から背後へ回り、背後の港は、姿を隠した。
狭い道路の脇には、古い民家が軒を連ねている。
カズキチが、言った。
「おまえは、Aを殺した。
おれは、Bを殺した。
でも、おれもおまえも、刑務所には入らなかった。
なんでか、判るかァ?」
二人は、狭い車道のど真ん中を歩いている。
古びた平屋の間から、時おり、老いた人間の背中が見える。
カズキチが、続けた。
「Aはおまえで、Bはおれだ。
おまえもおれも、自分を殺したんだ。
自分を殺しただけなんだから、刑務所にぶち込まれる心配はない。
大事に思えないってことは、殺したも同然さ」
二人は、地獄の{館|やかた}の前に差し掛かった。
子どもたちはみんな、その平屋のことを、そう呼んでいる。
この平屋より古そうな家は、エセラもカズキチも、思い当たるところがなかった。
カズキチが、立ち止まって行った。
「男はみんな、地獄行きさ。
後悔、{懺悔|ざんげ}、仕舞いには、己を殺して地獄へ{堕|お}ちる」
「知命もまだなのに、もう地獄におちるんかァ?」と、エセラ。
二人は、地獄の館の前に立ちすくんだ。
「イザナミの母神様が居るのかなァ、あの中」と、カズキチ。
「母が地獄で、娘は空の上で、息子は海の上で遊び{惚|ほう}けてる。
変な家族だよな、神様んちって」と、エセラ。
「神様の家族も、父さんは行方知れずかァ?」と、カズキチ。
「知らないよ。
訊いてみようよ、母神に」と、エセラ。
「はーァ?
おれ、パス。
どうしても行くって言うんなら、おれ、見張りやっといてやるよ」と、カズキチ。
「好きにすればいいよ」と、エセラは言って、するりとカズキチに背を向けた。
2024.3.23 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂