細胞は天才なのに
K2694年 想夏
エセラ
立命期 少循令 鐡将
人間は、胃を半分切除されても、生きてゆける。
その人間が、たとえボンクラのロクデナシだとしても、その人間を構成している細胞の一つひとつは、天才の分子で在り続ける。
誰でもみな、天才の分子を持って、生まれて来るのだ。
だったら、脳も、半分だけでも、天才分子の威力を発揮するはずだ。
脳科学の本を、読み{漁|あさ}った。
アメリカで、脳が半分だけしかない赤ちゃんが、産まれた。
脳の左半球のほとんどが欠落して、ほぼ右脳だけしかなかった。
当初、異変は起きた。
目の焦点が、合わない。
右腕と右脚が、不自由。
その女の子は、三歳になっても歩くことができず、言葉も遅れていた。
彼女の左脳のほとんどが欠け落ちていることが判ったのは、その翌年のことだった。
左脳は、分析や理論を{司|つかさど}り、数や言語を思考する中枢だ。
対して右脳は、芸術性や創造性を、司っている。
そして、この二つの脳が、互いに助け合うことにより、人体が正常に機能する。
しかも、二つの脳は独立していて、どちらかがどちらかの足りないところを補うような機能は、一切無い。
逆に、どちらかの脳が、極端に発達しそうになったときには、もう片方の脳が、それを抑え込み、右脳と左脳は、バランスよく機能する。
このことから考えると、その女の子の初期の症状は、{頷|うなず}ける。
頷けると同時に、それこそ左脳を移植でもしない限り、この少女の症状を改善させる方法は、無いはずだ。
ところが、その少女のその後に、驚くべきことが起きた。
医師も周りの誰もが予想しなかった速さで、欠落していた左脳の機能を、見事に発達させてみせたのだ。
歩くことも、話すことも、読むことも、遅い早いの個人差はあるものの、ごく普通にできるようになった。
具体的ではない抽象的なことを考えたりすることは、少し苦手だった半面、記憶力は、まさに天才の域に上り詰めた。
自由勝手に無作為に選んだ年月日を伝えると、その日の曜日を、即答して言い当てるのだ。
胃を半分切除されても、その後にある程度元の胃の機能が回復するのは、復元力だ。
細胞が、足りないところを補って、増殖する。
トカゲの尻尾の細胞とも、通じるところがある。
でも、このアメリカの女性の脳のケースは、トカゲの尻尾どころの話じゃない。
右脳が、左脳の機能を学習し、右脳がやるべき機能まで発揮し始めたのだ。
これは、復元ではなく、進化だ!
今や、ヒト種は、分化と退化の坂道を、転がり落ちている。
でも、退化しているのは、人間一人という単位の細胞の塊だ。
その塊を構成する何十億何百億の細胞の一つひとつは、何千年も前も今もなんら変わりなく、進化に飢えた天才の一粒なのだ。
今やるべきことは、その細胞を、信じること。
それをやるべき人は、まさに、ぼくら子どもだ。
ぼくら子どもの身体の中には、生まれ持った美質が、まだ残っている。
その細胞が、まだ生きている。
それが、{美童|ミワラ}だ。
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発行 Ethno Fantacy 東亜学纂