#### ツボネエの座学日誌「努力という名の進化を探る、目的心理学」{然修録|112} ####
『一般に言う心理学と、目的心理学とは、何が違うのかッ!』
《自分が、このアタイなんだから、生まれ変わったって、その自分は、やっぱり、アタイなのさァ!》
《アタイにとっての善……〈ためになる〉こと。それが、不幸!》
《過去の地獄絵巻を{甦|よみがえ}らそうとする一般的な心理学と、アタイらが学んでいる目的心理学とは、どこの何が違うのか》
少女学年 ツボネエ 少循令{飛龍|ひりゅう}
{会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。
**{主題と題材と動機|モチーフ}**
《 {主題|テーマ} 》
一般に言う心理学と、目的心理学とは、何が違うのかッ!
《 その{題材|サブジェクト} 》
自分が、このアタイなんだから、生まれ変わったって、その自分は、やっぱり、アタイなのさァ!
アタイにとっての善……〈ためになる〉こと。それが、不幸!
過去の地獄絵巻を甦らそうとする一般的な心理学と、アタイらが学んでいる目的心理学とは、どこの何が違うのか。
《 この主題と題材を選んだ{動機|モーティブ} 》
マザメのねーさんの後裔記。
醤油フリフリ牛の乳しぼり婆さんが、マザメ先輩に言い残した語録。
「あんたら、{危|あや}ういと思うけどねぇ。
今のままじゃ……。
まァ、もう逢うことはないだろ うけどさ。何かを考える時間ができたら、このオンボロ婆ちゃんが言っとったこと思い出して、考えてみるといい」
だから、考えた。
アタイ、考える時間、いっぱいあるしーぃ……(ポリポリ)。
**題材の{講釈|レクチャー}**
《 自分が、このアタイなんだから、生まれ変わったって、その自分は、やっぱり、アタイなのさァ! 》
このままでいいのか? → よくない → 変わる? → 無理! → どうしてぇ? → みんな、性格が違う。そもそも、気質が違うんだもの。
アタイが思うに……。
本をいっぱい読んで、いろんな考え方や価値観に触れると、なんだか自分も変わってきたような気になる。でも、土台は、変わらない。土台{即|すなわ}ち、性格とか気質とか。そもそも、その土台を変える……崩してしまったら、すべての新しい知識や知恵が、総崩れになってしまう。
でも、アタイは、(このままじゃダメ。変わりたい! 誰かみたいになりたい……)とか、思っている。ダメだって思っているってことは、今、アタイは幸せではないってこと? 自分を幸せに出来ない自分なんて、嫌い。だから、他の誰か……別人にでも、生まれ変わりたい気分。
ここで、目的心理学を、学ぶ(……本読み)。
{曰|いわ}く、「自分が、このアタイなんだッ!」ってことを、受け容れよ……と。
**自分**が、このアタイなんだって言うんだから、それはそれでいいじゃん♪ ……って、ことだ。じゃあ、このままでオーケイなのか。まさかァ!
アタイを幸せにできないんだから、このままでいいはずがない。結果は、どうであれ、決して立ち止まることなく、今ここで、一歩。次の今ここで、また一歩。前へ、前へと、常に一歩一歩、踏み出さなければならない。
アドラー先生の語録……。
「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」
《 アタイにとっての善……〈ためになる〉こと。それが、不幸! 》
でも、アタイ思うに……。
裕福な家で、優しい両親に育てられている{子等|こら}もいれば、貧しくて乱暴で意地の悪い両親に仕方なく育てられている子等だっている。それだけじゃない。民族の違い、宗教の違い、国籍の違い、人種の違い……。
現実は、何を与えられたかによって、動いている。
ここで、目的心理学を、学ぶ(……本読み)。
曰く、与えられたものに固執していながら、自分や現実を変えることが出来るだろうか。人間は、ダメなら交換すればいいだけの機械部品ではない。必要なのは、交換ではなく、更新なのだ……と。
アタイが不幸なのは、不幸にさせるものを与えられたからではなく、ただアタイ自身が、不幸であることを選んだに過ぎない。
不幸を欲する人も、悪を欲する人も、{居|お}ろうはずがない。
古代ギリシャ……ソクラテスの語録。
「誰ひとりとして悪を欲する人はいない」
矛盾、逆説……正に、パラドクス。
この世の中、悪を欲しているかのような人間が、山ほどいる。{詐欺|さぎ}、強盗、殺人……{寧|むし}ろ、悪を欲しない清廉潔白な人間はいない……と、言いたくもなる。
でもそれは、行為が悪なのであって、純粋に悪事を働きたくて犯罪を犯す人間などいない。それは、欲したのではなく、そうせざるを得ない、しかるべき理由があったからだ。貧困、{怨恨|えんこん}……自分にとっての善のために、悪の行為に及んだということだ。
ギリシャ語の{善|agathon}の意味は、ただ単に、〈ためになる〉こと。
{悪|kakon}は、こちらも単に、〈ためにならない〉こと。
どちらも道徳的な意味は{疎|おろ}か、何かを欲する心情的な意味など、一切含まれていない。なので、どんな悪人も、〈ためにならない〉ことを欲して行為に及んでいる人間など、一人も居ないという{訳|わけ}だ。
だからアタイは、不幸を{蒙|こうむ}ったわけでも、ただ単に不幸を欲したわけでもない。不幸であることが、アタイにとっての善……〈ためになる〉ことだと、判断しただけのことなのだ。
{何故|なぜ}か!
その*しかるべき理由*が、アタイにはあった。
それって、なんだろう……。
《 過去の地獄絵巻を甦らそうとする一般的な心理学と、アタイらが学んでいる目的心理学とは、どこの何が違うのか 》
風前の{灯火|ともしび}だった心理学は、精神分析によって、再生する。無意識の罪悪感……地獄の恐怖を{抉|えぐ}り出す。特に、その精神分析は、甘やかされた子どもたちに、焦点が当てられた。
甘やかされた子等に芽生えた恨みは、様々な異常な行為への衝動を、引き起こした。そして、自ら積極的に、与えられた環境に適応しようとはせず、死を望み、それが、目標となる。正に悲観的な、分析の結果だった。
そんな、過去に焦点を置き、潜在的な無意識を分析する方法を主流としてきた一般に言う*心理学*と、今、アタイらが学んでいる目的心理学とは、何が違うのだろう。
目的心理学は、進化……未来を重視する。
何故人間は、努力をするのか。それは、完璧を目指す〈努力〉という名の進化の過程にあるからだ。この努力こそが、肉体的にも精神的にも、*生きる意欲*となる。{延|ひ}いては、逆境を成功へと方向を転換させる原動力ともなる。
アタイら子どもたちは、生まれつきの能力、その逆で自分に出来ないこと、環境から受ける様々な印象を、自由巧みに駆使して、長い人生に先立ち、自分の行動原理というものを、作り上げてゆく。
とは言え、完全な理想と、前途多難な自分とを比較してみれば、その{度|たび}に、劣等感に{苛|さいな}まれる。でも子どものうちは、感情によって大まかに{掌握|しょうあく}した能力を、自分の実力だと信じることができる。
そうやって子どもたちは、失敗や成功に左右されながら、未来の高みへと向かう道筋や、新たなる目標を、固めてゆく。
そんな高みへと、確実に上って行くためには、世間に存在する様々なことに気づき、そこにある問題が何かを知り、それは、自分に何を求めているかを理解する必要がある。
その問題を解決するためには、ある程度の社会との{繋|つな}がりを保ち、協力や共生……即ち、共同体の感覚を養うことが、不可欠となる。
この能力や努力が足りないと、劣等感が{湧|わ}き上がり、{躊躇|ためら}ったり回避するようになってしまう。この劣等感を、〈劣等コンプレックス〉と呼ぶ。
逆に、何がなんでも優越感を持続させたいと考える……{或|ある}いは、湧き{出|い}でてしまった劣等感を、なんとしても隠そうとする。これを、〈優越コンプレックス〉と呼ぶ。
**{自反|じはん}**
すべては、努力。
今ここ、常に、努力。
_/_/_/ ご案内 【東亜学纂学級文庫】
Ver.2,Rev.2
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