MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

然修録 第1集 No.121

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未来の子どもたちのために、
成功するための神話を残したい。
そのために、働く! 読む! 書く!
今とここのみ、知命{是|かく}が如く。
南内 彬男
なんだい! あきお
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_/ 1 /_/ 『亜種記』 *電子書籍
息恒循を学ぶ子どもたちの闘戦の旅
_/ 2 /_/ 「後裔記」 *メールマガジン
亜種記を構成する諸書(実学紀行)
_/ 3 /_/ 「然修録」 *メールマガジン
亜種記を構成する諸書(座学日誌)
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_/ 3 /_/ 然修録 第1集の子どもたち
寺学舎 美童(ミワラ) ムロー学級8名
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※電子書籍編集のための記号を含みます。
  お見苦しい点、ご容赦ください。

#### ムローの座学日誌「潜在意識や脳科学を学んでも顔は{青瓢箪|あおびょうたん}!」{然修録|121} ####

 『心を学ぶだけでいいのか?』
 ●心だけじゃ片手落ち。腰が立腰ならば、心と相は{一如|いちにょ}なり
 ●偉人の心相一如
 学人学年 **ムロー** 青循令{猫刄|みょうじん}

 {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。

 **{主題と題材と動機|モチーフ}**

 ■□■ {主題|テーマ}

 心を学ぶだけでいいのか?

 □■□ その{題材|サブジェクト}

 心だけじゃ片手落ち。腰が立腰ならば、心と相は一如なり
 偉人の心相一如
 
 □■□ この主題と題材を選んだ{動機|モーティブ}

 みんな、心とか潜在意識とか、よく学んでいる……と、思っているだろうが、それらは{飽|あ}くまで、心理学や脳科学といった学問の{分類|ジャンル}の一つを学習しているに過ぎない。
 「それで……いいじゃん!」という声が、聞こえてくる。
 ダメじゃん!

 我々{美童|ミワラ}学級は、学生でもなければ研究者でもない。天命への道の門を{潜|くぐ}るために知命し、世のため人のために生きる亜種……自然{民族|エスノ}として、次の大戦、{延|ひ}いては次の天地創造で、生き残らねばならない。
 更に、実際問題としては、{既|すで}に夢物語なのではあるが、三つの亜種が、また一つの種となり、〈ヒト種〉が、完全復活を果たす……みたいなことも、天命の陰で見え隠れする。

 この〈世〉もそこに住まう〈人〉も、今の時代、実に多様性に富んでいる。その中に、{抗|あらが}うべきもの、{護|まも}らねばならぬものが、隠れ潜み、{蠢|うごめ}き、{将又|はたまた}、暗躍している。
 そこに来て、ただ心を学習するという一辺倒……{所謂|いわゆる}*一面性*だけでは、どうにもならん! ……と、いうことだ。

 まァ……我が脳ミソの中に、「多面的な学問と修養」という*索引*……みなが学んだ言葉に言い換えると、*コトバ記憶*というものが、事実、俺の脳ミソの中にも存在している。
 ところが、情けないことに、俺の脳ミソの隅々まで、どこをどんなに探してみても、その*コトバ記憶*は、どのイメージ記憶とも{繋|つな}がっていない。

 心を鍛えることも、潜在意識に訴えることも、多面のなかの一面に過ぎないとしたら、一体全体、他に、どんな面があるというのだろう。

 まったく……{面倒|めんど}っちい!


 **題材の{講釈|レクチャー}**

 ◆◇◆
 心だけじゃ片手落ち! 腰が立腰ならば、心と相は一如なり

 確かに俺たち寺学舎の学級は、「学問とは、本を読むだけのような知識ではなく、心を養うことだ」と、学んだ。だが{然|しか}し……{誤|あやま}れる常識になりつつあることが、一つある。学問や修養というと、直ぐに心に結びつけて、形を無視する傾向となってしまう点だ。
 無論、その逆も、良くない。
 形や見栄えを重んじる人間は、心を忘れる傾向となりがちだ。その証拠に、人相を見る占い師は、顔の皮は見るが、心の{如何|いかん}は、問わない。心の相が顔に表れることを論じながらも、重んじないのだ。
 本当の学問というものは、心一辺倒だけでは、成り立たない。では、どうすれば成り立つのか。それが、心相一如だ。

 潜在意識に代表される心理学とか、洞察力や禅や直観に代表される大脳生理学とか、抽象的な知識を多分に含むものの、内面的な学問によって内から己を修めてゆくことは、もとより重要なことである。
 但し……それは、*真ん中ではない*。
 真ん中にあるものは{自己実現|Self-realization}であって、それを内から修めるのが〈心〉で、外から修めるのが〈相〉なのだ。「形から入る」という言葉があるが、これも、外から修めるための有効な方法であることに他ならない。

 ……で、その〈相〉!
 「手相」とか「人相」とか言っちゃってる占いのような{類|たぐい}の話ではない。
 相には、静的な相と、動的な相がある。
 静的な相とは、頭とか顔の目や鼻などに現れるもので、言わずもがな……外観的というか、表面的なものだ。これを、形相という。
 次に動的な相とは、これも言わずもがな、動物というのは〈動く物〉と書くくらいだから、前者の形相というものは、矢庭に{或|ある}いは{俄|にわ}かに動いてくるものだ。その動きたるや、千差万別! それもまた、〈相〉なのだ。
 例えば、歩く相、{坐|ざ}す相、怒る相、笑う相、泣く相、食う相……。

 これら静的・動的な形から修めること……{即|すなわ}ち、「外から修めること」も、大事のもう一つの片手として、常日頃から考え{所作|しょさ}することを習慣とすべきではないかと思う。 

 ◆◇◆
 偉人の心相一如

 ある大学の教授が、{大石内蔵助|おおいしくらのすけ}とナポレオンは、どちらが本当というか本物というか……「真のリーダーに{相応|ふさわ}しいのは、どちらか」という比較をしたことがあるんそうだ。
 その結論と{違|たが}えない範囲で、少し{捉|とら}え方を変えてみた。

 結論……。
 相から見ると、ナポレオンに軍配が上がる。
 心から見ると、大石内蔵助に軍配が上がる。

 ※{論的証拠|エビデンス}

 〈ナポレオン〉…… 世界史に名を{轟|とどろ}かせる英雄。セントヘレナで死ぬとき、彼と死を共にしようとした人間は、誰一人いなかった。常に、{苛|いら}立っていた。自分の能力が高過ぎて、部下との間に{懸隔|けんかく}ができてしまった。力を失った晩年は、誰も慕ってくれなくなっていた。

 〈大石内蔵助〉……日本史に名前がちょっと出てくる程度。四十七人もの人間を、死の世界にまで引っ張って行った。家老の中で、際立って無能な人間として見られていた。それを表して、「{昼行灯|ひるあんどん}」と、あだ名されていた。自分に力がないことを、悟っていた。それ{故|ゆえ}に彼は、周りの人間の力を借りる力を磨き、事実、ズバ抜けた能力を発揮した。

 大石内蔵助……彼は、人を感じ取る力と、人に感じ取らせる力を、修めたのだ。 

 **{自反|じはん}**

 以上、読んでも書いても理解できるのに、一向に己の血肉にならない。

 {嗚呼|ああ}……知命とは、何か。
 どうすれば、どうなれば、知命できるのか。
 一体全体、何が、答えなのかッ!

 ……と、焦りはじめて一年と、
 プラスすること……手遅れが三年目!
 これを、〈息恒循〉では、ただ一言……。
 「無知運命期」と、呼ぶ。

 嗚呼、(ポリポリ)……元い。
 (アセアセ)……で、ある。

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