MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

東亜学纂学級文庫

『息恒循』を学ぶ

一学72 ミワラ〈美童〉の然修録 R3.4.3(土) 朝7時

#### 然修録「和人は左脳と右脳の二刀流、自然人は直感一刀流」 少女ツボネエ 少循令{飛龍|ひりゅう} ####

 日本人は、脳の*左半球*の味噌で人間力を養い、*右半球*の味噌で稼いで、豊かになった。対して今どきの自然人……特にあたいは、右半球の直感*一つ覚え*女子。で、*その直感力って*、何様ーァ?!

 一つ、学ぶ。

 あたいは、テレビは観ない。
 ストーリー好きの女子だから。
 起きてるときは、シートフォンで映画を観る。
 寝てるときは、層脳に映った夢を観る。
 眠ってるときは、膜脳に映った無を観る。
 無は、無色透明。
 それが、真実。

 あたいは、直感人。右脳のみで、生きている。
 でも、あたいらの先祖ニッポン人は、普段は左脳で{堅固|けんご}な護りを装っているけれど、イザッ!というときには、すべての門戸を開いて、驚きの無防備……まさに捨て身となり、右脳の直感のみを武器にして、己の人生すべてを{賭|か}けて勝負に出るという、特異な民族だった。
 普段は、左右の大脳を補完的に使うことによって、{俯瞰|ふかん}的な物の見方、考え方をする。その片方……右脳の奥底には、実は、物事を総合的に{纏|まと}めるための{幾多|いくた}の能力が、秘められ眠っている。
 その数々の能力たちに、ラッパのけたたましい響きで、「総員起こし!」の大号令をかける……。
 この特異な脳の{味噌|ミソ}を、欧米人たちは、「信じられない!」といった顔で、{傍観|ぼうかん}してきた。{然|しか}し、実は、その日本人の頭の中の味噌は、欧米人たちが傍観してきたその歴史のなかで、正に{培|つちか}われ、受け継がれてきたのだ。
 何が培われ、どう受け継がれてきたのか。それは、あたいら子どもの社会では、{判|わか}りにくい。大人の社会の歴史を覗き見るほうが、話は早い。例えば、定期昇給とか年休序列といった左脳が得意とする経営手法は、儒学を基盤として培われたものだ。
 そんな、石橋を叩くだけで、なかなかその橋を渡ろうとしなかった堅固な組織が、ある日、あるとき突然、「まァ、ともかく、渡ってみましょうやァ♪」と、言い出し、総員こぞって、ドヤドヤとその橋を渡りはじめるのだ。欧米人でなくても、同じ血を持ってるあたいらでさえ、理解に苦しむ。

 歴史のお勉強は、{一旦|いったん}ここで置く。
 「一旦ということは、またいつか再開するってことォ?」
 はいはい。
 「ハイは、一回で宜しい?」
 はーーーぃ!!
 でもそれは、各自各様で、よろしくーぅ♪
 では、本題。
 あたいらの武器、〈直感〉のこと。

   《 直感力とは、どんな武器なのか…… 》

 一に直感力は、普遍的である。
 歩いたり話したり泳いだり、寝っ転がったら眠くなって、浅い眠りのなかで夢を観たりってこと。{即|すな}ち、みんな、誰もが持ってる能力ってことね。
 でもね。海やプールに興味が無い子が、水泳教室に通おうなんて思わないのと{同|おんな}じで、自分の直感力に興味を持って、その力を信じ、顕在意識や潜在意識との間に信頼関係を築かなければ、この直感力ってやつは、なかなか表に出て来てはくれない。
 要は、開発するってこと。「それって、いつ? どこで?」って、思うよね?
 それはね、意外や意外!
 まさに今、あたいら子どもの時期限定。しかも、その場所は、家庭、学校……そして、大人たちが{創|つく}った、社会環境。
 それがもし、みんなが直感力を信頼している社会環境なら、家庭のなかや学校のなかで躍起にならなくっても、直感力は、自然と身に着く。でも実際は、言わずもがな……そんな社会は、{既|すで}に{亡|ほろ}んでしまっている。

 二に直感力は、幅が広く、奥が深い。
 その幅も奥も、限りなく無限に近い。
 例えば、他人の個人的な秘密、科学の詳細、将来の予測、活字に残っている史伝の数々、何一つ記録が残っていない歴史的な情報、遠く離れてしまった仲間たちと交信したい情報のあれこれ……等など。
 でもね。せっかくこんな素晴らしい直感力を開発しても、一切、何も機能してくれない場合がある。それは、目的がハッキリしない時と、誰かに損害が及んでしまう場合。
 即ち、信頼関係を誤解するなってこと。直感力に依存してはいけない。「動けッ!」って指示を出す顕在意識や潜在意識が、シャキッとしてないとダメ!ってことね。

 三に直感力は、必要なときのみに働く。
 興味本位やお試しでは、動いてはくれないってこと。本当に必要かどうかを判断してから、「動けッ!」って支持を出してあげなきゃダメってことね。
 まァ、本当に必要かどうかを知る方法なんて無い{訳|わけ}なんだから、厳密に厳格な判断を下すなんてことは、出来っこないんだけどさッ!

 四に直感力は、言葉を持たない。
 言葉によらずに支持を出し、その答えも、言葉ではない表現で返って来るってこと。
 ここで、直感力を持った主が、潜在意識でも、{況|ま}してや顕在意識でもないことを、思い知る。
 名付けて、超意識!
 開発しないと会えないんだから、それをどう呼ぼうと、会えた人の勝手でしょ? ……みたいな(アセアセ)。
 潜在意識が表現に使うのは{象徴|シンボル}なので、まだどうにか、超意識の表現に翻訳して発信したり、逆に受信して象徴に翻訳することもできる。でも、顕在意識の表現は言語や{画像|イメージ}だから、直接翻訳することは、困難だ。なので、{自|おの}ずと潜在意識が、通訳の役柄と相成る。
 この超意識の表現というのは、極めて抽象的……即ち、概念的で{曖昧|あいまい}で{判|わか}り{難|にく}い。{然|しか}しながら、一つ。ここで、言っておく。これを直接、顕在意識で翻訳できるようにならなければ、直感の真の活用は、期待できない。

 五に直感力は、万人が生まれ持っている。
 持っているけれども、訓練しなければ、その直感力の主、超意識と対話することは出来ない。
 でも、その訓練は、誰にでも出来る、簡単なこと。信じて信頼関係が出来上がってさえしまえば、あとはスイスイと、開発が進む。
 しかも、その開発すべき直感力というのは、実は、極めて合理的な手法で、ひとたび出来てしまえば、なんちゃない能力なのよん♪

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「教学編」朝7時配信……次回へとつづく。
「自伝編」は、教学編の前夜7時に配信です。

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