MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

然修録 第1集 No.133

#### スピアの{然修録|133}【1】座学「{見性|けんじょう}」【2】息恒循〈生涯〉天命 ####

 {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。
 少年学年 **スピア** 少循令{猫刄|みょうじん}
     
【1】座学
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{見性|けんじょう}

 以前、マザメ先輩が、こんなことを然修録に書いていた。
 外国人の{弓道|きゅうどう}修行者が、要領を体得した{経緯|いきさつ}の話だ。正に、「でかしたッ!」の快挙だった。でも、弓道の師匠は、彼を、認めなかった。
 彼がやったことは、要領{会得|えとく}の基本だった。
 一に、先ずは馬鹿になって、やってみる。
 二に、{惰性の繰り返し|マンネリズム}にならないためにはどうするかを、考える。
 三に、無駄を、排除する。
 四に、より簡単で明瞭な方法を考案、または発見する。
 ……と、正に、この基本に忠実に{順|したが}っていたのだ。
 それなのに師匠は、「これ以上教示しても、見込みがない」として、彼を指導することを、{止|や}めてしまった。
 な、な、{何故|なぜ}かッ!

 そこで彼が偉かったところは、弟子に{留|とど}まることを、第一に考えたことだ。再び馬鹿になって、師匠の指導に外れたことは、一切考えないということを、師匠に誓約したのだった。
 そうやって修行を続けた結果、ある日、師匠が、弓を射ている彼の手を止めて、{斯|こ}う言った。
 「今しがた、*それ*ができましたね」
 〈それ〉とは、〈無我の我〉のこと。彼は、歓喜感激した。
 これは、道で言えば、「極意」。俗に言えば、「悟り」。禅では、「{見性|けんじょう}」と言うそうだ。{何|いず}れにしても、それは、彼が*最初に会得した要領*よりも、数段上の次元に到達しなければ得ることのできない*最高峰の要領*だと言える。

 善い組織には、「無神通の{菩薩|ぼさつ}」と呼ばれる人が{居|い}るという。派手な神通力を発揮する{訳|わけ}ではないが、長い目で見ると、神通力と言わざるを得ないような力を持っている人……{則|すなわ}ち、*極意*を会得している人ということだ。
 例えば、とうに定年を過ぎたお爺ちゃんが、なんとなく会社に来ている。会社に来て何をしているかは、よく判らない。でも、そのお爺ちゃんが会社に居ると、なんとなく、いろんなことが{上手|うま}くいく。自然に、無駄なく、上手くいくための環境を、誰かが陰で、整えてくれているという訳だ。

 ここまでで彼は、恐らくその極意を、「*最高*だ!」と思っていた{筈|はず}だ。当然だと思う。無我……意識しないのに、指の力が自然に抜け、矢が放たれる。でも彼は、それを理屈で、自分自身を納得させたかった。これも、当然だと思う。特に、ぼくのような{質|たち}の人間は、そうなのだ。
 そこで彼は、師匠に訊ねた。すると師匠は、{斯|こ}う答えた。

 「あなたは、無用の心配をしています。あなたは、念頭から、{中|あた}りのことを追放しなさい。あなたは、たとえ射がことごとく中らなくても、弓道の師範になれるのです」……と。

 それってさァ……「的に当てようと思ったら、的に当てることを考えてはいけない」ってことだよねぇ? 「なんでよォ!」って、思うよねぇ? ……当然。
 ここで、その後日談。
 ある日、師匠は、彼を呼んで、自ら矢を放ったのだった。しかも、それは夜。辺りは、真っ暗の闇の中。彼は、指示されるがままに、的の前に、先端が赤く灯った線香を、一本だけ立てた。線香一本の明かりが、どれほどのものか……的の暗さは、{容易|たやす}く想像できる。
 結果……。
 ぼくは、弓道は詳しくないので、平たく書く。一本目の矢が、的の中心の黒点に、突き刺さった。二本目の矢も、一本目の矢のお尻の部分に命中し、そのまま的の中心の黒点に、突き刺さった。放った矢の二本ともが、真っ暗な闇の中に必ずどこかにあるたった一つだけの的のしかもその中心の黒い一つの点を、射抜いたのだ。

 彼は、その二本の矢を抜いて別々にしてしまうのが忍びなく、二本の矢が刺さったまま、その的を、持ち帰ったそうだ。その顛末を書き綴った手記に、彼は、{斯|こ}う書き残している。
 「師範は、礼法を*舞った*」と。

【2】息恒循
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〈生涯〉天命

  生涯道徳。
  その一生。
  四十九年間。
  零歳から四十八歳までの人生。

 命は、先天的な特性を備え、後天的な能力を{育|はぐく}むことができる。その先天的なところを「天命」と言い、後天的なところを「運命」と呼ぶ。
 先天的なところとは、生まれながらにして{賦与|ふよ}されている特性を指す。
 後天的なところとは、修養によって、{如何|いか}様にでも変化せしめられる能力を指す。
 天命は、宿命のように動きのとれないようなものではなく、修養や徳の修めかた次第で、どんなものにでも変化させることができる。{故|ゆえ}に、自ら限界を作ったり、変わる努力に{悖|もと}ることがあってはならない。

 これが、人間が浅はかであったり、それ故に無力{或|ある}いは無気力であったりすると、それこそ{所謂|いわゆる}宿命に囚われる身と相成ってしまう。人間力を磨かなければ、運命を育むことは出来ない。逆に、運命を育むことができれば、自ら己の〈命〉というものを、自由に創造することが出来る。
 それを、「{命|めい}は{吾|われ}より{作|な}す」と言う。

 では、運命を育むために、どうやって、その*人間力*というものを磨けば{謂|い}いのか。それは、「どうすれば、天の道を歩むことができるか」という問いに、言い換えることができよう。
 宇宙……{造化|ぞうか}の天地自然は、自らが飽き足りる人生を、命として人間に与える。それこそが、自己実現へと向かう力……{則|すなわ}ち、〈努力〉である。
 {俟|ま}つところを求めない心を{以|もっ}て、{生々化育|せいせいかいく}に{順|したが}った努力をする。これを、「誠」という。この**誠**こそが、天の道である。誠によって万物が{在|あ}り、誠が無ければ、〈物〉も無い。
 人間の力とは、この誠に{由|よ}って生き、{禽獣|きんじゅう}には無い自覚が生じ、正に誠なるものを体得し、それを力として天の道を、歩んでゆく。これを、「{誠之|せいし}」と言う。

 {然|しか}しながら、人間というものは、次第に天地自然の道を自ら{逸|そ}れ、隔て、分かれてゆく性質を皆が持っている。これも、造化の一部、運命という能力の一つであることも、実際{否|いな}めなはしない。悪いのは、そこで、私心に執着し過ぎることによって、〈誠〉に{叛|そむ}く結果となり{易|やす}いというところだ。
 これは、天と己を断つ……則ち、人間を{止|や}めることに他ならない。この、人間を止めたところに、諸悪が{蔓延|はびこ}る。

 この諸悪を断つ唯一の方法は、正に……「{唯|ただ}天下の至誠のみ{能|よ}く性を尽くすことを{為|な}す」ことである。

(Ver.2,Rev.0)

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