MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

一学49【学人学年ムロー】学徒と門人は儒学に走り、学人は原始仏教に走る。{成唯識論|じょうゆいしきろん}で知命を{捉|とら}える。

第3集「教学編」R3.1.3 (日) 7:00 配信

 一つ、学ぶ。

 俺が、俺が、俺が……。  オレがオレがオレが……。  おれが、おれが、おれが……。  と、{兎角|とかく}この世には、悪性の主役が多い。そこまで自慢したり大事にされたい俺……自分とは何か。そこまで恐れ多い高貴な{物|ブツ}というものが、果たして実在しているのだろうか。確かに、大物かもしれない。{戯|たわ}けた大それたモノという意味で!  オレがオレが……とは言っているが、その俺というモノは、本当は実態のない、タダの作りばなしなのではないか。もしそうなら、そのオレがオレが……という人の〈自分〉というものは、実際には存在していないのではないだろうか。  とまァ、自慢話に余念がない人に捕らえられるたびに、ろくすっぽ話も聞かず、そんなことばかりを考えながら、その場その時が過去へ送られるまでの途方もなく長い時間、俺は俺は俺は、堪え忍んでいるというわけだ。  そんな折も折、その〈{唯|ただ}に成るを知識〉として論じている書と出会った。正に、{縁尋機妙|えんじんきみょう}。俺……と、書き{辛|づら}くなってしまったが、まァ俺が欲してその書を探し当てたわけではなく、良い縁(書)が、ひょんなことでまた別の良い縁(書)を尋ねたのだ。  縁尋機妙と{併|あわ}さった{言乃葉|ことのは}というものがある。それが、{多逢聖因|たほうしょういん}。良い縁(機会、場所、人、書)と交わっていると、良い結果に恵まれるという意味だ。〈唯に成るを知識〉として論じているその書(縁)との出逢いも、この縁尋機妙を実感させ、多逢聖因を予感させるものだった。その論を{成唯識論|じょうゆいしきろん}といい、{或|ある}いは単に、{唯識|ゆいしき}ともいう。  誰だったか、「学人学年生や門人学年生が書く然修録は、小難しくて好かん!」とか何とか、そういった意味のことを書いて{居|お}った気がするけんども、まァそう言わずに、たまには小難しい人や書を尋ねるのもよかろう。  どこかの番頭さんの年頭{挨拶|あいさつ}、「相変わりましておめでとうございます」ではないが、自ら変われば、小難しいことも{唯々|ただただ}{易|やす}くスラスラと、己の頭の中に尋ねて来てくれるというものだ。たぶん。  {閑話休題|さて}、本題。

 この唯識、一に仏教の創生記。  大きな{括|くく}りで言えば、原始仏教だ。仏教は、原始仏教、部派仏教(小乗仏教)、大乗仏教に{順|したが}い、発展してきた。なので、仏教の起こり辺りのことを探らねばならない。  原始仏教と呼ばれるのは、仏教の開祖の{釈尊|しゃくそん}({釈迦|しゃか}を敬った呼び名)が生存していたころから、没後精々数十年までの期間に限定される。つまり、釈迦自身が説いた教説ということだ。正にまさに、百パーセント{純粋|ピュア}な仏教なのだ。

 この唯識、二に仏教の荒廃期。  これが、開祖入滅後百年ともなれば、宗教{然|しか}り、儒学然り、心理学然り、開祖の教説の様々な解釈が派生し、対立が起きる。仏教もその解釈を{違|たが}えて、保守的な{上座部|じょうざぶ}と、進歩的な{大衆部|だいしゅぶ}の二派に分裂する。  この分裂は、さらに続く。元の二派から十八の部派が{抜け出し独立して成立|スピンアウト}した。これら元の二部と、その{枝末|しまつ}の十八部を合わせて、小乗二十部という。この二十部派の対立の時代の仏教のことを、部派仏教{或|ある}いは、小乗仏教と呼ぶ。  この時代、簡潔{明瞭|めいりょう}だった釈尊の教説は、内容は{煩瑣|はんさ}(細かく込み入って{煩|わずら}わしい様子)と化し、解説は難解な熟語に置き換えられた。  こんなことに没頭してしまったがあまり、遂に仏教は開祖が説いた〈{衆生|しゅじょう}の救済〉という本来の目的を忘れ、俺が俺が……の自分だけのための{解脱|げだつ}(悟り)を手に入れるために、{自利行|じりぎょう}(自分自身を悟りに導く手立てとして自分自身に利益を与えること、つまりは自分の魂を救済するためだけの修行)するところまで没落してしまう。

 この唯識、三に仏教の復興期。  次に、この小乗仏教の弊害と原始仏教の没落を{嘆|なげ}く時代が訪れる。この時代は、奇縁にもキリスト生誕の紀元前後に起こる。小乗仏教が引き起こした弊害への反動とでもいうべきか、「自己の{修養解脱|しゅうようげだつ}によって他者を救済する」という釈尊が目的とした仏教本来の教説に復帰しようとする宗教運動が巻き起こる。これが、大乗仏教だ。  この大乗仏教では先ず、{般若経|はんにゃきょう}に基づいて{空|くう}思想というものが起こり、次に{解深密教|げじんみっきょう}に基づいて{唯識|ゆいしき}思想が起こる。ここに、唯識の誕生を見たというわけだ。

 この唯識、四に仏教の迷走期。  迷走とは、「心も{何|なん}もかんも全く{何|なに}もない」とするか、「いやいや、心だけはある」とするかの{是正|ぜせい}するか{否|いな}かの駆け引きのことだ。前者が般若経の空思想で、「有に非ず無に非ず。有りもしないが無くもない」という存在観を原点とするも、{空|くう}に{拘|こだわ}り過ぎて虚無主義に陥る{懸念|けねん}が生じていた。  対する後者が、解深密教の唯識。心は有ると宣言し、あらゆる存在は心の現れに過ぎないという存在観を徹底し、空思想に是正を求めた。彼らは{瑜伽|ゆが}、{即|すなわ}ちヨーガを、好んで実践した者たちでもある。

 この唯識、五に仏教の救済期。  さりとて、心以外のあらゆる概念を否定して無とするその論調から、一切何も存在しないという意味に誤解する、即ち虚無主義に陥る人が後を絶たなかった。この悪しき風潮を{止|とど}めるために、「識……即ち、心だけはある」と、唯識派の人たちは心に求め、迷いから悟りへと動いたのだった。    この唯識、六に仏教の混迷期。  歴史は繰り返すというが、哲学思想も仏教思想も然りで、対立を繰り返す。唯識思想のなかにあっても、これ然り。{阿頼耶識|あらやしき}、{末那識|まなしき}、{三性|さんしょう}といった独自の思想に展開してゆくが、{順|したご}うてその教理は、複雑で難解と相到る。  「{美童|ミワラ}の女子諸君! 小難しいなんて{生易|なまやさ}しいもんじゃーござんせんぜぇ。難解っす!」  いやはや何とも、失礼。  ここに、つまりこの難解さ{故|ゆえ}に、再び危険度が増す。仏教本来の目的である「衆生(迷えるこの世のすべての生き物)の救済」が、また置き去りにされようとしている。唯識思想は、再びこの悪しき傾向の是正を試みる。ヨーガを実践しながら、己の心をその奥底から浄化することによって、自ら迷いの道から抜け出し、悟りの正しき道へと進む。

 なぜ俺が!俺が!俺が! この唯識に興味を抱いたのか。少しは解っていただけたであろうか。{況|いわ}んや、この正しき道に進むために自ら己を正すところが、我らが{美童|ミワラ}立命期に学ぶ格物(己を正し、天命をも{格|ただ}す)に{相似|そうじ}していると感じ、そう思ったわけだ。

皇紀2681年1月1日(金) 活きた朝 2:43
学人ムロー 青循令{猫刄|みょうじん}

令和3年1月3日(日)号
一学49【学人学年ムロー】学徒と門人は儒学に走り、学人は原始仏教に走る。{成唯識論|じょうゆいしきろん}で知命を{捉|とら}える。

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M I W A R A BIOGRAPHY
- Akio Nandai "VIRTUE KIDS" Vol.1 to 12 -
V.K. is a biographical novel series written in Japanese with a traditional style.
Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.
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