MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

然修録 第1集 No.135

#### オオカミの{然修録|135}【1】座学「真実は{何処|いずこ}に」【2】息恒循〈一の循〉{幼循令|ようじゅんれい} ####

 {会得|えとく}、その努力に{憾|うら}みなかりしか。
 学徒学年 **オオカミ** 少循令{石将|せきしょう}
     
【1】座学
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真実は何処に

 サギッチの然修録に、{斯|こ}うあった。

 「結果を洞察するための要領について、{纏|まと}めておく。
 一に、正しい情報を、得る。
 二に、その情報を判断したり処理したりするための知識を、得る。
 三に、関連するすべての人たちの個々の好き嫌いを、探り知る。
 以上」

 では、〈正しい情報〉ってのは、{何処|どこ}にあるんだァ?
 闇雲に探して、{某|なにがし}かの情報を拾い集めたにしても、果たしてその中に、〈正しい情報〉ってのが、存在してくれているのだろうか。運よく、そこに{在|あ}ったとしよう。では、拾い集めた雑多な情報の中で、それらのうちどれが*その*正しい情報なのかを、どうやって見極めればいいのだろうか。
 昨今の実際を{省|かえり}みるに、事前に洞察すべきであった*結果*は、バカデカ{鴉|カラス}の襲撃だろう。{況|いわん}や! それが、正しい情報に基づく真実の結果というやつだろう。だが{然|しか}し、そもそも、そんな情報を拾い集めようという動機からして、起こしようがない。
 仮に、なんらかの予測をして、なんらかの動機が起きたとしよう。そこは、{鴉|カラス}が候補に挙がるくらいなら、それは、養殖の{鰤|ブリ}の大群かもしれないし、天然の巨大な{蛸|タコ}なんかが予測されても、なんら不思議はない。それが鴉だとすれば、正に偶然以外の何物でもない。もっと{質|たち}の悪い予測を予想したならば、フナムシの大群だったり、沢蟹の大群だったりもするだろう。

 さて、どうしたもんか……。
 {双六|すごろく}ではないが、振り出しに戻って、考えてみよう♪

 正しい情報……その「情報」とは、なんだろう。何かの意図や事象を、言葉で説明したもの……とまァ、そんなところだろう。これは、確かに正しさを表現するには妥当な方法だろうけれども、真実を見抜くには、何かが足りない気がする。
 ……そうだッ!
 言葉だけでは、洞察は、出来ない。
 観察する対象が、もし人物であるならば、その顔つきや{仕種|しぐさ}、喜怒哀楽を表しているときの態度……もし、その態度と感情表現との間に違和感を覚えるようであれば、周りの環境や人間関係……{延|ひ}いては、その人間の生い立ちから始まって、何から何まで、徹底的に探らねばなるまい。
 こうなってくると、情報というよりは、もっと事務的で生々しい言葉……そう、{資料|データ}と呼んだほうが、ずっと現実的に聞こえる。*真実のデータ*? ……そうそう。それそれ♪

 では、真実のデータとは、何か。
 寺学舎で、同じ問いを耳にしたような気がする。何かの{言葉|コトバ}記憶が索引となって、寺学舎で学んでいたころに保存した{心象|イメージ}記憶が、潜在意識によって無意識のうちに、おれの脳裏に浮かび上がった。そして、それがそのまま、顕在意識の面前で、映し出されたのだ。
 どんなふうにぃ?
 あァ……そうだな。
 こんなふうにだ。

 「真実のデータとは、自分自身……{況|いわん}や! おれ自身が、この目で見、この手で触れたこと。細かく言えば、五感である{視|み}る、聴く、{嗅|か}ぐ、味わう、触れることによって、実際に自分で体感し、確かめたことに限られるということだ。
 信頼できる身内や知り合いから、『ついさっき、庭に犬が{居|い}たけど、どこの犬か、知ってるぅ?』などと{訊|き}かれても、その*事実*が真実かどうかは、そいつ以外の人間に判る{筈|はず}がない。*ついさっき*の時空までタイムスリップして、実際に自分の目で庭を見て確かめない限り、それは、真実とは呼べないのだ」

 対して、己自身の五感で体感して自らが確かめた*真実のデータ*は、そのまま心象……{所謂|いわゆる}イメージとして、その一つひとつが、記憶されてゆく。これを、脳生理学分野の言葉で説明すると、刺激を受けた感覚器官が、インパルスと呼ばれる電気信号を脳に送り、それが一つの{心象|イメージ}記憶となって、頭脳に記録保存される……と、いうことになるんだそうだ。
 そうそう♪
 言葉の索引が付いていない、イメージだけの記憶のことなんだけど……。犬や猫も、{鳥獣|とりけもの}も、まだ言葉を覚えていない赤ん坊も、みんなこの*イメージ記憶*だけで、生きている。これを、「純粋体験」と、呼んでいるそうだ。

 赤ん坊も、この〈純粋体験〉によって、母さんの乳首を認識するのだろう。乳首の色、形、肌{触|ざわ}りなんかが、そのままイメージ記憶として、脳に格納される。その機能が無ければ、赤ん坊は、いつまで経っても、母親の乳首を認識することは出来ないのだろう。
 ではそれが、母さん*そのもの*だったら、どうだろう。
 きっと母さんは、(色や形だけで、人を判断することなんて出来ないんだよッ!)と、赤子の不審そうな顔を見ながら……内心、そう思うかもしれない。おれだって、(外見だけで、おれを判ったつもりになるんじゃねぇ!)って、思うことがあるから……ん?
 と、いうことはだ。おれが読み取った他の誰かの〈真実のデータ〉というのは、その人に初めて出会ったときから現在までのイメージ記憶を結集して、それを総和したものだと言えるのではなかろうかッ!

 それは、相手が人間のときだけに限ったことではないだろう。農作物も、養殖魚も、家畜も、すべてそうだ。{蜜柑|ミカン}だって、原木椎茸だって、{牡蠣|カキ}だって、ジャガイモだって、ただ売り場に並んでいるものを見たり食べたりしただけでは、その本質……「真実のデータが、判った」とは、言えないものだと思う。
 それを、自ら育てた農家さんや漁業者さんたちが、実際に自分が体験したこと……そのすべて、それだけが、本当の*真実のデータ*なのだ。
 それが、蜜柑だったとしたら……。
 その蜜柑の木のこと。歌にもあるくらいだから、花も咲くはずだ。冬の大西風や、梅雨時の長雨に、日照り続きの猛暑など、様々な気象環境が、蜜柑の成長に、どんな影響を与えるか。そして、どのくらいの色合いになったら出荷どきで、実際に食べごろなのは、どんな状態になったときなのか……と、それらすべてのイメージ記憶を結集した総和が、真実のデータだってことになる。
 農家さんや漁業者さんだからこそ、真実を知ったから、「蜜柑の気持ちが{解|わか}る」って、言えるのかもしれない。

 それら、夥しい数の様々なイメージ記憶は、時系列で積み重ねられたり、巻き取られたりして保存されているのではない。大脳皮質という{途轍|とてつ}もなく広大な原野の上に、無数に散らばっているのだ。そこを、正に鳥が{鳥瞰|ちょうかん}でもしているかのように、〈ミカン〉という札が付いた夥しい数のイメージ記憶が、一瞬にして搔き集められ、それを一つ残らず{摘|つま}み上げて、〈ミカン〉という索引の付いた袋の中に、ひと{纏|まと}めに{括|くく}られてしまうのだ。
 {況|いわん}や! その索引こそが、新たに更新された、〈ミカン〉というコトバ記憶なのだ。おれたちは、この〈{心象|イメージ}記憶を、瞬時に{集纂|しゅうさん}するの脳の能力〉……言い換えれば、「真実のデータを保管し、必要なときに、必要なものすべてを呼び出せる、全能にして全自動の脳」を、鍛えなければならないのだ。

 {何故|なぜ}なら、{則|すなわ}ちそれが、洞察力となるはずだから……たぶん♪ 

【2】息恒循
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〈一の循〉幼循令

 《生涯》{則|すなわ}ち{天命|てんめい}の〈前期〉である{立命期|りつめいき}の〈一の循〉を、{幼循令|ようじゅんれい}という。

 零歳から六歳までの七年間。
 天命の**最初**である。
 {且|か}つ、立命期の前半である。

 幼年、幼児、児童、少年、少女……これら、みな{善|よ}し。
 ところが、大人たちは、彼ら彼女たちを、{斯|こ}う呼ぶ。
 「幼稚だなッ!」
 幼稚とは、中身が無いこと。{則|すなわ}ち、動物に近いということ。例えば、犬や猫のような……。最悪は、{鳥獣|トリケモノ}と同じような扱いをする、なんとも不届きな大人さえ{居|い}るという。そういう{奴|やつ}らこそ、動物どころか、トリケモノ以下の、*間違いで生きてしまっている*生きものなのだ。

 少年という言葉は、本来、男女の区別は無い。なので以下……幼年、幼児、児童、少年、少女を総じて、〈幼少年〉と書くことにする。
 幼少年は、大人から見れば、確かに、内容の無さそうな動きをしたり、未熟に思えるような思考をしたりする。{然|しか}し、それは、大人たちの抑圧され続けた経験によって縮まって狭くなってしまった{料簡|りょうけん}から判断された見方であって、実際には、大人とは比べものにならないほど多様な内容や意味を持ち、優れた潜在能力や、鋭い感受性を持っているものなのだ。

 神童、天才少年、天才少女……など、これらの言葉も、間違っている。
 {子等|こら}が、{驚愕|きょうがく}を覚えるような卓越した能力を、発揮することがある。すると大人たちは、特例の代名詞よろしくその{子供|こども}の首に札{紐|ひも}を被せて、ぶら下げさせる。その札に、神童とか天才とかの文字が、書き込まれている。そして、他の大人たちは、その札を目にすると、我関せずで、その子供から目を{背|そむ}けようとする。
 {何故|なにゆえ}かッ!
 それは、真実を知っているからだ。
 「幼少年は、教養宜しきを得れば、ある程度みな、大人たちの言う神童や天才と、似たりよったりの者になるのだ」……と、いう真実を。

 子供というものは、それなりに{躾|しつけ}や教示宜しきを得れば、みんなそれ相応に、立派になるものなのだ。そんなごく尋常な幼少年たちみなが共通に生まれ持っている高い能力のごくごく一部分だけを照らし、そこを、どうしても、*特異な例外*に観せようと、躍起になる。
 それは、{何故|なぜ}なのだろう。
 答えよう♪
 それは、子等に対して宜しくない接し方をして、幼少年が持つ尋常な能力すべてを{壊死|えし}させてしまったことを{隠蔽|いんぺい}したいという衝動と、その裏に潜む{懺悔|ざんげ}の念が、{拠|よ}ん{所|どころ}なく{現|うつつ}に表れてしまうからである。

 そういう時代に、なってしまったのだ。
 それも、そこも……もう、どうしようもない。
 では、どうするかァ?
 答えよう!
 親の力を借りず、自分たちだけで、その能力を、培養するしかない。それが、生涯を左右する大事な*立命期*の前半、天命への道を歩めるか否かを決定づける〈幼循令〉という、生涯で最も……極めて重要な、七年間なのである。
 ここで、自ら己を修めることができなければ、道から{逸|そ}れて、{堕|お}ちて、死ぬ。実に簡単で、実に単純な人生だ。それはそれで、みなと同じ、一つの**命**には違いないのではあるけれども……。 
(Ver.2,Rev.0)

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_/ 3 /_/ 然修録 第1集の子どもたち
寺学舎 美童(ミワラ) ムロー学級8名
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未来の子どもたちのために、
成功するための神話を残したい……
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