#### サギッチの座学日誌「思考の実態は、行動の中にのみある!」{然修録|111} ####
『熟考、熟考、考え抜く! それは、正しいのか』
《考え過ぎは、パーキングブレーキ。いつまで{経|た}っても、発車などできない》
《人間は、考える{葦|あし}であるが、足がない》
《人間は、動物。動物は、{獣|けもの}。獣にあるのは、〈今〉と〈{此処|ここ}〉だけ》
《{身体|からだ}が元気じゃないのに、気力を保っている人は、いっぱい{居|い}る。身体が元気なのに、気力を保てない人も、たくさん{居|お}る》
少年学年 サギッチ 少循令{猛牛|もうぎゅう}
{会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。
**{主題と題材と動機|モチーフ}**
《 {主題|テーマ} 》
熟考、熟考、考え抜く! それは、正しいのか。
《 その{題材|サブジェクト} 》
考え過ぎは、パーキングブレーキ。いつまで経っても、発車などできない。
人間は、考える葦であるが、足がない!
人間は、動物。動物は、獣。獣にあるのは、〈今〉と〈此処〉だけ。
身体が元気じゃないのに、気力を保っている人は、いっぱい居る。身体が元気なのに、気力を保てない人も、たくさん居る。
《 この主題と題材を選んだ{動機|モーティブ} 》
スピアの然修録。相変わらず、小難しい。
言い換える。考え過ぎだ。
そもそもスピア{等|ら}座森屋一族は、考えすぎる血筋なのだ。
対して、おれら{鷺|さぎ}助屋一族は、直ぐに、行動に移る。考えは、最小限。それこそが、ほどほどというものだ。{何故|なぜ}なら、思考の実態は、行動の中にのみあるからだ。
**題材の{講釈|レクチャー}**
《 考え過ぎは、パーキングブレーキ。いつまで経っても、発車などできない 》
今どきの人間、特に平和ボケ時代の亜種、文明{民族|エスノ}は、一つに考え過ぎることが、退化を加速させた大きな原因なんじゃないかと思う。
何故なら、考えるだけで解決できる問題なんて、一つも無いからだ。考えるだけなら、電信柱にだって、出来る。問題を解決するためには、どうしても、行動しなければならない。
一瞬の考えは、ブレーキとなって、機転と方向転換により危うい場面で、役に立つ。でも、いつまでも止まって動かずに考えていると、それは、同じブレーキでも、パーキングブレーキのほうだ。
{傍|はた}から観ると、迷惑な故障車でしかない。{挙句|あげく}、渋滞を、引き起こす。
善の教えに、こんなのがあるそうだ。
「行ずれば証しはそのうちに。行ぜずして証しは{得|う}ることなし」
江戸から明治の時代……*行動*が、国難を救った。そして、その行動の習慣は、そのまま残った。
ところが、心の学問を{怠|おこた}ったが{故|ゆえ}に、百年ごとに起きる大戦で{亡|ほろ}び、占領下となり、挙句、心を{棄|す}て、考えるだけで行動しない、{所謂|いわゆる}平和ボケの時代と、相成る。
そして今また、行動の時代への必要性に、迫られている。また、大きな戦いが、はじまるのだ。早く学問を再開させて、心を養い、行動する習慣を身に着けなければ、今度こそ、おれらの祖国〈日本〉は、完全に、消滅してしまう。
勝利は、行動した人間に、与えられる。行動するからこそ、おれたちは、**生**を強烈に感じることができるし、その生き{様|ざま}は、{鮮|あざ}やかでもある。
こんな、名言語録もある。
「言うことは{能|あた}わず、行(な)うことも能わざる者を{国賊|こくぞく}と{見倣|みな}す」
正に、「{下手|へた}な考え、休むに似たり」だッ!
《 人間は、考える葦であるが、足がない! 》
ここに、考え過ぎなかったが故に、一つに命を救われた例と、二つに、人間らしく生き{存|ながら}えることができた例を挙げる。
そんな経験をした、偉人の語録だ。
日本の作家、柴田錬三郎の{逸話|いつわ}。
前回の大戦中、台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡を輸送船で航行中に撃沈され、喫水線を上下し、死線を前後するという過酷な体験をした。
その体験に関して、{斯|こ}う問われた。
「なぜ、そのときのことを書かないのかッ!」
すると、「よく覚えてねぇんだよーォ!!」……との答え。
「そんな、馬鹿なーァ!! 波間をさまよっているときに、いろいろ考えたでしょう?」と、また問われる。
すると……「何も考えなかったよ。考えたやつはみんな死んださ」という答えが、返ってきたんだそうだ。
これ正に、合点!
デンマークの哲学者、キルケゴールの日記より。
「客観的な真理を探してみたところで、それが{私|わたくし}にとって{何|なん}の役に立つのだ。私に欠けていたのは、本当に人間らしく生きることであり、あれこれ考えながらの生涯を送ることではなかったのだ」
《 人間は、動物。動物は、獣。獣にあるのは、〈今〉と〈此処〉だけ 》
獣には、過去や未来といった、時間の観念が無い。人間のような〈コトバ記憶〉ができないから、過去の経験や未来の展望といったイメージを、一切、何一つ、結びつけることができないのだ。
なので、「前回失敗したから、もう{已|や}めておこう」……{即|すなわ}ち、一度失敗しただけで、もう二度とやらないという所謂パーキングブレーキ!を、装備していないということだ。なので、何度失敗しようが、何度危うい目に遭おうが、また何度でも、同じことをやる。
何度でもやるから、{何|いず}れ一度くらいは、成功する。獣には、今と此処しかないのだ。だから、迷わない。何百ぺんやろうとも、毎回毎回が、初体験の真剣勝負! 故に不安も、一切無い。
不安や迷いは、過去と未来の中にある。今と此処には、不安も無ければ、迷いも無い。人間は、コトバ記憶で、過去や未来の不安や迷いといったイメージを、探し当て、結びつける。
一つ見つけると、次から次へと、似たような不安や迷いばかりを、連鎖させてゆく。
これを、{憂鬱|ゆううつ}という。
明日が必ずあると、誰かが、証明してくれるだろうか。
だから、「次は、気をつけます」とか、「これからは、もっと頑張りますから……」なんて言葉は、すべて{噓|ウソ}っぱちなのだ。今と此処しかないのだから、「未来は、ちゃんとやる」というのは、{詭弁|きべん}に過ぎないという{訳|わけ}だ。
「成功は、未来にしか無い」と、自ら豪語するのだから、一生死ぬまで、今と此処で、失敗し続けることだろう。
故に、*一生懸命*も、詭弁に過ぎない。一生は、今でも此処でもない。過去と未来なのだ。「今、此処で頑張る」ということを言いたいのなら、話は、別だ。
コトバ記憶のキーワードは、*一所懸命*と、相成る。
再び、例を挙げる。こんどは、読書で得た{洒落|しゃれ}っけがあるものを、二つ。
芭蕉の句。
やがて死ぬ
けしきは見えず
{蝉|せみ}の声
明日死ぬという気配も見せず、ただ今を鳴く……。
映画「カサブランカ」の{台詞|セリフ}。
「{昨夜|ゆうべ}は、どこに{居|い}たの?」
「そんな昔のことは、忘れたね」
「今晩、{逢|あ}ってくれない?」
「そんな先のことは、{判|わか}らない」
《 身体が元気じゃないのに、気力を保っている人は、いっぱい居る。身体が元気なのに、気力を保てない人も、たくさん居る 》
塾師級の学人学年と門人学年の{美童|ミワラ}男児の両名が好きな、『闘戦経』。
言わずもがな、日本最古の兵書……とは言っても、心の持ち方に終始する。
{斯|こ}うある。
「気なるものは{容|かたち}を得て生じ、容を{亡|うしな}って存す。
草枯るるも{猶|な}ほ{疾|やまい}を{癒|いや}す。
四体{未|いま}だ破れずして心まず衰ふは、天地の則に非ざるなり」
〈気〉は、形があるものから生まれてくるが、その形が無くなっても、〈気〉は残り、{存|ながら}える。
薬草は、{譬|たと}え枯れようとも、生なる薬草の気が、身体を癒してくれる。
その身体、肉体が壊れてしまったわけでもないのに、心が先に衰えていってしまうというのは、正に自然から離れ、天地の法則に{則|のっと}った生き方をしていないからに他ならない。
気とは?
常に元気で、機嫌が良い状態に保つ精神力。
一人が元気が無く、{或|ある}いは機嫌が悪ければ、周りの人たちも、気を悪くする。
みんなが気を悪くした組織……学級、会社、軍隊が、果たして戦いに勝てるだろうか。
身体に悪いところがある人は、周りの人の気を害さないように、気を{遣|つか}ってくれる。正に、人前に限ってかもしれないけれど、いつも元気で、機嫌が良い。
いくつかの機能を失った身体を鍛えるだけでも、{凄|すご}い精神力だなって思うのに、そればかりか、その身体を鍛えるために、気を{練|ね}り、鍛える。
何かを失ったからこそ、知らず知らずのうちに、何か、もっともっと大事で、大切に保ち続けなければならない何かを得ることができる……そんなことって、あるだなァ。
……と、彼らの気は、ぼくらに、そう感じさせてくれる。
そこでやっと、己の気が、気づくのだッ!
**{自反|じはん}**
〈自反〉は、循令の五つ目にある。
その前に、やることがある。
自反……自ら{省|かえり}みること。
行動していなければ、省みたところで、そこには、何も無い。
では、なんのために、どのように行動すれば{善|よ}いのか。
「息恒循」 循令の三つ目(火曜日)。
{内努|うちゆめ}
{即|すなわ}ち、大努力。
修養によって、貴い者になる。
研究によって、己の美質を発見し、能力を発揮する。
{有為有能|ういゆうのう}な者となる大理想を、持つ。
自ら苦しみ、開拓し、本物になる。
本物になるための、五カ条。
一に、人の数倍努力と苦労をし、{秀|すぐ}れた者になる。
二に、人が寝るところは半分にし、人の食うところも半分にする。
三に、努力するところは常に元気で 人の十倍も二十倍もやる。
四に、心身疲労で病気病死したときは、正に天命と{諦|あきら}める。
五に、学徒が学問のために死ぬのは、{本望|ほんもう}と心得る。
_/_/_/ ご案内 【東亜学纂学級文庫】
Ver.2,Rev.1
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