MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

東亜学纂学級文庫

『息恒循』を学ぶ

ミワラ<美童>の座学日誌 No.113

#### ムローの座学日誌「長大な学問の時間を得た短命志士達の{磨錬|まれん}」{然修録|113} ####

 

 『若くして祖国の存亡の危機を救うために命を{賭|と}した(……捧げた)維新の志士たちは、短命にも{拘|かか}わらず、{何故|なぜ}あれほどの学問を自修できる長大な時間を、作り{得|う}ることが出来たのかッ!』

 《寸陰を掴み、{事上磨錬|じじょうまれん}する》
 《{立腰|りつよう}! 人の姿勢は、牛馬にも劣る》

   学人学年 ムロー 青循令{猫刄|みょうじん}


 {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。

      **{主題と題材と動機|モチーフ}**

   《 {主題|テーマ} 》

 若くして祖国の存亡の危機を救うために命を賭した(……捧げた)維新の志士たちは、短命にも拘わらず、何故あれほどの学問を自修できる長大な時間を、作り得ることが出来たのかッ!

   《 その{題材|サブジェクト} 》

 寸陰を掴み、事上磨錬する。
 立腰! 人の姿勢は、牛馬にも劣る。

   《 この主題と題材を選んだ{動機|モーティブ} 》

 転載。
 ツボネエの後裔記。
 醤油フリフリ婆ちゃんが、自ら書いた酪農奮闘記……{所謂|いわゆる}日記を、スピアに無期限で貸してくれたとき、その婆ちゃんが、スピアに贈った言乃葉。

 「これはなァ。自反{尽己|じんこ}のために書いてるのさ。もう、自反は終わったもんねぇ。あとは、尽己あるのみ。だから、こいつにはもう、要は無いのさァ。
 てか、邪魔なだけさ。
 過去を懐かしんでる時間なんか、無いからねぇ。
 知ってるかい?
 人生ってなァ、一度っきりしかないのさ。
 やりたいって思ったら、不器用だろうが、バカにされようが、{罵声|ばせい}を吐かれようが、牛のケツからウンチくんをシャワーみたいに浴びせられようが、必要なのは、{唯|ただ}一つだけ。
 熱意さ。
 世の中を動かしてるのは、熱意さ。
 ―以下略― 」

 人生は、一度っきりしかない。
 時間は、命。
 だから、寸陰を、惜しむ。

 目標を達成するために必要なのは、ただ一つ。
 熱意のみ!
 みたいな……(ポリポリ)。

      **題材の{講釈|レクチャー}**

   《 寸陰を掴み、事上磨錬する 》

 寸陰を惜しむ……。
 {何故|なぜ}、ちょっとの時間……{所謂|いわゆる}{閑|ひま}が、大事なのか。

 人は、「休日が少ない!」と、{嘆|なげ}く。
 人は、「時間が出来たら……」と、多忙を嘆く。
 人は、その忙しい事を、言い訳に利用する。

 そもそも、まる一日とか、仕事がある日に長い時間とか、そんな都合よく自由になる時間など、そうそう簡単にとれるものではない。何故なら、それこそ正に多忙で、何かと、邪魔も入る。
 でも、どんなに多忙な人でも、ちょっとの時間……寸陰は、一日に何回も、何十回もある。ヒト種は、必ず、トイレに行ったり、食事をしたり、考え事をしたりするからだ。
 この、ちょっとした時間を、掴む!
 これが、難しい。
 訓練しなければ、そんな芸当は、出来ない。その証拠に、昔の一芸に{秀|ひい}でた人々は、この〈寸陰を惜しむ〉訓練をして、一藝一能に精進することができたのだ。
 クソが出ている時間は、労力を使うが、ションベンが出ている時間は、労力の必要はない……{故|ゆえ}に、ションベンタイムは、惜しむべき寸陰ということになる。
 こんなふうに考えると、ションベンタイムを大事にしていたヒノーモロー島の自称スピアの養祖父……シンジイは、やはり偉人だ!

 陽明先生は、寸陰を大事にすることを、事上磨錬と呼んだ。実践の場で自己錬磨していると、そのうちに、奇跡が起こる。
 ……弓を射る的が、だんだん大きく見えてくる。
 ……剛速球が、だんだんゆっくりに見えてくる。
 ……小さな字が、大きく見えるようになる。
 ……ちょっとの時間が、長い時間に思えてくる。
 ……釣りたい魚の行動が、読めてくる。
 ……大きな本屋で、探している本が、すぐに見つかる。
 {平生|へいぜい}、何かに精神を集中していると、意外な発見をすることがある。神秘的な、{或|ある}いは不可思議な因縁を、無意識に感知してしまうことすらある。

 {三上|さんじょう}という言葉がある。
 本来、「作文三上」とか、「読書三上」とかいった使われ方をしていた。〈書を読んで考えたり、文章を作る工夫を{凝|こ}らしたりするために、最適な場所〉という意味だ。

 その〈三〉の一つ目は、{枕上|ちんじょう}。
 寝るとき、大あくびをして、(あーァ、疲れたーァ!!)と思いながらガースカ寝るのは、つまらん! 志の無い人間のやることだ。少なくとも、枕元に電気スタンドを置き、せめて1{頁|ページ}でもいいから、書物を読んで寝るという**志**がなければならない。
 そうすると、意外なことに、何か思わぬ{閃|ひらめ}きがあったり、しかも、驚くことに、清眠できる。更に、その書物は、自分の研究や趣味でもよいが、それが、心の養いとなるような、なるべく精神的なものが、望ましい。

 二つ目は、馬上。
 {今日|こんにち}で言うなら、車上……但し、東京や大阪の大都市では、ダメだ。渋滞で、イライラしてしまう。せっかくの寸暇も、混雑や動揺のなかでは、どうにもならぬ。長距離の運転は、疲労……正しく、文明界の{悲哀|ひあい}!
 やはり地方で、家を少し早く出るなり、ゆったりとした気分で帰途につくなりして、馬上気分を味わうしか手は無さそうだ。もっといいのは、田舎の道を歩きながら、よく物を考えることだ。これなら、正に〈思考三上〉というものだ。

 三つ目は、{厠上|しじょう}。
 マンガを読むために便所へ行く{輩|やから}も{居|お}るが、これは、本末転倒! 寸陰どころか、話にならん。
 実際問題、便所でのちょっとの時間は、数十秒から長くても数分だ。言わずもがな、情況や個人差によって、その寸陰の幅は、少なくはないが……。
 力まずにションベンが出ている時間。逆に、クソは出ていないが、力んでいるだけの時間。この寸暇を掴むことは、クソを掴むことより、難しい。
 でも、ひとたび掴んでしまえば、習慣というのは大したもので、何年、何十年のうちに、どれほどの読書時間に{膨|ふく}れ上がるか。これは、個人差があるので、自分のションベンとクソの特性をよく観察して、一度計算してみて欲しい。

 こんな話がある。
 志が高く熱意に燃えた人が家を建てるときには、不思議と便所の場所と広さと空間の快適さを、求めてくるそうだ。便所なら、いくら{贅|ぜい}を尽くしても、家全体から観れば、僅少の{範疇|はんちゅう}を出ない。
 居間のような床を敷き、見台や{香爐|こうろ}を置けば、学問の意欲や神算鬼謀……優れた{謀|はかりごと}も、クソやションベンが{如|ごと}く、{湧|わ}き{出|い}でるというものだッ♪
 それを、志貧しき施工主は、言われるまま勧められるがままに、どうでもよいようなところに贅沢な施工をして、肝心なところを粗末にするものなのだ。

 そんな愚か者の無駄な浪費のことを……。
 「尻が結ばれぬ糸」というそうだ。
 やはり、人や動物の{要|かなめ}は、尻!
 {糞|クソ}なのだッ♪ 

   《 立腰! 人の姿勢は、牛馬にも劣る 》

 熱意を持続させるということは、全力で回転し続けるということだ。よほど、心と身体の軸を{強靭|きょうじん}に鍛えておかないと、その軸は、ポキッと折れるか、{或|ある}いは、複雑に骨折してしまう。
 その人間の中心軸を強靭に保つ方法の一つに、立腰がある。{即|すなわ}ち、「腰骨を、常に立て通す」ということだ。言い換えるならば、正に、「人間に{性根|しょうね}を入れる秘法」だ。
 これは、東洋古来の〈禅〉の修行にも{繋|つな}がる。その目的は、自己の主体性の確立である。この主体性が確立すれば、集中力、持続力、実践行動力が、身につく。

 {因|ちなみ}に、その立腰の形とは……。
 一に、尻を、思いっきり後ろに突き出す。
 二に、逆に腰骨を、思いっきり前に突き出す。
 三に、下腹部の{臍下丹田|せいかたんでん}に、心もち力を{籠|こ}める。

 言うまでもなく、容易ではない。
 しかも、それを日常の起居動作として身につけなけらばならないのだから、なるほど{余程|よほど}禅や武道の修行でもなければ、なかなか身につくものではない。
 
      **{自反|じはん}**

 言うは易し。
 立腰……なんどもやってはみたが、牛ちゃんや馬ちゃんには、敵わない!
 どうりで、四つ足動物から、上から目線で観られてしまうわけだ。
 やれやれ……。 

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