MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

然修録 第1集 No.161

#### 神々に見てもらうために生きろ! ムロー {然修録|161} ####

 {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。
 学人学年 **ムロー** 青循令{悪狼|あくろう}

 自分は、間違った生き方をしているのではないだろうか。
 (他人からどう見られようが、どう思われようが、関係ない。神のみぞ知る)……のような考え方で生きてきたが、そんな生き方をしていると、どうにもこうにも、なんだかどんどん孤立してゆくような、間違いなく社会では役立たずの人間になってしまっているような気がしてならない。
 そこで、思った。
 (一体全体、組織や社会に多大なる貢献と功績を残した先人先達の方々は、どんなことを考え方をして、どんな人生を歩もうとしたんだろうか)
 ……と。
 そんなことを知りたくて、読書してみた。

 「土光さん」と聞けば、{何故|なぜ}か親しみが{湧|わ}いてくる。
 実際は、昭和を代表するエンジニアであり、実業家。
 電電公社国鉄の民営化の功労者であり、勲章も授与された偉人。
 その私生活は、恐ろしく質素!
 勲章を受けた際、こんな言葉を残している。
 「個人は質素に、国は豊かに」
 すべての国民が、もしこんな考え方を持っていたら、それこそ永遠に不滅の現存する世界最強の古代国家と成り得ることだろう。

 その土光先生の座右の銘が、「日新 日日新」。
 中国の古典、『大学』の中にある言葉だそうだ。
 意味は……。

 今日という一日は、天地{開闢|かいびゃく}以来初めて訪れた一日である。
 それも、貧乏人にも王様にも、みな平等にやってくる。
 その一日を有意義に暮らすためには、その行いは昨日よりも今日、今日よりも明日は、新しくなるべきだ。

 この意味に関しても、土光先生の語録が残されている。

 「一日の決算は、一日にやる。
 失敗もあるであろう。
 しかし、昨日を悔やむこともしないし、昨日を思い{煩|わずら}うこともしない。
 新たに今日という清浄{無垢|むく}な日を迎える。
 ぼくは、これを銘として毎朝、『今日を精一杯生きよう』と{誓|ちか}い、全力を傾けて生きる」

 「神のみぞ知る」などという言葉は、俺などのような不届き者が口に出せるような代物ではないということだ。

 ……次。

 お馴染み、ドラッカー。
 ドラッカーさんの人生で、何度となく精神的な節目が訪れた。
 その回数は、実に奇遇なことに、息恒循の基本でもある*七回*。
 その七回の節目の中で、最初の二つ。
 そこで得た教訓。

 一、目標とビジョンをもって行動する。

 ドラッカー先生が、商社で見習いをしていた頃の話。
 オペラ好きだったドラッカー先生。
 その夜も、猛烈な迫力で生きることの喜びを歌い上げるオペラを鑑賞し、ご満悦。
 実はそのオペラの作者が、なんと、八十歳を超えていたのだ。
 その老齢な作者に会ったドラッカー先生は、{斯|こう{訊|たず}ねた。
 「八十歳を超えているのに、何故、並外れた難しいオペラを書く仕事に取り組まれたのですか?」
 するとその老紳士、「いつも満足できないできた。だから、もう一度挑戦する必要があった」と、答えたそうだ。

 その作者とは、{既|すで}に十八歳で名声を{馳|は}せた有名な音楽家だった。
 何歳になっても、いつまでも{諦|あきら}めずに挑戦し続けること……しかもそれを、習慣化することの大切さを学んだドラッカー先生だった。

 二、常にベストを尽くす。「神々が見ている」と考える。

 ドラッカー先生が、ギリシャの彫刻家に関する本を読んだときの事。
 その彫刻家とは、アテネパンテオン宮殿の屋根に立つ彫刻群を完成させたことでも知られる、これまた有名な彫刻家。
 その彫刻が完成して、彼が書いた請求書を会計の担当官が見たときの事。
 会計官は、{憤慨|ふんがい}して斯う言った。
 「彫刻の背中は見えない。その分まで請求するとは何事か!」
 すると、その彫刻家は、胸を張って斯う答えたという。
 「そんなことはない。神々は見ている」……と。
 この話を読んだドラッカー先生は、(神々しか見ていなくても、完全を求めていかなくてはならないのだ)と、胆に銘じたのだった。

 ……次。

 我が{日|ひ}の{本|もと}の国では、お馴染み。
 幸田露伴。
 幸田先生は、人生の成功者と失敗者を観察し、ある法則を発見した。
 それは、「大きな成功を{遂|と}げた人は、失敗を人のせいにするのではなく、自分のせいにするという傾向が強い」……というもの。

 失敗を{他人|ひと}の{所為|せい}にしたり、他人から失敗の根源野郎だと思われても気にしなかったりすれば、自分が傷つくことはない。
 傷つくどころか、お気楽の楽ちん人生だ。
 でも、そんな考え方をしていると、失敗は止めどもなく繰り返し、しかもその毎回毎回、ただ失敗しただけで終わってしまう。
 失敗から得られるものは、{微塵|みじん}も無い。
 ただただ評判を落とし、孤立してゆくばかりだ。
 他人の目を気にしないのだから、自分が孤立したことにさえ気づくことができないだろう。

 失敗や不運な出来事の原因を自分に引き寄せて自分の所為にするという{捉|とら}え方は、実に辛い思いを{強|し}いられる。
 {遣|や}り切れない辛さにも、耐えなければならない。
 ところが、こうやって我が事……自分に原因{在|あ}りと捉えてみれば、(あそこはそう考えるんじゃなくって、斯う考えて行動に移すべきだった)みたいな反省の思慮……そう、俺たちが息恒循で学んできたそれ……*自反*の習慣を得て、そこから多くを学ぶことができるのだ。
 これぞ{正|まさに}に、進歩、発展、向上に他ならない。

 結果、自反の習慣を得た人は、自然と運が良い方向に向いてくる。
 幸田先生は、このことを、面白い{譬|たと}えで説いている。

 自分の運命を引き寄せるために、二本の{紐|ひも}が用意されている。
 一本は、ゴツゴツザラザラして、まるで針金のように固く粗い紐。
 もう一本は、まるで絹の糸で編んだように、手触りが心地よい紐。

 さて、ザラザラゴツゴツの方の紐を選んで引っ張ると、{掌|てのひら}は切れ、指も傷つき、血まみれとなる。
 {則|すなわ}ち、失敗を自分の所為だと捉えて、辛く苦しい人生を歩みながら、自分の命を運んでゆくということ。
 でも、その先から引き寄せられる人生の集大成は、大いなる幸運だ。

 片や、絹のような{滑|なめ}らかな方の紐を選んで引っ張ると、楽ちんな人生のなかで、なんの苦労も無く、自分の命を運ぶことができる。
 でも、やがてその先から引き寄せられる人生の結末は、{寂|さび}しく{侘|わび}しい、{辛|つら}く{惨|みじ}めな不運なのだ。

 もし俺が、今回も、この読書を*教訓*として捉えることから逃げて、楽で{卑怯|ひきょう}な習慣……{正|まさ}に、楽ちんな人生にまた戻ってしまったら、遅かれ早かれ引き寄せられるであろう俺の運命は、間違いなく、寂しく侘しい、辛く惨めな不運だ。

 (変わらなければ……)と、そう決意しようと考え続けて、はや十年!
 {嗚呼|ああ}……。
 BY 寝たきり重病患者の頑固で元気な青年 ムロー(涙)。

 _/_/_/ 『然修録』 第1集 _/_/_/
 ミワラ<美童> ムロー学級8名

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 吾ヒト種  われ ひとしゅ
 青の人草  あおの ひとくさ
 生を賭け  せいを かけ
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 ルビ等、電子書籍編集に備えた
 表記となっております。
 お見苦しい点、ご容赦ください。

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