EF ^^/ 後裔記 第2集 第12回
一、想夏 立命期、最後の一年 (2)
武家屋敷になぞらえるならば、そこに、おはぎが登場しても、不自然ではない。
でも、ここで武家屋敷に譬えたのは、精神面でのことだ。
生活面でなぞらえるなら、オンボロ長屋で暮らしている貧乏一家である。
そこに、高級和菓子のおはぎは、似つかわしくない。
おはぎは、エセラの父の大好物だった。
でも、この一家に、うるち米も粒あんも、買えるはずもない。
おはぎとは名ばかりで、麦飯を俵形に握って、ひじき煮をまぶしただけの、云わばひじきのおにぎりだった。
この家に初めて本当のおはぎが登場したのは、エセラの父が出て行って暫く経ってからのことだった。
父からの仕送りが、始まったのだ。
大した金額だったことは一度もなかったが、封筒の中のお札を包んでいる便箋に、彼ら自然{民族|エスノ}にとって最も価値があることが、書かれてあった。
その夜も、エセラの家族恒例の夜会が、始まった。
{美童|ミワラ}たちは、他人の前では無口である。
でも、{同胞|はらから}の親族だけの集まりになると、みな{饒舌|じょうぜつ}になった。
ほのみが、言った。
「ヒトだけ、変だよね。
鹿さんも、ウリ坊くんも、たぬきさんも、みんな普通なのに、ヒトだけ、変だよね。
ぼさぼさの茶色い髪の毛の男の子、灰色でぺちゃんこの髪の毛のオッサン、真っ白い毛の塊を、滑り落ちそうな頭の地肌の上に載せているお爺さん。
ヒトだけ、変なことばっかやるよね。
亀さんなんか、何も変わらずに長生きするんだから、すごいよね。
ヒトだけ、なんでいつも、変わろうとするのォ?」
「亀さんだて、変わるのよ」と、ゆか里。
「どこがァ?」と、えみみ。
「亀に訊けばァ?」と、トモキ。
「亀になってみれば、自分が、その答えを教えてくれるよ」と、エセラ。
「亀になれるのォ?」と、めろん。
「亀の気持ちになってみればって意味さ」と、エセラ。
「相手の心の中に入って、そこから自分を観るんだよ。
武の心、{戈|ほこ}を{止|とど}めさせる技さ。
{美童|ミワラ}のうちに身に着けとかなきゃ、{武童|タケラ}になってから苦労するんだからね」と、ゆか里。
「鷺助屋の連中みたいにぃ?」と、ほのみ。
「あいつらは、そんな修行なんてしないよ。
そもそもあいつらは、戦いたいんだから」と、エセラ。
「今、あんたたちが思ってることが正しいだなんて、思わないことだね。
自分が正しいって思った時点で、ヒトの成長は、終わるんだ。
一所懸命、一生懸命に生きてみて、やっと判る場合もあるし、そこまで頑張っても、やっぱり判らないことだってあるんだよ」と、ゆか里。
「いっぱい考えて頑張っても、何も解らないまま死んじゃうこともあるってことォ?
だったら、何も考えないで死んだほうが、幸せなんじゃない?」と、えみみ。
「そうだよ。
ぼく、嫌いな人の心の中になんか、入りたくないもん!」と、トモキ。
「ヒトっていう生きものはねぇ。
謎にぶつかると、それをどうしても解きたいって思ってしまう生きものなのさ。
今、おまえたち、なんでそんなふうに思ってしまうのかって、疑問に思っただろォ?
だから、なんで疑問に思ったかってことを疑問に思ってしまうと、堂々巡りになって、それもまた、成長を止めてしまうんだよ。
だから、何を考えれば己の心が成長できるのか、それを考えなきゃダメってことさ」と、ゆか里。
……今宵の夜会、終了。
ほのみたち女子を寝かしつけるのは、ゆか里の役目だった。
母は、女神の話が好きだった。
武装したアテナ、霊的なマリア……えみみとめろんは、ほどなく{微睡|まどろ}み、眠りについた。
ゆか里は、女性的なアマテラスの話が一番好きだったが、そこは、ほのみも母譲りなのか、母の話にアマテラスや{巫女|みこ}たちが出てくると、微睡むどころか、目を閉じたまま耳に神経を集中させて、その話が途切れると、抗議するかのように薄目を開けて、母に訴えるのが常だった。
エセラは、{衝立|ついたて}の向こうから洩れ聞こえる母の話に耳を傾けるうちに、時おり母の話に出てくる男神スサノヲのことを思った。
アマテラスを慕いながらも、已むに已まれぬ反抗と乱暴が、スサノヲに対する新たな誤解を生み続けていった。
エセラは、スサノヲのことを思うたび、自分の境遇とその生涯を、スサノヲのそれと重ね合わせた。
姉、アマテラスとの決別。
父との決別、母ゆか里との決別、花子ばァばとの決別、そして、妹や弟たちとの決別……。
(ただの一人だって、ぼくの味方はいないんだ)
それが、動物として産まれたがゆえの宿命だった。
それを、否定したいわけではない。
ただ、それを受け容れるには、エセラは、まだ幼過ぎた。
裏部屋の腰窓は、{鎖|とざ}されたままだった。
まだ父がこの家に居たころ、その腰窓は、いつも開け放たれていた。
窓の外を覗くと、父の姿が見えた。
雑木林のコナラの木を伐採した切り株をスツール代わりにして、腰を掛けて本を呼んでいることが多かった。
そして、エセラの視線に気づくと、ニコリともせずに、手招きをする。
平屋の家を廻り込んで父のところまで行ってみると、いつも、五右衛門風呂用の巻割りを手伝わされた。
父は、季節を問わず、その雑木林の中に住まっていた。
粗末な山小屋をこさえていたのだが、それが、さながら秘密基地のように目に映り、エセラが好きな場所の一つになっていた。
その山小屋の床には、東西の神話の本が、山崩れを起こしていた。
本の山を崩すのは、いつもエセラの仕業だった。
父に、本を借りたいと申し出たことは、一度もなかった。
いつも、盗み読み。
なぜいつも、父に隠れて本を読んでいたのか、エセラ本人にも解らなかった。
しかも、盗み読みを自認していながら、崩れた本を元のように整えようとはしなかった。
(ぼく、ちゃんと一人で生きていくから、今だけは、一人にしないで……)
そんな思いが、込み上げてきた。
本の文字が、潤んでぼやけた。
そして、父がこの家を去ったその夜から、それらの本は、一冊残らず、五右衛門風呂の助燃材となった。
毛足が摩耗して消滅してしまった毛布を頭から被って、今夜もまた、エセラは眠りに落ちた。
2024.3.2 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂