#### 偉人の語録に共通する真意 マザメ {然修録|160} #### {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。 学徒学年 **マザメ** 少循令{鐡将|てっしょう} 哲学が{活|い}かされてない? 確か、寺学舎で学んだけど……。 昔の偉い人の伝記でしょ? そう思ってるんなら、{他人事|ひとごと}だよね。 自分の事として、自分のものにしようと決意して哲学を学んでいる人が、一体全体、どれだけ{居|い}るというのでしょう。 あたいらの国で、数人……も居ればいい方? {殆|ほと}んどの人は、({凄|すご}いなーァ!!)って思って、それで放置っていうか、そこで終わりだよね。 *自分のものにする*ってことは、自分を変えてしまうってこと。 なるほど、そう{易々|やすやす}とできる{訳|わけ}がない。 「自分を変えるんだッ!」っていう覚悟が{要|い}る。 {古|いにしえ}の偉人の語録を何百回読んだところで、覚悟なんかできっこない。 では、どうする? 自分で、考えるしかない。 答えは、誰も教えてくれないし、誰も知らない。 {虚|むな}しい現実のぼやき、以上。 陽明先生の少年時代を追う良書を読んでみた。 陽明少年、十五歳。 中国北部民族の{子供|こども}たちと戦闘の修練をしたり、名将や軍師を思い描いて詩を作ったりして過ごしていた。 それが高じてか、のちに陽明少年は、北方{匪賊|ひぞく}の掃討を朝廷に{上奏|じょうそう}し、父親に{酷|ひどく{叱|しか}られている。 陽明少年、十七歳。 郷里の{越|えつ}に戻り、お偉い議員さんの娘と結婚。 ところが婚礼の日早々、道教の道場を{尋|たず}ね、修行者と話し込んでいるうちに、家に帰るのを忘れてしまったという。 ちょうどその頃、習字にも没頭。 後年、陽明先生は、この頃の習字の思い出を、{斯|こ}う語っている。 「最初は、ただ形を真似て書いていた。 それで学べたのは、字の形だけ。 その{後|のち}、軽々しく筆を紙に落とすようなことはせず、思いを{凝|こ}らし、{慮|りょ}……心の動き方を{熟考|じゅっこう}し、心静かに、字の形に映された心を読み取るように書いた。 形と心は、別ものではなく、一致しているということを学んだ。 {更|さら}にその後、偉い先生の本を読むと、字を習うということは、形を{綺麗|きれい}に書くためのものではなく、心を整えるためにあるのだと書いてあった。 これこそが、字を学ぶ本意、**学**であると思う。 精明な心であれば、その心の中に、美しい字が映っているはずだ」 十七歳と{云|い}えば、ワタテツ先輩の歳だ。 意味のないことを書いてしまった……{悪|あ}しからず。 陽明少年、十八歳。 新婦を伴って、故郷の余桃に帰る。 その帰途、宋儒大家の老賢人を尋ねる。 {嘗|かつ}て、陽明少年は、都の塾師に、斯う放言していた。 「進士に{及第|きゅうだい}するなどということは、なんでもない。 {聖賢|せいけん}となってこそ大丈夫。 それが、第一等のことだ」……と。 すると、今度は老賢人から、真逆のことを言われてしまう。 「聖人は、必ず学んでこそ、その域に達することができるのだ」と。 {俊敏|しゅんびん}で真剣な学問求道の精神を胸に抱いていた陽明少年は、初めて{謁|まみ}えた老賢人の一言に、{閃光|せんこう}が{如|ごと}く霊感を得たのだった。 そして、この年……陽明少年を深い愛で育てた祖父が{没|な}くなり、父も帰郷して{喪|も}に服した。 すると陽明少年は、{従弟妹婿|じゅうていまいせい}……年下の{従弟|いとこ}や妹{婿|むこ}らを集めて、講習に励んだ。 そのときの陽明少年は、快活にして{朗|ほが}らか、よく語りよく笑い、冗談も自然に漏れた。 ところが、暫くすると時折、急に黙り込んだり暫し考え込んだりという場面が増えてくる。 従弟妹婿たちは、それを不審がったり、気紛れのようにも見えるその{所作|しょさ}をからかったりもした。 そのときだった。 陽明少年{曰|いわ}く……。 「いやね。 今までの講習は、{放逸|ほういつ}であったところが悪かった。 おどけたり、ふざけたりする人間に、{碌|ろく}なものは{居|お}らん。 人間は、心正しければ、その態度も言行も、自ら{整斉厳粛|せいさいげんしゅく}になるものだ」と。 陽明青年、二十一歳。 やっとのことで東部地方の官吏登用試験の一つに及第すも、他は{悉|ことごと}く落第する。 落第した多くの若者たちは、みな大いに落第を恥と感じていた。 陽明青年は、同じ釜の飯を食っている*そんな学友たち*を{慰|なぐさ}めるように、斯う言った。 「世間は落第を恥とするが、我は落第して心を動かすことを恥とする」 目当ての試験に落第した陽明青年は、その後、詩歌文章の文芸に励んだ。 陽明青年、二十六、七、八歳。 {京師|けいし}……{則|すなわ}ち、都で過ごす。 当時の時勢を、概して、挺身して国事に当たろうとする気概、武芸を好み、実践の騎射にかけても人に負けまいとする情熱、詩歌風流に情緒の満足を得ようと希求しながらも更に、永遠というものに心を{馳|は}せて「神仙の道」……長生不死や不老長寿の道にも強く心を{惹|ひ}かれていた。 ところが、早くに健康を害して、病と闘わなければならないという難題も抱えていた。 それで、老荘や仏陀の教えにも心を浸し、{終|つい}には浮世を{遁|のが}れて山に入る意志にも突き動かされる。 これを、「陽明の{五溺|ごじょう}」という。 {兎|と}にも{角|かく}にも陽明先生は、何事にも徹せねば{已|や}まぬ性格だった。 陽明先生は、『伝修録』の中で、斯う語っている。 「{一掴一掌血|いっかくいっしょうけつ}、{一棒一条痕|いちぼういちじょうこん}なれ」 一度掴んだら、そのものに血の手形がつくくらいに{掴|つか}め! 一本ビシッと打ち込んだら、一生{傷痕|きずあと}が残るほど打ち込め! 則ち、「うろうろするな! へろへろするな!」ということだ。 また、後に説く『良知の悟り』の中では……。 「我がこの良知の二字は実に千古聖々相伝の一点{滴骨血|てっこっけつ}なり」 {墳墓|ふんぼ}が真に祖先のものかどうかは、その墓の中の骨に我が血を{滴|したた}らせば{判|わか}る。 その骨が祖先のものであれば、滴った血は骨に{滲|し}み入り、他人ならば、受けつけない。 古よりの俗信でありながら、誠に深刻な説だ。 陽明先生のこのような諸説は、生まれ持った天資のみならず、{克己|こっき}修養の真剣な闘いの日々の中にあってこそ生まれたものなのだ。 偉大なる思想や学問、偉人の語録……まったく{以|もっ}て共通している*真実*というものがある。 それは、読み手や学び手の誤解・浅解・俗解・曲解によって埋もれ、忘れ去られている場合が多い。 その教えの誠の真意とは、並外れた読書を要求するものでもなければ、{況|ま}してや、礼儀作法を無視して世間の人びとに衝撃を与えたりすることでもない。 常識の型を破った言論や行動や勉学は、{正|まさ}しく*誤解の副産物*なのだ。 誠の教えとは、「平常心{是|こ}れ道」。 則ち、最も平常な精神のこと。 {尋常|じんじょう}……常を{尋|たず}ねる工夫。 これに、徹する。 **尋常の覚悟** これが、先人偉人たちが自らの体験を以て会得した真実……一番の本質、本義なのだ。 _/_/_/ 『然修録』 第1集 _/_/_/ ミワラ<美童> ムロー学級8名 =::=::=::=::=::=::=::=::=::=::=::= 吾ヒト種 われ ひとしゅ 青の人草 あおの ひとくさ 生を賭け せいを かけ =::=::=::=::=::=::=::=::=::=::=::= ルビ等、電子書籍編集に備えた 表記となっております。 お見苦しい点、ご容赦ください。 ● amazon kindle ● 『亜種記』全16巻 既刊「亜種動乱へ」 上、中、下巻前編 ● まぐまぐ ● 「後裔記」「然修録」 ● はてなブログ/note ● 「後裔記と然修録」 ● LINE ● 「九魚ぶちネット」 ● Facebook ● 「東亜学纂」 // AeFbp // A.E.F. Biographical novel Publishing 東亜学纂