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未来の子どもたちのために、
成功するための神話を残したい。
そのために、働く! 読む! 書く!
南内 彬男
なんだい! あきお
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_/ 1 /_/ 『亜種記』 *電子書籍
息恒循を学ぶ子どもたちの闘戦の旅
_/ 2 /_/ 「後裔記」 *メールマガジン
亜種記を構成する諸書(実学紀行)
_/ 3 /_/ 「然修録」 *メールマガジン
亜種記を構成する諸書(座学日誌)
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_/ 3 /_/ 然修録 第1集の子どもたち
寺学舎 美童(ミワラ) ムロー学級8名
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※電子書籍編集のための記号を含みます。
お見苦しい点、ご容赦ください。
#### スピアの座学日誌「成功する人と失敗する人、運命の分かれ道」{然修録|118} ####
『{何故|なぜ}多くの人が、失敗を経験してしまうのか』
《多くの場合、その失敗の原因は、一つ》
《失敗の原因を生み出す悪い{癖|くせ}を直す方法》
少年学年 **スピア** 少循令{猫刄|みょうじん}
{会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。
**{主題と題材と動機|モチーフ}**
《 {主題|テーマ} 》
何故多くの人が、失敗を経験してしまうのか。
《 その{題材|サブジェクト} 》
多くの場合、その失敗の原因は、一つ。
失敗の原因を生み出す悪い癖を直す方法。
《 この主題と題材を選んだ{動機|モーティブ} 》
美人(これ、本人の主張に{因|よ}る……)のヨッコねえさんの後裔記、**格物**より。
「で、提案!
いっとき、忘れた頃に、誰かさんが要領に関して読書したことを然修録に書いていたけれど、今まさに、それを{会得|えとく}体得しなきゃならない時なんじゃないかしらん?
でなきゃ、あたいらみんな、上舎……。
そして、その行く末は……。
ゾッとする!」
同感!
なので、ぼくから始めます。
**題材の{講釈|レクチャー}**
《 多くの場合、その失敗の原因は、一つ 》
言わずもがな、世の成功者たちは、みんなそれぞれに立派な人たち……では、失敗した人はみな、いい加減な人たちかというと、{寧|むし}ろその逆! 根っから真面目で、最初は熱意を持って、一*所*懸命に努力する人が、意外と多い。
失敗の原因が、幼少期に**{命|いのち}**に刷り込まれた性格だとしたら、それは確かに、格物(己を正すこと)の対象とは成り得ない。でも、もしそうだとしたら、失敗する人間に、未来は無い。
前述の成功者……立派な人たちは、声を{揃|そろ}える。
{斯|こ}うだ。
「失敗する人たちは、みな同様に、粘りが無い。{上手|うま}くいかないと、直ぐに{諦|あきら}めてしまう。努力はするが、それは{人並|ひとなみ}{月並|つきなみ}の努力を超えることはない。壁にぶち当たると、直ぐに{体裁|ていさい}の良い理由を作文して、自分を{慰|なぐさ}め、断念する己を{許|ゆる}し、それを正当化してしまうのだ」
何故、簡単に断念してしまうのか。それは、「もう、{勘弁|かんべん}してくれーぇ!!」と、{折|お}れて訴えかけてくる己の心に、負けてしまうからだ。不安は、疑念を生み、その疑念は、また新たなる不安を生む。そんな粗悪な環境で{充|み}ちた脳ミソが、五感に{電気信号|インパルス}を送り出すとしたら、結果は、良くなる道理もなければ、可能性すらない。
それに、悪いことに、そんな脳ミソは、五感のうちでも特に聴覚を嫌い、結果、機能不全に陥ってしまう。{所謂|いわゆる}これ、「聞く耳を持たない!」ってやつだ。成功した人や、その道の先達から、素晴らしい話や良い方法を聞いても、素直に受け{容|い}れることができない。
「そんなお金はない」とか、「そんな余裕はない」とか、{兎角|とかく}なんやかんやと自分に備わっていない条件や、できない理由を並べ立てて、「……(だから、)出来ないんです。どうすればいいのか、教えてください!」と、{穏便|おんびん}に逆切れして見せたかと思うと、矢庭に老いたように背中を曲げてヨボヨボと歩き去ってしまう。
じゃあ、成功した人たちの脳ミソは、そんなとき、どう思ったのだろうか。
「そんなお金はないけど、そういうお金は、なければならない」
「そんな余裕はないけど、そんな余裕は、なければならない」
……と、先ずは*思うこと*から行動を始めたのだ。
そう思わなければ、決して、そうはならない!
《 失敗の原因を生み出す悪い癖を直す方法 》
失敗の言い訳や、自分を慰める理由付けは、{何処|どこ}から生み出されるのだろうか。それは、三種類ある{妄想|もうそう}のうち、(最悪!)と思われる二番目、{嫌|いや}なことが気になって展開し、脳ミソに{蔓延|まんえん}してしまう{質|たち}の妄想だ。これを、排除しなければならない。
妄想の{要|かなめ}は、なんと言っても、やっぱり言葉だ。命への刺激も、幼少期に刷り込まれた好き嫌いも、様々な後ろ向きの負のイメージ記憶も、それらすべてが、各々*コトバ記憶*と{繋|つな}がり、そのコトバを索引にして、次から次へと、妄想が引き出されてくるからだ。
そんなふうに{譬|たと}えコトバと繋がっていたとしても、妄想によって無理矢理に引っ張り出されさえしなければ、そのイメージ記憶は、思い出されることはない。適宜必要なときに、〈行動〉に働きかけるに{止|とど}まる。所謂、*直観的*な行動というやつだ。鳥や{獣|けもの}は、妄想しない。{故|ゆえ}に、正にこれ……直観的行動のみなのだ。
と、言うことは……鳥や獣をお手本にすれば、失敗の根源の妄想を、排除することができるということだ。そのお手本には、{斯|こ}うある。
一に、{愚痴|ぐち}をこぼさない。
声に出すと、負のイメージ記憶は、強化されてしまう。黙読より音読のほうが、より*感じ*が出る。{節|ふし}をつけて歌ったほうが、情に訴える。みんなで合唱すると、何故だか泣けてくる。
{故|ゆえ}に同様、他人の悪口や{妬|ねた}みを、他の人に声を大にして聞かせると、負のイメージ記憶が肥大してしまい、悪意に満ちてしまう。もし、犬や猫が、愚痴を言葉にして声を出して言いふらし始めたとしたら、そのままペットとして、可愛がられ続けることができるだろうか。
二に、済んだことは忘れる。
忘れてしまっては、自反(自ら{反|かえ}る……素直な反省)をすることが、できなくなってしまう。なので、理性に訴えて、心の中で行う。コトバ記憶を索引にして引き出された負のイメージ記憶を、クヨクヨといつまでも思い悩むことではない。
起こってしまったこと……済んだことは、(あのとき、こうしておけばよかった→〈直行便〉→そうすれば、あんなことにはならなかっただろう→〈直行便〉→この次からは、そうしよう! そうしましょう♪)……と、通勤特快よろしく、完結させなければならないということだ。
三に、無駄な努力はしない。
他人の悩みを解決するための修行……所謂、善修行をしている{訳|わけ}ではないのだから、腹がへった→我慢→妄想→莫妄想(妄想を断ち切る)などといった努力の必要は、どこにもない。程度によるのは当然だけれども、甘く{旨味|うまみ}のあるシズルが流れてきて、そこから妄想が始まって無駄な時間を奪われてしまうくらいなら、その時間を、食べる時間に当てたほうが、よっぽど動物として健康的というものだ。
これは、食べる食べないという命に関わる問題から発展する妄想だけれども、そうでない軽微な妄想は、ただコトバを索引にして引き出されただけのものなのだから、理性を使って、ただただそれを、断ち切ってしまえばいいだけの話なのだ。
四に、{坐禅|ざぜん}する。
坐禅とは、最も妄想が起き易い環境を作り、湧いて出てくる妄想を、次々と断ち切ってゆく修行のこと。無念無想……{坐|すわ}って、目を半眼にして、ゆっくりと腹式呼吸。雑念が起こる→切る(別のことを考える)……と、ただこの繰り返し。これで、妄想を切る癖……即ち、莫妄想の習慣が、身に着く。
自分の悪い癖を直せないのは、それに気づいていないことが原因であることが多い。自分の悪い癖に気づく努力をする→その悪い癖が出てこようとする→これを断ち切る……と、これもまた繰り返すことができれば、{猶|なお}よし♪
五に、言葉{遣|づか}いに気をつける。
自分の行動に、なんらかの失敗が含まれる→{叱|しか}られる→言い訳をする→「おまえ、バカかァ!」「おまえ、何回言ってもダメだなァ!」とかいう罵声が返ってくる→逆切れして{棄|す}て文句を吐く……負(悪夢)のスパイラル!
言い回しが自由なところは、情に訴えたいときには重宝するけれども、使い方を間違うと、負の妄想が、次々と{噴|ふ}き出してくる。なのでここは、理性の働かしどころなのだ。
六に、身体を動かす。
身体を動かせば、{憂|う}さ晴らしになる。当然、妄想から気を{背|そむ}けることに役立つ。これも、声を掛けながらやると、より効果が上がる。掃除一つにしても、掛け声と共に動けば、クヨクヨとした悩みも、徐々に衰えてくるというものだ。
呼吸でも声を掛けるのが、これ所謂、腹式呼吸……即ち、善修行♪ 「ひとーォつぅ」で、長く息を吐く→〈ひとりでに、息を吸い込む〉→「ふたーァつぅ」で、また長く息を吐く……これ、{数息観|すそくかん}。疲れたり興奮したりして眠れないときにも、有効だ。
七に、念仏を唱える。
何も、宗教心を{煽|あお}ろうという訳じゃない。無宗教でも、気楽に試すことができる。そもそも、「{南無阿弥陀仏|なむあみだぶつ}」や「{南無妙法蓮華経|なむみょうほうれんげきょ}」の*南無*とは、「お願いします」という意味だ。
(ぼくの妄想……悩みごとを、阿弥陀仏さんや妙法蓮華経さんにお任せするんで、良いように片付けておいてちょ!)……なんて思いを、お願いする。そのとき、これもやはり、音があったほうが、より効果的だ。チンドン屋よろしく、{賑|にぎ}やかに{鉦|かね}や太鼓を鳴らす。{兎|と}に{角|かく}、リズミカルなのがいい。
こうやって*お経*を{奏|かな}でていると、莫妄想を無事に終え、理性が眠りに着き、暗示され{易|やす}い状態となる。これが、所謂、催眠効果というものだ。
**{自反|じはん}**
ぼくの目標は……。
「あいつ、いつも手を抜いてサボってばかりいるけど、どうもって言うか、どうにも{憎|にく}めないんだよなッ!」……って、みんなから言われること。
これって、ダメかなッ! ……(ポリポリ)。
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