MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

ミワラ<美童>の座学日誌 No.114

#### ヨッコの座学日誌「心は劣悪の牢獄。脱出を阻害する{曲者|くせもの}とは」{然修録|114} ####


 『よい考え方とは、誠意ある姿勢で要領がいいこと? それで、善ある行いをして、私心を入れない? {解|わか}るけど、どうやってーぇ!?』

 《一人一宇宙。そこは、劣悪極寒の牢獄!》
 《集中を阻害する妄想は、命に根差した曲者!》

   門人学年 ヨッコ 青循令{飛龍|ひりゅう}

 {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。

      **{主題と題材と動機|モチーフ}**

   《 {主題|テーマ} 》

 よい考え方とは、誠意ある姿勢で要領がいいこと?
 それで、善ある行いをして、私心を入れない?
 解るけど、どうやってーぇ!?

   《 その{題材|サブジェクト} 》

 一人一宇宙。そこは、劣悪極寒の牢獄!
 集中を阻害する妄想は、命に根差した曲者!

   《 この主題と題材を選んだ{動機|モーティブ} 》

 スピアの後裔記の〈格物〉より。

 一に、熱意……
 二に、考え方……
 三に、善ありしか……
 四に、私心なりしか……

 正に、言うは{易|やす}し!
 {仕来|しきた}りの旅で経験した、数々のアルバイト……。
 イライラ! カリカリ! イライラ! カリカリ!
 怒鳴り散らし、行動しては、失敗ばかり。
 スピアと同じく、熱意では、誰にも負けない。
 でも、考え方、姿勢、心構えが、なってない!
 善どころか、憎しみと悪意に満ちて、私心爆発!
 正に、怒り心頭に発し、ヤケクソの八つ当たり!

 これが、現実。
 これこそ、自反と格物の処方を要す!
 素直に{省|かえり}みて、己を正す。
 わかっちゃいるけどさァ。
 でも、どうやってーぇ!?
 
      **題材の{講釈|レクチャー}**

   《 一人一宇宙。そこは、劣悪極寒の牢獄! 》

 体調は、悪くないのに、なんだか気分が{優|すぐ}れないときがある。逆に、何か嬉しいことや幸せな状態に置かれると、体調が悪くても、気分が晴れることがある。
 そんな心の動きは、正に独房の中に居る人間が{如|ごと}しで、共有したり同一であったりするような自分以外の人間は、誰一人として居ない。
 この世には、具体的な世界と抽象的な世界が、混在している。具体的な世界は、各々が自ら行動し、体験した世界。抽象的な世界は、読んだり聞かされたり信仰したりして、「そうである」と、{皆|みな}が認め合ってる世界。
 独房の中にいる自分という名の心は、言わずもがなこの自ら作った具体的な世界の中に居る。
 でも実際問題、あたいらは、地球上とか人類とか、世界中とかこの世とか言って、あたかも一つの大きな世界の中に、みんな一人残らず一緒になって住まっていると思っている。
 ところが真実は、一人ひとりが各々、独房という小さな世界……宇宙の中に居るに過ぎず、共有する時空は、一切無い。つまりは、この独房の中に、その人の人生のすべてがある。独房の外には、自分に関するものは、一切無い。

 家族{団欒|だんらん}、一つの大画面のテレビで、同じバラエティー番組を観ている。でもそれは、家族みんなが、{嘗|かつ}てはコトバで認め合い、それが今では、暗黙のうちに認め合っているという、{飽|あ}くまで抽象的な世界に過ぎない。
 逆に、その番組の具体的な映像は、各自の独房の中に、映し出されている。面白いとか、内容が{児戯|じぎ}に類するとか、そんな具体的な体験は、己自身の独房の中でのみ、体験することが出来る。
 面白いとか、つまらないとか、それは、飽くまで、コトバで一つの評価を共有……認め合っているという抽象的な世界なのだ。しかも、それが面白くても、つまらなくても、どちらかが正しいということはない。
 〈正しい〉というのは、言い換えれば、「人間同士が共に語り合い、コトバで{以|もっ}て認め合った、ある範囲内限定の事象……抽象的な、世界」と、言える。

 この世の〈世界〉というのは、自分が居て、他人が居て、そして、自然がある? そして、そんな地球のような星を無数に抱える大宇宙がある。
 でも、その中で、具体的な世界は、自分だけだ。他人の具体的な世界を体験できないのと同様に、自分は木でもなく、花でもなく、{況|ま}してや、宇宙でもない。
 唯一、現実的で具体的な体験は、独房の中で繰り広げられる、自分の心の中に映る自分、他人、自然、宇宙であるという事実のみなのだ。

 正に己の人生は、自分の心の中という牢獄に幽閉され、そこから出ることはできない。{何故|なぜ}、出ることができないのかッ! それは、{自尊|エゴ}心と呼ばれる種類の、劣悪極寒の牢獄だからだ。

   《 集中を阻害する妄想は、命に根差した曲者! 》

 その*自尊心*とは,どういう種類の心……{如何|いか}なる牢獄なのだろうか。
 熱意は無く、考え方は悪く、善のゼの字も無く、私心旺盛!
 この真逆であれば、己が{解|と}き放たれるだけではなく、牢獄そのものが、{瓦解|がかい}してしまうことだろう。
 でもそれは、限りなく不可能に近い、実際問題、不可能であることを、身をもって体験したことがない人間などいない。何故なら、それは、その人が、人間だからだ。
 その理由の一つに、「集中できない」という事実がある。

 善行に集中できなければ、熱意は薄れる。
 私心を除くことに集中できなければ、考え方は利己的になる。

 では、何故、集中できないのだろうか?
 それは、ついつい{余所事|よそごと}ばかりを、考えてしまうからだ。これ{所謂|いわゆる}、{妄想|もうそう}!
 ここで、妄想の排除……即ち、{莫|まく}妄想の登場♪ と、相成る{訳|わけ}だ。

 妄想には、三種類ある。
 先ず妄想とは、当座の問題を解くために、何かを考え出そうとしているときに、何かそれ以外のことが、頭に浮かんでくることを言う。または、「雑念」と呼ぶこともある。
 さて、それは、大きく三つに分類することができる。

 一に、好きなことが、頭に浮かんでくる{場合|ケース}。
 当面の問題の解決に、なんの役にも立たないことが、無意識に頭に浮かんでくることがある。勉強中とかデスクワークの途中、頭の中で、昨夜観た映画の批評をしたり、彼氏や彼女の行動の心理を推測したり……と、そんなところだ。
 何故、そんなことが、頭に浮かんできてしまうのか? 答えは簡単。映画や彼氏彼女が、好きだからだ。好きに理屈などない。ただ好きだから、無意識のうちに、脳裏に浮かんできてしまうのだ。
 無意識といえば、潜在意識。潜在意識といえば、記憶への刷り込み。刷り込みといえば、子ども時代が、最も刷り込まれ{易|やす}い。
 ……と、いうことはだッ!

 幼いころに、「学問が好き♪」と、刷り込んでもらっていたら、「勉強すなさい!」だなんて言われなくても、無意識に勉強をしてしまう。日頃、日常的に、無意識にやってしまうので、*一夜漬け*なんて骨折れ損の難行苦行を、やる必要もない。
 だから、妄想の三分の一は、親の責任なのだ。
 なので、無意識に映画の妄想をする人は、映画の仕事に就き、無意識に{幼馴染|おさななじみ}の友達のことを妄想してしまう人は、何がなんでもその幼馴染と結婚してしまうことに、話は尽きる。
 そうすればもう、妄想は妄想ではなくなり、現実の仕事や生々しい生活の現実と、相成るのだ。

 刷り込みというのは、命にその根っこを植え付けているから、刷り込みに反する……即ち、この手の妄想を断ち切るということは、正に「命懸け!」と、心得なければならない。そんなことをすれば、{益々|ますます}ストレスが強まり、まったくの逆効果となってしまう。

 二に、こんどは、その逆。
 {厭|いや}なことが、気になって仕方がなく、つい頭に浮かんできてしまうことがある。親に叱られた、上司に怒られた、友達と{喧嘩|ケンカ}した、金銭問題で人間関係が壊れた……等など、まァよくある話だ。
 ここで留意しなければならないのは、同じ浮かんでくることでも、自反や格物は、妄想には当たらないということだ。つまり、反省したり己を正そうと何かを考えているときは、妄想などではなく、{寧|むし}ろ、本題に取り組んでいる望ましい時間という訳だ。
 妄想というのは、自分を叱ったり怒ったりした人の表情を思い出したり、言葉尻の一つ一つを思い出しては非難してみたりと、己の未熟を棚に上げて、他人の非を並べ立てているとき、それが正に、妄想なのだッ!

 更にここで、{厄介|やっかい}なことがある。人間は、コトバ記憶ができる、唯一の動物だ。記憶したイメージの一つひとつに、コトバというタイトル……探し出して結びつけるためのインデクス
が、付いている。
 なので、「あの先輩は、嫌い!」と、{一度|ひとたび}思ってしまうと、その嫌いになる裏付けとなるようなその先輩に{纏|まつ}わる記憶が、次々と、数珠{繋|つな}ぎで引っ張り出されてきてしまうのだ。

 三に、ある音楽が聞こえてきたり、ある場所に行ってみたりしたときに、{何気|なにげ}に子供時代の記憶が、脳裏に{甦|よみがえ}ることがある。
 その記憶も、命に根を下ろしてはいるが、こちらは、誰に刷り込みをされた訳ではなく、見たり聞いたりしたことが衝撃となり、心に突き刺さったことによる記憶なのだ。
 言わずもがな……この記憶にも、コトバのインデックスが、付けられている。なので、当時の嫌な体験の記憶が、こちらもまた、数珠繋ぎに、引っ張り出されてきてしまう。……まァ、小説や映画の主人公が、よくやることだ。
 でもそれが現実で、しかも、我がこととなると、これは、問題有りだ。立派に、「妄想」と言える。但し、この手の妄想も、命に根差しているので、これを断ち切ることは、やはり、*命懸け*となってしまうのだ。

      **{自反|じはん}**

 再掲。

 一に、熱意……
 二に、考え方……
 三に、善ありしか……
 四に、私心なりしか……

 善に{悖|もと}れば、熱意は薄れる。
 私心が入れば、考えが腐る。  

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