MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

然修録 第1集 No.122

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未来の子どもたちのために、
成功するための神話を残したい。
そのために、働く! 読む! 書く!
人生は、今とここのみ。
{生業|なりわい}は、{莫|まく}妄想、意識、要領。
嗚呼、嗚呼、嗚呼……阿呆寅、
まだ、五つ♪(×12年駆動)
南内 彬男
なんだい! あきお
文筆{性懲|しょうこ}りもなく35年 (/▽\)
家父長{懺悔|ざんげ}の30年 m( _ _ )m
酪農修行ぼんくらの3ヶ月 ( ̄。。 ̄)
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_/ 1 /_/ 『亜種記』 *電子書籍
息恒循を学ぶ子どもたちの闘戦の旅
_/ 2 /_/ 「後裔記」 *メールマガジン
亜種記を構成する諸書(実学紀行)
_/ 3 /_/ 「然修録」 *メールマガジン
亜種記を構成する諸書(座学日誌)
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_/ 3 /_/ 然修録 第1集の子どもたち
寺学舎 美童(ミワラ) ムロー学級8名
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※電子書籍編集のための記号を含みます。
  お見苦しい点、ご容赦ください。

#### ヨッコの座学日誌「渡る世間を戦場にし、全人類を敵に回す勇気」{然修録|122} ####

 『良好な人間関係なんて、本当にこの世に存在するのかッ!』
 ●{嫌|イヤ}なことは、忘れてしまえばいい。
 ●向いていないことは、辞めてしまえばいい。
 ●偉大なる自然人に、なればいい。
 門人学年 ヨッコ 青循令{飛龍|ひりゅう}

 {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。

 **{主題と題材と動機|モチーフ}**

 ■□■ {主題|テーマ}

 良好な人間関係なんて、本当にこの世に存在するのかッ!

 □■□ その{題材|サブジェクト}

 {嫌|イヤ}なことは、忘れてしまえばいい。
 向いていないことは、辞めてしまえばいい。
 偉大なる自然人に、なればいい。
 
 □■□ この主題と題材を選んだ{動機|モーティブ}

 真に良好な人間関係なんて、あるはずがない。
 (やっと嫌われなくなった……)とか、(やっぱり神様は、ぼくに味方をしてくれたんだァ♪)とか、そんなふうに思った矢先、奈落の底に、突き落とされる。そんなことは、よくある話だ。

 嫌われたら、殺されてしまう……みたいな、今のあたいら亜種、自然{民族|エスノ}は、確かに特例なのかもしれない。でも、自分勝手だとか、思い{遣|や}りが無いとか、平気で他人の人格を否定するだとか、嫌いな人間を見下して仲間外れにするだとか、そんな負の{質|たち}を一切持たない、善行と優しさの{塊|かたまり}のような人間など、この世に一人たりとも居るはずがない。
 そんな人間たち一人ひとりを相手に一喜一憂するような無駄な時間を費やすくらいなら、最初から、(この世は、{何処|どこ}もかしこも戦場! 周りの人間は、どいつもこいつも皆敵!)だって思ったほうが、より効率的だし、より要領よく生きてゆけるというものだ。

 今にしてこんな考え方に到ってはいるけれど、確かにあたいら{美童|ミワラ}は、あらゆる事象を前向きに{捉|とら}えることができるようになるために、心を{鍛|きた}える東亜の哲学を学び、己自身にも周りの人間たちにも善行を促すような肯定的な目的心理学を、学んできた。
 それは、否定するべき{類|たぐい}のものでもないと思うし、事実、それを実践して成功を修めたり逆境を克服した人は、ごまんと{居|い}る。だから、「それでいい」とか、「これでいい」とかに該当する人も、実際問題ごまんと居るという訳だ。

 でも……あたいらは、例外。しかも、実際に本当の戦争が、迫り来ているのだ。時代は、{既|すで}に{渦中|かちゅう}。立ち{眩|くら}みでもなければ、{眩暈|めまい}でもない。実際に、外界が渦巻いているのだ。

 外界すべてが戦場!
 会う人すべてが敵!
 闘う勇気!

 **題材の{講釈|レクチャー}**

 ◆◇◆
 {嫌|イヤ}なことは、忘れてしまえばいい。

 ある日、禅修行をしている弟子が、その師に{斯|こ}う{訊|たず}ねたそうだ。「先生! 禅とは、なんですか?」
 師、{曰|いわ}く。
 「忘れることだ。
 忘れ去ることだ。
 また、捨てることだ。
 捨!」
 {兎角|とかく}人間という生き物は、年をとると「物忘れがひどくなったなーァ」と言って、自らを{嘆|なげ}く。でも、それでいいのだ。{何故|なぜ}なら、忘れていいものを忘れているだけのことだからだ。
 逆に問題なのは、妙に{拘|こだわ}ったり、どこかが引っ掛かったりしていて、忘れていいものを忘れられないでいるような場合だ。{所謂|いわゆる}、{囚|とら}われ! 心を捕らえられ、実際に手足を{縛|しば}りつけられてしまうのだ。

 またある日、弟子が師に訊ねた。「先生! 禅とは、なんですか?」
 師、曰く。
 「ため息だ」
 ため息をつくと、{身体|からだ}の中に溜まっている汚れた気が、ため息と一緒になって外に排出される。{即|すなわ}ち、捨てること……捨! 捨てなければ、生きるための新鮮な空気は、一切入っては来ない。忘れること捨てること……正に、ため息は〈禅〉なのだ。

 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という{諺|ことわざ}がある。拘りや引っ掛かりで忘れられないでいると、{溺|おぼ}れて{直|じき}に死んでしまう。自分を捨てたとき初めて、浮かぶことができるのだ。(浮かぼう!浮かぼう!)と思ってジタバタもがけばもがくほど、どんどん沈んでいって{溺|おぼ}れ死んでしまうという{訳|わけ}だ。
 「もう、どうにでもしやがれーぇ!!」と、捨て身……所謂一つの自己投棄っていうやつが、溺れずに生き残るためには必然にして実際に必要なことなのだ。
 
 ◆◇◆
 向いていないことは、辞めてしまえばいい。

 「魚に{鰭|ひれ}有り{蟹|カニ}に足有り。{倶|とも}に洋に在り。
 {曾|かつ}て鰭を{以|もっ}て得と為さんか。
 足を以て得と為さんか」

 ワタテツが好きな日本最古の兵書、『闘戦経』にある語録だ。魚には鰭があり、蟹には足がある。どちらも海に{棲|す}まっているが、鰭を持っているのと足を持っているのと、どちらのほうが得だろうか……と、まァそんな意味だ。
 得か損かとを考える前に、魚は鰭が無いと生きてはゆけないし、蟹は足が無いと生きてはゆけない。不向きなことをやって、{梲|うだつ}が上がらなくても生きてゆけるのは、自然界広しと{雖|いえど}も、人間くらいのものだ。
 他の生き物たちは、そうはいかない。人間も、亜種への分化に{順|したが}って、そうなりつつある。{故|ゆえ}に人間は、絶滅へと転がり落ちながらも、自分に向いていることを必死で希求し、それらしきを見つけ見極めたならば大努力をして、その向いている得意分野の腕を、大いに磨かなければならない。

 そして、もう一つ。魚は、生涯泳ぎ続け、蟹は、生涯歩き続ける。人間も、生涯四六時中、向いていることをやって生きてゆかねばならない。だから、長時間やると疲れたり{飽|あ}きたりするようなことは、「向いている」とは言えないのだ。

 ◆◇◆
 偉大なる自然人に、なればいい。

 昭和を駆け抜けた人間力研究の偉人……行動を続けるその哲学者が残した{玉稿|ぎょっこう}語録より。

 「人間は、どこまでも{亭々|ていてい}として{聳|そび}ゆる野中の杉、{尾上|おのえ}の松の{如|ごと}く、すくすくと伸びていかなければならぬ。たえず枝を払い、{懐|ふところ}をすかせ、花あれば花を間引き、実成れば実を間引き、絶えず努力すれば、偉大な自然人になることができる」

 **{自反|じはん}**

  ちょっと、ワタテツっぽいことを書いてみた。いつものあたいっぽくないけど、あたいのこと、({贋物|にせもの}ーォ?!)だなんて……思いたきゃ、勝手に思いなさいよねぇ!

 無論、これは、ツボネエちゃん、スピア、サギッチ……以上三名が書いた後裔記の読後感……ってことでぇ♪

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