#### ワタテツの座学日誌「能率向上のための〈手抜き〉は修行が必要」{然修録|115} ####
『要領がよくなるためには、どんな修行が必要か』
《要領が悪い指示も、素直に行動あるのみ。どんな悪態の指示も、良いほうに解釈する心のゆとりが肝要。手を抜かずに修行した者だけが、要領をよくするための手抜きを、身に着けることができる》
門人学年 ワタテツ 青循令{猛牛|もうぎゅう}
{会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。
**{主題と題材と動機|モチーフ}**
《 {主題|テーマ} 》
要領がよくなるためには、どんな修行が必要か。
《 その{題材|サブジェクト} 》
要領が悪い指示も、素直に行動あるのみ。どんな悪態の指示も、良いほうに解釈する心のゆとりが肝要。手を抜かずに修行した者だけが、要領をよくするための手抜きを、身に着けることができる。
《 この主題と題材を選んだ{動機|モーティブ} 》
サギッチの後裔記、**格物**より。
「考え方を変えなければ、おれのせいで、みんなを道連れにして、黄泉の坂を、転がり落ちることになる……」
考え方……俺の場合、正に無念!
まだ手遅れでない後輩諸君に、(もっと早く、{胆|きも}に命じておけばよかった)と思うことを、書く。
要領よく使命を{熟|こな}すためには、正しい心の修行が、必要だったのだ。
あの松下{翁|おう}でさえ、事業に成功したあとになってやっと、{丁稚奉公|でっちぼうこう}のころに正しい心の修行が出来ていなかったことに気づかされたのだという。
だからこそ、小循令のうちに……少年少女学年や門人学年のうちに、そこに気づき、一日も早く、その修行に取り掛かってほしいと思う。
**題材の{講釈|レクチャー}**
《 要領が悪い指示も、素直に行動あるのみ。どんな悪態の指示も、良いほうに解釈する心のゆとりが肝要。手を抜かずに修行した者だけが、要領をよくするための手抜きを、身に着けることができる 》
松下幸之助翁は、小学校を出るとすぐに、商家に丁稚奉公に出された。そのころの話……。
ご主人のところに来客があると、必ず呼ばれて{斯|こ}う言われた。
「おい、松下。タバコを、買って来い!」
そこである日、松下少年。気を利かせて、自分の小遣いで、タバコを買いだめしておいた。
主人に呼ばれて「タバコを買いに走れ!」と言われたら、その場で「はい、どうぞ♪」と、即座に手渡すことができる。
主人も客も、この気の{利|き}いた{所作|しょさ}は都合がよく、自分も時間が省けて、都合がいい。正に、要領がいい♪
{褒|ほ}められこそせずとも、ご主人さまも松下少年も機嫌がよく……とは、ならなかった。
なんと、このご主人さま! 松下少年を、叱りつけた。
「仕事に手を抜くとは、なにごとかッ!」
善意で一時的とはいえ小遣いを差し出して、気を利かせて充分に喜ばれるに足りる結果になったにも{拘|かか}わらず、怒鳴りつけられたのだ。少年は、斯う思ったに違いない。
「なにクソッ!」と……たぶん。
ところが晩年、この偉大な{翁|おきな}は、斯う言っていたという。
「あの小言をいまでも懐かしく思い出している。いま振り返ってみると、あれは私の人生に最も役立った教えの一つだったと思う」……と。
{何故|なぜ}、そう思えるように、心境が変化したのか。それは、氏が成功を重ねる過程で、何事もすべて善意に解釈して、己の心の肥やしにする余裕が{具|そな}わっていったからに他ならない。
でも、大概の人は、往々にして成功の寸前の修羅場で{諦|あきら}めてしまい、その晩年、「オレは昔から、上司には恵まれてなかったから、こうなるのも仕方がないよなーァ」などと回想するのがオチ! ……である。
言い換えれば、様々な物事、あらゆる他人からの言葉を善意に解釈できるような心の余裕を持たなければ、一度の成功すらおぼつかないということだ。
{即|すなわ}ち、腹が立つ{罵声|ばせい}を浴びせられても、そのコトバの中から教訓を読み取るだけの心のゆとりを持つことが大事……そこが、肝要なのだ。
では、氏が前出の商家のご主人から教えられた教訓は、なんだったのだろうか。おそらくは……。
「仕事というものは、理屈を言わないで、バカ正直にやることが基本。アタマで考えるのではなく、{身体|からだ}を働かせて、カラダで覚えよッ!」と、こんな感じだろうか。
この基本を、若い時分からしっかりとカラダに叩き込んでおかなければ、その後の商売の神髄を、知ることも悟ることもできなくなってしまう。
だから、手抜きは、時期尚早!
頭で考えた*手抜き*ではなく、身体で覚えた*神髄*が、結局は、結果として好ましい手抜きを生むこととなる。
原始仏教でも、お釈迦さまが、同じようなことを{説|と}いている。
{解脱|げだつ}していない者のことを、{衆生|しゅじょう}という。その衆生を救う専門家のことを、{菩薩|ぼさつ}という。その菩薩になるには、{六波羅蜜|ろくはらみつ}という修行をしなければならない。
その修行で、特に大事なことが、三つある。
一に、布施。困っている人に、自分の持ち物をあげること、
二に、持戒。規律を守ること。
三に、{忍辱|にんにく}。人が嫌がる仕事を、進んで引き受けること。
お釈迦さんは、この三つを黙って、理屈を言わずに行いさえすれば、本人のみならず、他人の悩みも解くことができると教えた。
身体が覚えることは、神髄であると同時に、真理なのだ。でもそれは、頭で考えてしまうと、要領が悪いようにしか映らない。
しかも、修行というのは、苦難を伴う。菩薩が衆生を救うやり方は、決して優しくもなく甘くもない。傷めつけたり、どやしつけたりしながら、自ら己の困難を克服するための〈要領〉を、衆生に会得させてゆくのだ。
実は、菩薩は、衆生の周りに、満ち溢れている。
見通しの悪い三差路で、車をぶつけられて、バンパー損傷。もしその些細な事故がなければ、大型トラックに押し潰されて、*あの世行き*のキップを渡されていたかもしれない。車をぶつけてくれた人は、実は、菩薩だったのだ。
些細な失敗だったのに、理不尽に怒鳴り散らされたから、腹が立って、でも腹が立ったから、改善すべき余地があることに気づき、空前の大ヒット商品を生み出した……なんてことだってある。理不尽に怒鳴り散らしたバカヤロー!上司は、彼もまた、菩薩だったのだ。
要領よく仕事をする人は、効率が良いという意味での〈手抜き〉という手段を、よく使う。但しそれは、〈手抜きをしない〉という修行を積んだからこそ、湧いて出て来る考えなのだ。
まだその修行が未熟、{況|ま}してやその修行の必要性すら感じていないような人間が、ただ単に〈手抜き〉という手段を考え出そうとすると、悪い意味での手抜き……ただの*横着*になってしまう。
要領をよくするための〈手抜き〉は、心の修行の成果なのだ。
**{自反|じはん}**
松下式経営の並み{居|い}る菩薩さまのうち、〈水道方式〉という菩薩さまが居るそうだ。「水道の水を使わせてください」と頼まれて、使った分の水のお金を請求する人は、まず居ない。それは、水道代が、安いからに他ならない。
安ければ、みんな気兼ねせずに使う……{或|ある}いは、買うのだ。だから、品質や機能は、他社と同じで、その上で、他社よりも値段の安いものを作ればいい。
そのために、工業製品にしても、農作物や養殖水産物、そして畜産の頭数にしたって、経営者や事業主は、大量生産とその生産性、そして更には、作業工程の細部に到る効率の向上に、全力を注いでいる。
{故|ゆえ}に、怒鳴られたくらいでショゲたり、ふて腐れたりしかできないような社員や従業員の存在は、正に、生産性と作業効率の低下を招く邪魔者でしかないのだ。
{戦|いくさ}……{然|しか}り。
我々自然{民族|エスノ}の敵……文明エスノは、人類史上最強の*ズノウ*という武器を、持っている。そんな相手に、{生|なま}のボンクラ頭で考えただけで勝とうというのが、土台からして、チャンチャラ{可笑|おか}しな〈お笑い花月劇場〉なのだッ!
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